10. 奴隷
浄化を終え、王都へ戻るために乗り込んでいた馬車がガタリと振動を伝えて止まった。
「ここで少しの間馬を休ませましょう」
リヒトの言葉に、皆が無言でゾロゾロと馬車から降りる。
ここは王都の手前の比較的大きな町だ。皆が下りていく中、私はぽつんと馬車に残る。召喚された時は大好きなゲームの世界の町を見れるんだと心が弾んだけれど、誓約魔法の件から冷え切った空気の中でとてもついて行きたいなんて言える訳がなかった。
一人で出歩いて迷子にでもなったらまた迷惑をかけてしまうと考えれば、私はその場から動くことも出来ずに再び馬車の中で膝を抱えた。
『わあ!これは?これはなんですか?お花が歌ってる?!』
『それはシングフラワー。ガラスのような花びらが触れ合って音を奏でているように聞こえるんだ』
『すごい!この世界には、素敵な物がたくさんあるんですね!』
『はは、君の笑顔の為なら、この世界の綺麗な物をたくさん見せてあげるよ』
ゲームで『瑞希』とルーカスが町を散策する場面を思い出し、私は視界を遮るように膝に頭を埋めた。
(私、これからどうしたら良いんだろう……)
しかしその時、外から喧騒が聞こえて来て顔を上げる。誰かの怒鳴りつける声が耳に響いてきた。
「このガキ!抵抗するんじゃねえよ!」
「放せ!」
幼い男の子の声が聞こえてきて、私はとっさに馬車から顔を出した。そこには、大柄な男に押さえつけられる子供が見えて息をのむ。
「何をしているんだ!」
まだ近くにいたリヒトたちが駆けつける。子供を庇うように前へ出ると、男が威嚇するように睨みつけた。
「おいおい、そいつは親から売られたんだぜ。権利は俺のもんだ。そいつは売り先が決まってんだよ」
「な、こんな子供を!」
「問題ねえよ、そいつは“混ざりもの”だからな」
その言葉に、みんなの空気がピリリと尖る。リヒトやマイクは、悔しげにグッと拳を握っている。
「魔力測定で“混ざりもの”が判明したんだってよ。どっちの血筋に混ざってたんだか知らねえが、親はとにかく証拠隠滅のためにこいつを売り払ったんだ。混ざりものは魔力が高いからな、労働力としていい値段になる」
ぺらぺらと話す男の言葉に、胸が悲しみに包まれる。
このルダニア国では、半獣人の人権はどこまでも低いのだ。半獣人の売買は、法律で規制もされていない。子供の首には、奴隷の証である首輪がつけられていた。
どうにもできない状況に悔しげに唇を噛むリヒトの横から、軽やかな声がかけられる。
「ねえ、金貨三枚でその子を譲ってくれない?」
ルーカスは懐から金貨の入っているであろう袋を取り出し男の前で振って見せた。
「はあ?それじゃあ足りねえなぁ。せめて金貨六枚じゃねえと」
傲慢な態度でにやつく男。恐らくマイクの容姿をみて、リヒト達がハーリア辺境伯領の者だと気づいている。だからこそ、こちらを下に見て甚振るよな笑みを浮かべているのだろう。
しかしその時、ルーカスが金の髪を靡かせ男に近づいた。そしてにこりと見惚れるような笑みを浮かべたかと思うと、男の耳元にこそりと何事かを囁いた。その途端、男の顔がさっと青ざめる。
「お前、何故それを……!」
「これ、騒ぎで荷物から落ちちゃったんだろうね。少し覗いてしまったんだ」
そう言ってルーカスが差し出した冊子を、男は顔色をなくして急いでルーカスから奪い取る。その顔は、焦燥感であふれていた。
「大丈夫、この子を渡してくれるなら、俺は見なかったことにしてあげるよ」
含みを持たせたルーカスの言葉に、男はカクカクと頭を振ると首輪の鍵を投げ渡して逃げるように去っていった。
「ルーカス先生、いったい何を言ったんですか?」
「別に~、ちょっとあの帳簿の間違いを指摘してあげただけだよ」
「本当ですか?あの商人、顔色が悪かったようですが……」
「金勘定が仕事の商人としては、結構恥ずかしい間違えだったから、きっと恥ずかしくて逃げ出したくなっちゃったんじゃない?」
「それなら、良かったです」
ほっとしたようなリヒトにルーカスはにこりと笑うと、子供の側に膝をついた。
「君、大丈夫?」
ルーカスの問いに、子供はグッとボロボロのズボンを握りしめ、食いしばった歯の隙間から声を漏らした。
「なんで助けたんだよ……」
子供の言葉に、リヒトは目を丸くする。
「君は、あの男から逃げようとしていただろう?だから……」
「僕はあいつに逆らえば死ねると思ったんだよ!奴隷商は、逆らう奴隷を殺すんだろ?!」
まだ幼い子供の叫びに、皆は息を呑む。誰もが言葉を紡げずにいる中で、ルーカスが静かに問いかける。
「どうして死にたいと思ったんだい?」
「分かるだろ!僕は“混ざりもの”だ!親に売られて、奴隷になって、もう、死んだ方がマシに決まってんだろ!」
子供は血が滲むほどに拳を握りしめる。
「ずっと、僕は人間だと思ってたんだ。父さんも母さんも、自慢の息子だって言ってくれてた!なのに、魔力測定で僕が“混ざりもの”だって分かった途端、僕は地下室に閉じ込められたんだ。父さんも母さんも、化け物を見るみたいに僕を見て、僕がこんななのはお前のせいだって、父さんは母さんを殴ってた。……僕のせいで、母さんは毎日泣いてる。……毎日言うんだ、僕なんて産まなければって……」
子供を見つめながら、近くにいたローグが冷めた声で呼応する。
「は、人間なんてそんなもんだ。半獣人だと分かった途端、俺たちを人とも思わなくなる」
「ローグ、人間全てがそう思っている訳じゃない」
リヒトの咎める声に、ローグはふいと肩をすくめる。
ボロボロと子供の頬を流れて落ちる涙が、足元を濡らす。
「……僕は、生まれなければ良かったんだ……」
絞り出されたようなその声は、幼い子供のものとは思えない絶望が垣間見え胸を締め付けた。誰も何も言えない中で、しかし静かな声がその場に落ちた。
「――それは違うよ」