27話:灼熱
リリィは、辛うじて原型を留めていた短剣を一本アークに向けて投擲した。
短剣は、アークの周りに広がる灼熱の結界に触れた途端、抵抗する間もなく、まるで炎の中に投げ込まれた氷のように、一瞬で蒸発した。残されたのは、わずかに焦げ付いた空気と、地面の黒い水たまりのみ。
(なんてメチャクチャな力!!)
アークは、徐に手を上に掲げる。
彼の周囲に、目に見えるほどの陽炎が立ち上る。それは、熱された鉄の上に立つかのような熱気だった。
次の瞬間、アークはその手を振り下ろした。掌から解き放たれたのは、熱の奔流。それは、空気や光を歪ませながら、ルナへと一直線に向かう。
灼熱の波動が触れた場所は、地面も、木々も、すべてがまるでバターのように熔け、粘度の高い液体へと変質していく。
「危ないっ!」
リリィは間一髪でルナを抱え、灼熱の波動の軌跡から飛び退った。
ルナを庇うように灼熱に背を向ける。逃げ遅れた腰の上部が灼熱に一瞬触れ、肌が爛れた。
息を止めたまま、反撃でもう一本の短剣を投げつける。しかし、やはり短剣はアークに届く寸前で、ドロリと液状化し、重量に逆らうようにゆっくりと地面に向かって落下した。
肉が焼ける匂いが鼻を突く。皮膚がめくれ上がる耐え難い感覚に、うめき声が漏れる。
それでもなお、リリィの視線は、まっすぐとアークに向けられていた。
腕の中で震えるルナを強く抱きしめた。その小さな体を守るかのように、全身の筋肉を硬くする。
(カイさんが来るまで粘る?違う!私が、ルナを守るんだ!)
(だけど、私の能力じゃアーク君の防御を破れない。どうすれば……)
リリィの表情は暗く、険しくなっていく。
視界に映ったアークの姿が揺らぐ。それが痛みによる錯覚か、灼熱による大気の屈折か彼女にはもう分からなかった。
ルナは彼女の腕をそっと外すと、静かに話し始めた。
「ねぇ、リリィ……。もういいよ。私なんていないほうがいいんだ。」
「何を……言ってるの……?」
リリィの顔から血の気が引いていく。
アークは黙って二人の会話を聞いていた。その間も彼の灼熱の結界は厚みを増し続ける。
「ここにあった大樹の話、覚えてる?」
ルナは虚ろな目で続ける。その目は、焼け野原しか映さない。
「全部、私が壊しちゃったんだ。おじいちゃんとの約束も。シルフも、動物だって……たくさん私が殺したの。」
大粒の涙が流れる。
ルナは、アークに縋るように問いかけた。
「アークさん、私が死んだら、リリィのことは、」
「……はい。あなたがいなくなれば、私にリリィさんを攻撃する理由はありません。」
アークは揺らめく大気の向こう側から、表情を変えずに答えた。
ルナはほんの少しだけ微笑んだ。リリィから離れると、アークの方に向かって一歩、また一歩と、震えながらも歩みを進める。
アークが手を掲げる。
「もし良かったら、私のお母さんとお父さんに、『育ててくれてありがとう』って伝えてもらえないかな…」
遠くなってしまった故郷へ帰るかのように、リリィに背を向けたまま小さな声で言葉を紡いだ。
「……さようなら。」
勢いを増した灼熱の波動がルナに向かって放たれる。
リリィは咄嗟にルナを突き飛ばし、攻撃の軌道から逸らした。しかし、彼女自身は、勢いを増した灼熱の波動の圏内。
熱波が左足を掠め、三度、肌を焼く。
立ち込める焦げ付いた匂い。
光に、雷に、月に近づきすぎたその身は今。燃やし尽くさんばかりの紅蓮の焦熱に覆い尽くされている。
しかし、リリィが悲鳴を上げることはなかった。
(こんなの、全然痛くない!)
「リリィ!もういいってば!私のために傷つかないで!」
掠れた絶叫が森に響き渡る。
「約束したでしょ。私はルナを守るって。」
リリィは、いつもの笑顔で微笑みかける。
「私はリリィのこと全然守れてない。今だって……いつも守られてるだけ。だから、もう……!」
ルナは膝から崩れ落ちると、喉から引きつった音を漏らした。
アークは何も言わずに、もう一度、手を振り下ろした。灼熱の波動が、阻むもの全てを熔かしながら二人に殺到する。
リリィは、体を引きずりながらも、ルナの全身を包むように、灼熱の前に飛び出した。
「嫌だ!私は、ルナのいない世界なんて嫌なんだ!!」
その時、ルナの暗く沈んだ青い目に確かに光が灯った。




