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4話:豊穣

 王宮への潜入の準備を終えたリリィが広場に戻ると、祭りの熱気は朝よりも一層激しくなっていた。色とりどりの屋台が並び、人々は楽しそうに歌い、踊る。


「あ、居たっ!」


 ルナを見つけるのに時間はかからなかった。金色の長い髪は、人混みの中でも燦然と輝いていた。彼女は、射的の屋台の前で、大きな目をキラキラとさせてゲームに興じていた。


「ルナ、楽しそうだね!」


 リリィが明るい声で話しかける。ルナは、彼女に気づくと手に持っていた何かをポケットの奥に押し込んだ。


「べ、別にそんなことない!あなたが来るまで、仕方ないから暇つぶししてただけ!」


 ルナは照れくさそうに頬を膨らませた。既に見慣れたその姿に、リリィは思わず笑みがこぼれた。


「待っててくれて、ありがとう。何か食べたいものある?」


「うん!あのね、向こうの焼き菓子、すっごく美味しそうだったんだ!」


 リリィは焼き菓子を一つ買うと、二人で分けて食べた。砂糖の香りとしっとりとした生地が多幸感を刺激した。

 二人は広場の端を歩きながら、世間話を始めた。お祭りの空気に当てられたように、顔の筋肉が痛くなるくらいにずっと笑顔だった。



「ねぇ、そういえばルナって稲妻の紋章はどこにあるの?」


 リリィは自分の右手の甲を指差しながら尋ねた。


「私はね!背中の真ん中にあるんだ。私もリリィみたいに見える場所にあったらよかったのにな……!背中の見える服は来ちゃダメだってお母さんが。」


 リリィは、ルナが背中の開いた服を着た姿を想像した。彼女にはきっと今のワンピースの方が似合っている。


「私もその方がいいと思うよ!……しっかりしたお母さんなんだね。」


「うん……。そうだ!こ、今度お家にご飯食べに来ない?お母さんが会いたがってるんだ。」


 ルナは広場の方に視線を向けたまま、リリィを誘う。声には緊張の色がにじんでいた。


「え!いいの!?」


 リリィは反射的に声を出してしまったことを後悔した。『行ってみたい!』と喉から飛び出そうとした言葉を抑え込む。

 その時、幼い少女の今にも泣き出しそうな声をリリィの耳が拾い上げた。


「お父さーん……!」


 リリィは周囲を見渡す。その目は、広場の片隅で、一人で立ち尽くす幼い少女の姿をとらえた。手には稲妻の描かれた大きな風船の紐を握りしめている。


「あの子だ!ルナ、ちょっとこっち来て!」


「え?何?どうかしたの?」


 祭りの喧騒により、幼い少女の声はかき消され、ルナの耳にも父親の耳にも届いていなかった。



 リリィたちは、少女に駆け寄った。


「お父さんとはぐれちゃったの?大丈夫!お姉ちゃん達が一緒に探してあげるからね。お名前は何ていうのかな?」


 ルナが優しく話しかける。決壊する寸前のこぼれだしそうな涙を目に貯めた少女は頷いた。


「ユーリ……」


「ユーリちゃん。もうちょっとだけ一緒に頑張ろうね!リリィ……どうしようか。まずは入口の兵士さんのところに……。」


 ルナは、リリィの様子を見て口をつぐんだ。


 彼女は、目を閉じていた。

 集中して周囲の音に耳を澄ます。祭り囃子の音、人々の話し声、屋台のざわめき。その無数の音の中から、特定の声を探し出す。まるで、遠い昔の訓練をなぞるように。


「ユー……リぃ……ど……に行…………んだー!」



「見つけた!」


 リリィはゆっくりと目を開くと、お面を売っている屋台を指さした。



 二人は、幼い少女を連れて屋台の元へ向かった。父親がユーリを強く抱きしめると、二人に向かって、深く頭を下げた。


「ありがとうございます!!本当にどうなることかと……。」


「お姉ちゃん達、ありがとう!」


 ユーリは持っていた風船の紐を差し出した。


「え、でも……。」


「リリィ……、貰ってあげたら?」


 リリィは少女の笑顔を見つめると、屈んで風船を受け取った。



 親子と別れた二人は、広場の端っこに戻ってきていた。


「凄いね。リリィ!」


 ルナが大きな目を煌めかせる。


「これくらい訓練すれば誰でもできるようになるよ。」


 リリィはヴァルカン将軍と過ごした訓練の日々を思い浮かべた。右手では先ほど貰った風船を玩んでいる。


「耳が良いのは知ってるよ。多分、私を森で見つけてくれた時も同じでしょ?そこじゃなくて……。人の為にってところが凄いなって思ったの!」


リリィの目は彼女と目と対照的に褪せて沈んでいた。


(そんなことない。だって、私がここに来た目的は……。)


「そ、それで、さっきのご飯の話なんだけど……。」

 夕焼け色の頬をしたルナがもう一度切り出したとき、空の色が変わり始めた。

 夕暮れの空に、どこからともなく暗く重たい雲が集まってくる。人々は、その雲を見て、歓喜の声を上げた。


「リディア様だ!」

「雷神王様が、私たちに恵みを下さる!」


 人々が広場の中心に集まり始める。

 雷神王リディアが、王宮から出て、広場に向かって歩き始めた。歩みに合わせて、大きな赤いマントが揺らぐ。


 肩から零れ落ちる暗い金色の髪が、背負う宿命の重さを伺わせる。それでも、藤色の瞳は、決して揺らぐことなく、確かな光を放っていた。


 隣には、二人の側近が、精悍な顔つきの男と冷静な眼差しを宿した女が控えている。


 王の通り道に、民が押し寄せる。一歩でも間近でその姿を目に収めようと、皆が体を乗り出す。民の熱狂は、脇に整然と並んでいた衛兵達を押し退けんばかりだった。


「リディア様だ!私たちも行こ!!」


 漂い始めた雨の香りにリリィは体を硬くしていた。しかし、ルナに手を引かれて、人の波に加わる。

 その目で初めて見る雷神王は、偵察資料よりも、ずっと優しく穏やかな顔つきをしていた。それは、広場にある像と同じ顔だった。


 リディアは広場の中央にある舞台に上がった。


 舞台の骨組みは、磨き上げられた白木で組まれ、松明の炎を受けて神々しく輝いている。舞台を囲むように、豊かな穀物の穂と、色鮮やかな果実がふんだんに飾られていた。

 舞台中央には、黄金の玉座が置かれている。玉座の背もたれには、精巧な稲妻の彫刻が施され、見る者の視線を釘付けにした。


 彼女は、玉座の前に辿り着くと、静かに語り始めた。


 一瞬にして広場が静まり返る。その場にいる全員が、王の一言一句を聞き漏らすまいと耳を澄ませていた。


「エレクシアの民よ。七年前、私たちは戦乱と飢えに苦しんだ。多くの犠牲を出し、この国は一度、全てを失いかけた。」


「戦争が終結しても、傷が癒えるわけではない。家族を、友を、誰もが大切な人を失った。家も田畑も踏み荒らされた。」


「しかし、私たちは諦めなかった。私たちのこの手で!大地を耕し!知恵を絞り!国を立て直してきた!そのたゆまぬ努力が、今日のこの豊かな実りをもたらしたのです……!!」


 リディアは、一度言葉を区切ると、広場を見渡した。


「どうか忘れないでください。この豊穣は、私一人の力ではなく、皆の力が生み出したものです。私は、皆の努力に感謝します。そして、来年も皆が笑顔でいられるように、この国の未来が、雷とともに在らんことを。」


 雷神王の言葉に、ある者は涙し、ある者は雄叫びをあげた。


 彼女は胸の前でゆっくりと手を組んだ。胸の中央に刻まれた稲妻の紋章が浮かび上がるように薄く輝いた。光が増していく。それから、静かに手を天に掲げた。まるで祈りを捧げるかのような所作に、リリィは思わず見惚れてしまっていた。


 天から、眩いばかりの雷光が解き放たれる。それは、空に集まった雲を突き破り、轟音を轟かせながら、遠くに広がるアダニスの荒野へと落ちていった。やがて雷雲からぽつぽつと雨が降り始めた。

 人々は、両手を広げて雷神王の恵みを受け止め、その名を叫んだ。


「雷神王様!」

「リディア様!万歳!!!」


 彼女はひとしきり国民に手を振った後、玉座に腰掛けた。



 熱狂の中、リリィだけが一人震えていた。脱力した右手から風船がスルリと抜け出し空へと飛んでいく。


 潜入初日、雷光を目の当たりにしてなお、何処かで疑っている自分がいた。あの天災とも呼べる力を、本当に扱える人間など存在するのかと。ただの自然現象を神話になぞらえているだけではないかと。

 だが、今、この目で、耳で、肌で知った。あれは確かに一人の人間がその意思をもって自在に操る力なのだと。



 その時、ルナがリリィの冷たくなった右手を、そっと握った。


「大丈夫だよ。リディア様の雷が、私たちを守ってくれるから……。もう戦争に巻き込まれることはないんだよ……。」


 風船の消えていった空を見つめていたリリィの瞳が、ルナの温かな手によって現実に引き戻される。彼女の震えは、少しずつ収まっていった。


(これがエレクシアの雷神王…………リディア……。)



 沈みゆく船は、それでも確かに藻掻きながら光の射す方へ進み続ける。その光が船を灼き尽くす日は刻一刻と近づいていた。 

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