14. 甘い取引(1)
北の結界石の浄化を終わらせ離宮に戻ってきた翌日。私は怖気づきそうな足を必死で奮い立たせながら玄関ホールの柱の陰に立っていた。
しばらくすると、にぎやかな声が聞こえてくる。玄関に現れたのは、旅装のリヒトとマイクとルーカス、そしてこの離宮で一晩保護することになった少年のウィン。これからウィンを辺境伯領へ連れて行くため、彼らは一旦離宮を離れる事になっているのだ。ちょうどハーリアのお祭りもあるため、そちらに参加してから帰ってくることになるだろう。
緊張から心臓がどくどくと音を立てる。それでも私は、勇気を振り絞ってルーカスたちの前に飛び出した。
「あ、あの!」
どんな視線を向けられるのか、怖くて視線は足元を彷徨いそうになる。
(でも、変わるって決めた。信頼はされないかもしれない。それでも、ずっと暗い顔をしてみんなの雰囲気を悪くするんじゃなくて、少しでも信用してもらえるように、『瑞希』みたいに笑顔でいようって)
私は勇気を出してパッと顔を上げると、精一杯の笑顔を浮かべた。
「い、いってらっしゃい!」
道中気をつけてとか、ゆっくり楽しんで来てくださいとか、考えていた台詞はすべて吹き飛んでしまって、私はこの一言を言うので精一杯だった。
皆はぽかんとした表情で私を見て、何も反応が返ってこない。シンとした静寂に、もしかしたら出発前に嫌な気持ちにさせてしまっただろうかとなけなしの勇気がしゅるしゅると萎んでくる。
しかし再び顔を俯けそうになった時、リヒトとマイクの声が私をすくい上げた。
「……お見送り、ありがとうございます、聖女様。いってまいります」
「……おう、いってきまーす」
戸惑いながらも笑って挨拶を返してくれた二人に、目頭が熱くなる。
「……いってくるねー、聖女様」
じっと観察するように私を見ていたルーカスは、ニコリと笑顔を作ると二人に続いて言葉をかけてくれる。そのことが嬉しくて、今口を開いたら何かが溢れ出しそうで、私はぱっと頭を下げるとその場から逃げるように立ち去った。
自分の部屋で弾む胸を抑えながら、私はぎゅっと両手を握る。
(こんな私にも挨拶を返してくれた……。みんなの為に、少しでも役に立てるように頑張ろう。そのために、今私ができることは……)
***
翌日、ローグとヴァルト以外が辺境に行ったため静寂に包まれた離宮の中庭で、私はヴァルトを見つけて必死で追いかけていた。彼は王都に自分の邸を持っており、かつ騎士団長としての仕事もあるためあまり離宮にはやってこない。今を逃せば、次にいつ話ができるか分からないのだ。
「ヴァルトさん!」
ヴァルトに呼びかけ、私は必死で追いかける。彼は仲間の中でも一番大柄で足も長いため、追いつくのが大変だった。
(浄化の旅でこれ以上みんなに迷惑かけないように、体力もつけなくちゃ)
私の声が聞こえたのが、振り返り立ち止まったヴァルトが訝し気に私を見た。私は上がった息を必死に整え、ヴァルトを正面から見つめた。
「ヴァルトさん、少しだけ、お時間をいただけませんか?」
「……なんの用でしょう、聖女」
自己紹介をした時以来、彼と話すのはこれが初めてになる。
寡黙な彼は、ハーリアの面々には半獣人だから話さないのだろうと思われている。王都の人間たちは、半獣人を見下す者が多いから。……しかし、本当は半獣人であろうと強き者には敬意を払い、弱き者を助ける騎士道精神にあふれた人物だ。ゲームでは、誤解されやすい彼と仲間たちの仲を『瑞希』が仲介していた。
(正義感があるからこそ、歪みの消滅方法を隠匿する私の事をとても軽蔑しているかもしれないけれど……)
私は緊張しながら、口をひらく。
「ヴァルトさんに、お願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。……ウェスタリア侯爵に、お会いする機会をいただきたいのです」
私の言葉に、ヴァルトは探る様に眉をひそめた。ウィスタリア侯爵は、ここルダニア王国の東の地を治めている大貴族だ。
「何故ウェスタリア侯爵に会いたい?それもゲームとやらの知識か?」
「……」
「理由を言えないのなら、応じることはできない」
当然の判断だろうけれど、私はどうしても彼に許可をもらう必要があった。
私はゲームでの出来事を思い出す。
ゲームでも、次の浄化では西の結界石に向かうことになっていた。しかし、西の貴族の政敵である東のウィスタリア侯爵はそれに不満を持っており、リヒト達を脅して先に東の結界石の浄化を行わせようと画策するのだ。
板挟みにあったリヒトはとても苦しい立場に立たされることになり、その後にもウィスタリア侯爵との禍根が残って暗殺者まで向けられることになってしまう。
その暗殺者を裏で始末したのは、ルーカスだった。
(ルーカスさんが、そんな事しなくてすむようにしたい。聖女として私が先にウィスタリア侯爵と面識を持っておけば、侯爵の虚栄心は少しは満たされるかもしれない。そうすれば、リヒトさんや辺境伯領への苛立ちが少しは逸らされるかも)
聖女というものは、神の実在すると信じられるこの世界ではある種特殊な立ち位置にいる。階級主義の貴族たちは聖女に特別へりくだったり頭を下げることはないが、神に選ばれた者としての敬意は払ってくれているようだった。中には国王のように結界石の浄化のための単なる駒のように考えている者もいるが、あからさまにそのような神への不敬ともとられかねない態度をする者はほとんどいない。むしろ物珍しさから、聖女を自らの派閥に取り込むのも一種のステータスのように考える者もいる。それがウィスタリア侯爵だった。
実はゲームでも、『瑞希』は侯爵のパーティーに誘われていたのだが、ちょうどリヒト達からハーリア辺境伯領でのお祭りに先に誘われていたため断っていた。プライドの高い侯爵は、そのことでも不満をためていたのだ。
(……ハーリアでのお祭り、『瑞希』が仲間たちや辺境伯領の人たちと仲良くなるエピソードだった。みんな笑顔で、あたたかなお祭り。……とても、行ってみたかったけれど……)
脱線しそうになった自分の思考を、頭を振って振り払う。
(っううん、これでいいの。私は、私にできるやり方でみんなの役に立つんだから。ヴァルトさんの協力が得られれば、その第一歩が踏み出せる)
――そして、私には彼を頷かせる勝算があった。
私はヴァルトを真っすぐに見上げて口を開く。
「……異世界の甘味に、興味はありませんか?」
私の言葉にぴくりと反応したヴァルトの反応に、私はさらに言葉を重ねる。
「私は専門の職人ではありませんが、元の世界では家族に頼まれよくお菓子を作っていました。ふわふわの生地のケーキにサクサクのパイの重なったミルフィーユ、ひんやりと口の中で溶ける甘いアイスクリームにさっぱりとした爽やかな柑橘のゼリー。この世界にないお菓子を、私は作る事ができます」
言葉を重ねるごとに、ヴァルトの目の色が変わる。
寡黙で堅物の印象を受ける王国の騎士団長。彼には、周りに隠している秘密があるのだ。
(――そう、ヴォルフさんは、隠しているけど無類の甘い物好き!)
家にいる時は、お母さんがママ友たちとのお茶会の度にお菓子を作るように頼まれていたのだ。妹がよく学校に持って行くお菓子も代わりに作るように頼まれて高いクオリティーを求められ大変だったけれど、それがこんな形で役に立つなら頑張ってきてよかったと思う。
「私のお願いを聞いていただけたら、二日に一度、ヴァルトさんに異世界のお菓子をお作りします!もちろん、不安でしたら作っているところを監視していただいても構いません」
「うぐっ……」
絶対に引かないと強く見つめれば、ヴァルトはぐぐぐと唸った。頭の中で、甘味への誘惑にグラグラと揺れているのが見えるようだった。
(勝手にゲームの情報を利用して弱みに付け込んでごめんなさい。でも、私に差し出せるものなんてこれしかない。お願い、頷いてください……!)
祈る様にヴァルトの答えを待っていた私に、彼のため息が聞こえる。
最終的に、一度私のお菓子を食べてその価値があるか見極めてからということになったのだった。