19話:秘密
リリィはセレスに連れられて、王宮の奥にある大浴場の脱衣場に立っていた。
リリィは服の裾に一度は手を掛けるが、そのままその手を離した。顔を赤くして、じっと砂のリングを見つめる。
セレスが眉間にしわを寄せながら話しかける。
「余計なことを言われると却って不安になりますよね。いえ、その……別に”アレ”の言葉に嘘はないんですが……」
リリィの気持ちを慮った優しい声で続ける。
「気になるなら私が外しましょうか?後でカイに着け直してもらえば問題ありません。」
(セレスさんはこの砂のリングを外せる……やっぱり、”そういう”能力なんだ。)
リリィの胸がチクリと痛む。それは、意図せずともセレスの好意を利用して、その能力を探ってしまったことへの後悔だった。
リリィは、一糸纏わぬ彼女の姿を見た。それは、鍛え上げられた戦士の身体だった。
「ありがとう……でも、そのままで大丈夫!」
リリィは、思い切って一気に服を脱いだ。服を軽く畳み終えた時、セレスが自分の体をじっと見ていることに気づく。
「えぇっと、セレスさん……?」
顔がまた赤くなる。
「すみません。不躾な視線でした……。これでは、カイのことを言えませんね。」
セレスは、即座に視線を外して謝罪した。リリィの目を見つめて微笑みかける。
「お腹。傷跡が残らなくて良かったですね。」
リリィは、彼女に蹴られた場所を指でなぞる。すべすべとした健康的な肌。
「心配してくれてありがとう。でも私はあんまり気にしてないよ。」
「いいえ。折角のきれいな肌ですから、できるだけ大切にしてください。あなたはまだ、その身を戦いに捧げると決めるには早すぎます。」
セレスはリリィに背を向けると大浴場の方へ歩き始めた。その背中には、右肩から左の腰へと一本の痛々しい刀傷が刻まれていた。
「え……?」
「他の道も考えられる年齢だということです。」
セレスは大浴場への扉を開いた。
王宮の大浴場は、大理石の柱が並び立つ、神殿の如き空間だった。湯気で霞む中に、噴水のように湯を落とす獅子の彫刻が見える。底がそのまま見えるほどに澄んだ湯は、泳げるほどに広大で、水に乏しいアルスレイア帝国では考えられない光景に、リリィは目を輝かせた。
エレクシア潜入から時間が経ち、豊富な水のある生活に、彼女は慣れ始めていた。
汗を流すと、肩までゆったりとお湯に浸かる。
全身の細胞が活性化し、歓喜しているのを感じた。
セレスはリリィから少し離れた場所で、お風呂の縁に腰掛けて、半身浴をしていた。
リリィは、立ち上がると、わざとらしくお風呂の中を一周ぐるりと歩き回る。その後、セレスの隣で体育座りをして、浴槽に浸かった。
「何か用ですか?」
セレスは、お風呂の縁から降りて肩までお湯に浸かり、リリィと目線を合わせる。
「折角だからセレスさんともお話してみたいなって!」
リリィは、水面のように揺れる瞳でセレスの方を見た。
「別に構いませんよ。」
セレスは微笑みながら、静かに答えた。
「お風呂案内してくれてありがとう。でも、側近が離れて大丈夫だったの……?」
リリィが首を傾げる。
「今はカイが傍にいますから、万が一もありません。」
いつもと変わらぬ冷静な声。
「そっか……セレスさんは、私が王宮の中を歩き回ることを何とも思わないの?」
群青色の瞳はまだ揺れていた。左手で、右手に嵌められた砂のリングを撫でる。
「思うところがないわけではありませんが……カイがあなたを信じると言いましたから。私にはそれで十分です。」
セレスは、両手を組んで前に大きく伸びをしながら言った。
目の前でリラックスした様子を見せるセレスに、リリィは小さく笑った。
「ねぇ。セレスさんは、カイさんとお友達なんだよね?」
「カイと私がそう見えましたか……友人というと少し違いますが、信頼はしています。なぜそのようなことを気にするんですか?」
セレスは頬をわずかに緩める。
リリィは脱衣場での会話を思い出して必死に否定する。
「あ、違うの!別に探ってるんじゃなくて!」
水面が波打つ。
「私ね……ルナって子と最近友達になったんだ。一緒にいるだけで楽しくて……大切で。だけど、ルナは私が王宮に侵入したことも……何も知らない……。セレスさんはカイさんに隠してることってある?」
リリィはおでこを体育座りした膝に擦り付けながら、身体を丸めた。
セレスは、右手をリリィの頭の近くまで動かした。しかし、その手が彼女に触れることはなかった。彼女は左手も浴槽から出すと、もう一度両手を組んで、誤魔化すように伸びをした。
「……ありますよ…………。死ぬまで明かすことはないでしょうね。」
「苦しく……ならない?」
リリィは下を向いたまま問いかける。
「苦しくとも、それが私の選んだ道です。そこに後悔はありません。」
セレスは迷いのない声で言い切った。
「そっか……」
リリィの声は、噴水から溢れるお湯の音にかき消された。
セレスは、ゆっくりと立ち上がる。
「リリィ。あなたはカイの言う通り体を動かしていた方が良いみたいですね。溌剌とした表情のほうがあなたに合っていますよ。……のぼせる前に上がりましょうか。」
その日の夜、リリィは夕食を済ませると、自分に与えられた部屋に戻った。ふかふかのベッドに横たわり、天蓋の柔らかな布地を見つめる。
今日一日を思い返した。豪華な部屋、温かい食事、アークとの訓練、セレスとのお風呂。
彼女の心は、帝国の使命と、この国の人々との温かな交流の間で、激しく揺れ動いていた。
右手の砂のリングに視線を落とす。魔力を練り上げ、能力の発動ができることを確認する。しかし、今、王宮から逃げたところで任務を達成する見込みなどない。そんな状況で帰れる場所など、どこにもない。
リリィは、桃色のペンダントを握りしめる。この確かな感触だけが、リリィの心を繋ぎ止めていた。
「私……どうすればいいんだろう……」
彼女は、答えのない問いを、一人、夜空に投げかけた。しかし、その答えが、夜空から帰ってくることはなかった。




