20話:任務
王宮で過ごす数日間は、リリィにとって初めてのことばかりだった。窓から見える広大な庭園、部屋を照らす柔らかな光、そして……
リリィは王宮を探検して余った時間で、アークと戦闘訓練をしていた。訓練用の鎚矛が乾いた音を立てて弾き飛ばされ、地面に転がる。夕暮れのオレンジ色が遠くファルムの森を赤く染め始めていた。
「ここまでにしましょうか。」
「うん……!また私の負けかぁ……」
アークは地面に転がった槌矛を一瞥した。
「リリィさんには小回りの利く短剣のほうが合っていると思いますが……」
「アーク君はどうしてそれを選んだの?」
リリィは、槌矛を武器置き場に戻しながら、他の武器を物色する。
「私は、カイ様の影響ですね。『私が教えられるのはこれだけだ』と。」
リリィは、”移動要塞”デュランとの戦い以来、自身の戦闘スタイルに課題を感じていた。鈍重な大斧を手に取り、その重みを確かめるように何度も振り回した。
水分補給をしながら、リリィは話しかけた。
「ねぇ、アーク君はどうして軍に入ったの?」
「勿論、リディア様をお守りするためです。」
アークは食い気味に答えた。
「雷神王様は優しいもんね!」
リリィは無難に相槌を打つ。
「はい。私も、リディア様の王としての威厳の中に覗く民を愛する心に感銘を受けたのです。七年前の戦争で私は両親を亡くしています。雷撃で戦争を収めたリディア様に忠誠を示すのは当然でしょう。ですが、リディア様の素晴らしさは力だけではありません。唯一残された肉親の弟も小さい頃から病弱でして、いつ死ぬとも知れない体でした。王立治療院がなければどうなっていたか……。王立治療院を建立されたのは他でもないリディア様です。これもただの一例に過ぎません。民を思う心は市井の隅々まで行き渡っています。戦後この国がどん底のときなど、民の先頭に立ち田畑を耕していたという伝説すら残っております。そして、民のリディア様を思う気持ちは膨れ上がり、今や王宮の生活は全て、自主的な献上品だけで成り立つに至りました。それに今飲んでいるこの水だってリディア様の恵みあってのものです。だいたい……」
アークは饒舌に彼女がいかに優れた王であるか、自分が救われたかを語り続けた。
「……それで、リリィさんも豊穣祭の演説を聞いたでしょう?あの時の演説は……」
「あ、あの……。」
リリィは、なるべく刺激しないように控えめに声をかけた。
「……失礼しました!リディア様のことになると私は自制ができず。」
「そういえば、アーク君は、カイさんの弟子なんだよね?動きがそっくりだったもん。」
リリィは必死に話題を変えた。
「はい。ただカイ様は甘いところがありますから……。犯罪者の処罰も『彼らも国民だ』などと。それで、いざというときリディア様をお守りすることができるんでしょうか……。」
リディアを語る時の声とは違うどこかトゲを含んだ言い方に、リリィは怯んだ。
「わ、私はそこもカイさんのいいところだと思うけど……」
アークは、肩をすぼめた。
「ところで。あなたこそ軍の養成所になぜ入らないのですか?18歳の初期配属で近衛兵も狙えると、私は思いますが。」
「私は……。考えておくね!」
リリィは、もう一口、水を口に含んだ。
「えぇ、ぜひ!」
彼女は修練場を後にした。
明日は満月。ルナとの約束の日だった。一週間ぶりに彼女に会えることを思うと、リリィの心は高鳴った。
夜明け前の空が最も暗くなる頃、王宮内は静まり返っていた。目前に控えた期待に目が冴えていたリリィはベッドから降りると、窓辺に立った。地平線に沈もうとする、月を眺める。
(明日はルナとお月見……)
ふと視線を下に落とす。王宮の中庭に人影が一つみえた。
じっとその人影を見つめる。闇に慣れた彼女の瞳が映し出したのは、雷神王リディアの姿だった。
月とリディアを交互に見つめる。このまま寝不足の、でも不快ではない疲労を感じる体で、ルナと満月を眺める、そんな明日を夢想した。
リリィは虚ろな目をして、服の下にいつものベルトを巻きつける。任務開始時、帝国から持ってきていたいつもの短剣は予備を含めて五本だった。そのうちの一本は、ファルムの森から逃れる時に使用し、カイが破壊した。そのうちの一本は、先日のデュランとの戦いで失われた。
しかし、今、ベルトには短剣が確かに四本挿さっている。
ベルトを締めながら王宮へ移動する馬車の中での会話を思い出す。
『あの……カイさん。私が言うのも変だけど……甘すぎるんじゃ……?』
リリィは自分の腰を指差しながらカイに尋ねる。そこには、使い慣れた短剣の感触があった。
カイは事も無げに言う。
『君の短剣は前にも見たからね。短剣自体は特別なものではなかったし。取り上げられて丸腰では不安だろう?』
『正気なの?』
リリィの怪訝そうな声。
カイは馬車の窓から、木々や民家を眺める。時刻はお昼時。民家から美味しそうなシチューの匂いが漂った。カイはその瞳に映る光景に目を細めた。
『まぁ……王宮だって、調理場に行けば刃物はあるし、知識がある者なら植物や洗浄剤からでも毒を調合できてしまうからね。』
『でも……』
リリィはカイの横顔を見つめる。
カイは視線に気づき、リリィに向き直った。
『なにより、うちの近衛兵には、リリィに後れを取るやつは居ないよ。これは雷神王の側近としてではなく、国王軍第三師団長としての意見だ。……気になるなら、試してみるかい?』
リリィはその重たい声に自身の上官であるヴァルカン将軍の姿を幻視していた。その瞬間だけは、カイの瞳から優しさは消え去り、彼女を射抜く獣のような鋭い光が放たれていた。
しかし……カイは精鋭への信頼のあまり、一つ大きな過ちを犯していた。彼は、持ち物に短剣以外の―例えば爆発物のような―武器がないことのみを確認し、短剣を一本ずつ検めなかった。彼女のベルトの中には一振りだけ、他とは違う特別な短剣があった。
リリィは、その短剣を鞘から抜いた。黒い刀身には、帝国の毒に関連した能力者十人分の能力が込められている。何重にも混ざり合った毒の解毒は不可能に近い。『掠めるだけでいい』と、ヴァルカンの言葉が蘇る。
刀身に映る顔は、アルスレイア帝国のスパイの顔をしていた。
短剣をベルトに戻して、部屋の扉を開く。廊下に出たリリィは、暫しの間、窓から夜空を眺めた。
しかし、待てどもカイが現れることはなかった。疑いの眼差しで、砂のリングを見つめる。こんな夜中の外出すらも警戒に値しないということだろうか。
彼女は、音を立てずに階段を降りて中庭へと出た。




