22話:月夜
満月が、ファルムの森を幻想的な光で照らしていた。
ルナは、リリィとの約束の場所である、森の入口から10分ほど歩いた場所にある天霆の大樹の下で、静かに彼女を待っていた。
一週間前に、王立治療院で交わした約束。満月の夜にここで会おうと。
この一週間、ルナは、リリィに教わった基礎的な”逃げる”動きの練習と短剣の投擲を繰り返していた。
頭の中では、彼女の教えを幾度となく反復した。体の使い方のアドバイスや、姿勢を指導する際に触れた手の温かさを思い出すと、彼女を近くに感じることができた。
リリィから貰った赤い髪飾りを外して、大樹の根元に座り込む。ゆっくりと大樹に寄りかかる。数百年の樹齢を思わせる幹が、ルナの身体を包み込んだ。
夜にしか咲かない月花の周りを蝶が舞う。はち切れんばかりに実った赤い果実を小鳥たちが、啄む。辺り一面を覆う緑の絨毯を、潰さないように優しく撫でた。微かに感じる草木の薫りが鼻の奥をくすぐった。
左の太もも辺りにもふもふとした感触を感じて目を向ける。小さなシルフが体を擦り付けていた。まるで『草じゃなくて自分を撫でろ』とでも言っているかのようだった。彼女は、愛おしそうにシルフを撫で始めた。
大樹から少し離れた場所にある木を遠い目をして眺めた。そこには、古びた木製のブランコがあった。
『ルナ。じいちゃんからのプレゼントじゃ!なんと天霆様も見守ってくれる特等席じゃ。』
ルナは今は亡き祖父の言葉を思い出す。数年の月日でくたびれたそれは、もう乗ることができなくとも、それでもかけがえのない宝物だった。
ルナはこの場所が大好きだった。
空に浮かぶ満月を見上げようとして、途中で目線を下に戻した。名前の由来でもあるそれは、彼女にとって特別な意味をもつものだった。月はいつでも自分を優しく見守ってくれている気がした。いつか大切な人と、この場所でこの特別な光を分かち合うことがささやかな夢だった。
風が、長い金色の髪を優しく揺らす。
リリィとの出会いは、ルナの孤独な日々に光を灯してくれた。いつも心の中で湧き上がる感情を、どう表現すればいいか分からなかった。言葉はいつだって不器用だった。
「べ、別に、あなたに会いたかったわけじゃないから!」
本当は、今すぐにでも会いたかった。しかし、口から出るのはいつだって素直じゃない言葉ばかり。そのせいで、同年代の子供たちからは「ルナちゃんは怖い」「イジワルだ」と言われ、少しずつ距離を置かれていった。
それでも、家族は優しかったし、街のおばさんやおじさんも良くしてくれた。けれど、ルナの心の奥にはいつもポッカリと空いた穴があった。その穴は、森で道に迷った日を境に小さくなり始めた。
リリィは、そんな不器用さを笑いながらも受け止めてくれた、初めての友達だった。彼女といるだけで、まるで春の陽だまりのように、ルナの心はじんわりと温かくなった。ルナは、この太陽を失うことを恐れていた。
デュラン達に誘拐された時も、リリィはボロボロになりながら身を挺して守ってくれた。彼女の教えを活かせず、簡単に捕まってしまったことを全く責めることなく、ただ心配してくれた。そんな大切な友達が、今夜、また自分に会いに来てくれる。
「クゥ!」
その時、シルフが不満気な鳴き声を上げた。
「あ、ごめん!痛かったよね」
ルナはシルフを撫でる左手に知らずに力を込めてしまったことを謝った。
「クゥ…」
シルフは再び彼女の太ももに体を擦り付けた。
ふと…目を瞑って考える。
自分はリリィにとって大切な存在になれているのだろうか?リリィのために何かできているのだろうか?
雷神王の側近であるカイの調査。
倉庫での戦いで見せた戦闘力。
そして、歴戦の猛者であるデュランの隙もつける”能力”。
ルナは、彼女が何かを隠していることには気づいていた。いや、実のところは、”隠している”のかどうかすら不確かだった。
なぜ、ファルムの森に来ていたの?
なぜ、豊穣祭の後、暫く会えなかったの?
なぜ、私を守ってくれるの…?
本当は聞きたいことはたくさんあった。それでも、真実を知ることが、この髪飾りを手放すことになってしまう気がして、ルナはいつも逃げてしまっていた。
目を開く。そこにリリィの姿はなかった。
夜が深まる。
(そろそろ帰らないと、お母さんが心配するよね…でも…リリィは来るって”約束”してくれた…だから、もう少しだけ…)
しかし、どれだけ待っても、彼女は現れなかった。
風の音に耳を澄ませるが、聞こえるのは木々のざわめきばかり。ルナの心は、徐々にかき乱されていく。
「どうして…来ないんだろう…」
ルナのか細い声は、風にかき消される。王宮に行ったリリィの身に何かあったのかもしれない。それとも、私のせいで傷だらけになったことを気にしているのだろうか。
絶えない自問と自責の中で、それでも、ルナはただ待ち続けた。
その時、彼女の背中から、微かな光が漏れ始めた。背中の真ん中にある稲妻の紋章が青白くうっすらと浮かび上がる。彼女は、それが何なのか分からなかった。ただ、胸の奥から湧き上がる、抑えきれない感情の奔流に、身を任せるしかなかった。体から放たれる光は、徐々に強さを増していった。




