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15. 甘い取引(2)


「ここが離宮の厨房だ」


ヴァルトに案内されたのは、半地下にある厨房だった。こちらの貴族邸も、中世の貴族邸のように下働きの者はなるべく貴族の目に触れないよう、生活空間が完全に分けられているようだ。


「おい、アンナ嬢はいるか」


ヴァルトが奥に呼びかけると、はーい、となにやらくぐもった女性の声が奥の部屋から聞こえてきた。しばらくして、奥の部屋からヴァルトと同年代ほどの栗毛色の髪のメイド服の女性が出てきた。その女性は背もすらりと高い美人なのだが、私はその姿を見て目を見開くことになった。ヴァルトも、怒りからか頬がピクピクと動く。


「…………アンナ嬢、君はこの離宮の下働き担当。そして仮にも私はここの離宮の管理を任されている上司のはずだ」

「そうですね」

「……君は、上司の前で職場で居眠りをしていたことを隠そうともしないのか?」


そう、アンナという女性は何事にも動じないような使用人の鑑のような無表情を崩さず返答しているが、頬には居眠りの際に下敷きにしていたであろう本のインクの跡が堂々とついていた。しかしヴァルトにそれを指摘されても、微塵も焦る様子を見せない。


「いいじゃないですか。どうせ誰も来ないんですし」

「そういう問題じゃない!」

「だいたい、私だってここに配属されたのは不本意なんですよ。私は適度に楽ができる職場ならどこでも良いって言っただけなのに、他の人たちが半獣人のいる離宮の担当は嫌だって言い出して、いつの間にか私がここの唯一の担当になっちゃったんですから。……でも、まあ、よく考えたらここには叱ってくる侍女長もいないし、最低限の仕事をしてたらお昼寝もできるし、良い職場です」

「な、何という怠惰な……!」


ヴァルトは信じられない者を見たような目で慄いた。高位貴族であり洗練された使用人にしか触れてこなかった彼は、アンナのような人物への免疫はなかったのだろう。


「ところで、上司様がなんの御用ですか?」


ヴァルトの様子などどこ吹く風のアンナの問いかけに、私は慌てて答える。


「あの、私がお願いしたんです」

「?あ、もしかして聖女様ですか?」


今気づいたと言うように、アンナが無表情のままに私に振り返る。


「は、はい。瑞希と申します。あの、こちらの厨房をお借りしても良いでしょうか?」

「上司様が許可してるなら問題ないですけど、料理するんですか?」


首を傾げるアンナに、ごほんとヴァルトの咳払いが聞こえる。


「あー、そうだ。聖女殿の世界の料理を見せていただくことになっている。あれだ、新しい知識が我が国の利益となる可能性もあるからな、うむ」


甘党であることを隠したいのか、ヴァルトは誤魔化すように咳ばらいをした。私はその様子に気づかないふりをしながら、アンナにこちらの世界の調理器具の使い方や食材を教えてもらう。幸いなことに、この国では魔道具が普及している。魔力で動くコンロやオーブンも高価ながらも離宮には設置されており、お菓子作りに不便はなさそうだった。


「今日は、レモンパウンドケーキを作りたいと思います」


この国では、甘味といえば甘くつけたフルーツのコンポートやドライフルーツ、そしてスーコルと言う砂糖をまぶしたパンのようなものが主流で、あまり発展していない。『瑞希』が『ケーキが恋しい……』とゲーム中でこぼしていたのを覚えている。


(だから、きっとあちらのケーキは目新しいはず!ヴァルトさんが交渉にのりたくなるような、美味しい物を作らないと)


まずは魔力で動くオーブンに慣れていないこともあって、比較的簡単にできるパウンドケーキを作ることにした。丁度時期なのか、瑞々しいレモンも目についたのでそれも使う事にする。


粉を丁寧にふるい、ダマにならないように卵と良く混ぜ合わせる。溶かしたバターも合わせたら、絞ったレモン汁を加える。すると厨房に爽やかなレモンの香りが広がった。


焼き加減を見極めながらオーブンから取り出したレモンケーキは、ふっくらと綺麗なきつね色に焼き上がっていた。

美味しそうな香りに、厨房にいたヴァルトとアンナの喉が鳴る。


「これが、レモンパウンドケーキか?スーコルと似ているが……」

「っていうか、聖女様、私よりも手際がいいですね。これ、私も食べていいですか?」

「はい、今お切りしますね」


すっと包丁を入れ切り分ければ、焼き立てのレモンケーキから湯気が立ち、しっとりとした黄色の生地が顔を覗かせる。本当はしばらく寝かせてから食べるべきなのだろうけれど、私は出来立てのしっとりした味が好きだった。


「まだ熱いので気を付けて食べてください」


差し出したレモンケーキに、ヴァルトが貴族らしい優雅な仕草でフォークを入れる。

一口味わったところで、その瞳が見開かれた。


「わあ、すごくおいしいですよ、聖女様」


遠慮なくパクパクと食べるアンナの横で、ヴァルトはフォークを握りしめたままフルフルと震えている。


「ヴァルトさん、いかがでしょうか……?」


心配になって聞いてみれば、ヴァルトはガバリと顔を上げると真剣な表情で詰め寄って来た。


「聖女、君はこのような至上の甘味を、まだいくつも作ることが出来るというのか……?!」

「至上……?えと、はい」


勢いに押されてコクコク頷く私に、ヴァルトの瞳がカッと光る。


「これは、とても素晴らしい芸術作品だ!美しい黄色の生地はスーコルとは比べ物にならないほどにしっとりとしていて、上品な甘さがいつまでも口に残る。しかし薫るレモンの香りと酸味が口の中を爽やかに彩り、いくらでも食べられてしまう!このような天上の甘味がまだいくつもあるだと?!なんということだ!」


突然饒舌にしゃべりだしたヴァルトに、私とアンナはぽかんと目を見開いた。

私たちの様子にハッとしたように口を閉じたヴァルトは、かすかに耳を赤くさせゴホンと咳ばらいをして誤魔化し、何事もなかったかのように口を開いた。


「……交渉は成立だ。二日に一度の条件、忘れるなよ」

「では……!」

「……ああ、ウィスタリア侯爵の件、私が繋ぎをつけよう。ちょうど来週ウィスタリア侯爵主催のパーティーが開かれる予定だ。そこで紹介できるだろう」

「ありがとうございます……!」


(良かった!……これで、あの事件からリヒトさんとルーカスさんを守れるかもしれない!)


ほっとして笑顔を浮かべた私を見て、ヴァルトが虚をつかれたような表情を浮かべる。


「お前は、……」

「?」


何か言いかけたヴァルトに首を傾げると、彼は「いや、いい」と言って立ち上がってしまった。


「アンナ嬢、これから二日に一度、聖女に厨房を貸してやってくれ」

「良いですけど、私にも味見させてくださいね。あ、残りのレモンケーキ食べていいですか?」

「お前は少しは遠慮を覚えろ!これは私のだ!」


キリッした無表情で自分の欲望に忠実な言葉を吐くアンナに、レモンケーキを抱え込むヴァルト。私はそのやり取りに、いつの間にかクスクスと笑い声をあげてしまった。


(作ったものを、美味しいって言ってもらえるの、すごく嬉しいことなんだな)


温かい気持ちを抱き締めるように胸を抑えると、私は次はどんなお菓子を作ろうかと考えを巡らせるのだった。



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