16話:歓迎
リリィは、カイと共に正面の門から王宮へと入った。
壁には歴史を感じさせるタペストリーが飾られ、床には足音を立てない赤い絨毯が敷かれている。窓の外の、手入れの行き届いた庭園は、侵入者として入った時よりも一層鮮やかに見えた。
彼女は、牢屋ではなく来賓室へ通された。
帝国の自室や質素な宿屋のベッドとは比べ物にならない広く豪華な部屋だった。
天蓋付きのベッド、柔らかな羽根布団、掃除の行き届いた床、そして、窓から見える美しい庭園。
「王宮内は自由に歩いてもらって構わない。ただし……」
さらさらとリリィの周囲に砂が漂う。それは彼女の右手の周りに集まると、砂のリングを形作った。
「君が能力を使えばすぐに分かるように、監視はさせてもらう。」
リリィは右手を動かしながら、リングの感触を確かめた。砂でできたそれは軽やかな着け心地で、光を受けてキラキラと輝いた。
「きれい……」
小さな声で呟いた。
「さあ、案内しよう。リディア様がお待ちだ。」
カイは、部屋の扉を開けた。
リリィは、彼に促されるまま、部屋を出る。通路の壁には、歴代の雷神王の肖像画が飾られていた。そのどれもが威厳に満ち溢れ、この国の長い歴史を物語っていた。
大広間に着くと、そこには既にリディアとセレスが待っていた。広間を埋め尽くすほどの大きなテーブルに、用意された席はたった四つ。
リディアは、リリィの姿を見ると、慈愛を湛えた笑顔で迎えた。
「リリィ、よく来てくれたわ。」
リディアは、自身の隣の席を指し示した。
「遠慮しないで、座ってちょうだい。今夜は、貴方のために料理人が腕を振るってくれたのよ」
磨き抜かれた白いテーブルには、豪奢な銀の皿が幾重にも並べられ、食卓はまるで宝石箱のようだった。皿の上では、湯気を立てる香ばしいお肉が、色とりどりの野菜と共に芸術的に盛り付けられている。繊細なハーブの香りと、バターの甘い匂いが混じり合い、食欲をそそる。
しかし、リリィは椅子に座らず、その場に立ち尽くした。
「何か気になることがあったかしら?」
リディアがリリィの顔を覗き込むようにして声を掛けた。
彼女は、王立治療院で目覚めた時から積もらせ続けていた困惑を、そのまま声に出した。
「あなたも、私のことをカイさんから聞いてるんだよね?なんで……こんな……?」
「えぇ……。聞いているわ。だから、貴方のことをもっと知りたいの。例えば、そうね……。リリィは、どんな食べ物が好き?」
「好きな……食べ物……?」
リリィはうわずった声でリディアの言葉を反復する。
自分の過去を振り返る。スパイとして育てられた日々の中で、食事はただの栄養補給に過ぎなかった。『冷えたパンよりはできたてのパンの方が美味しい』程度のこだわりしか持ち合わせていない。思いつくのは、幼い頃母に作ってもらった……
「オムレツ。熱々で、ふわふわの……」
リリィは、小さく呟いた。その言葉に、リディアの顔がぱっと明るくなった。
「あら、そうなのね!奇遇だわ、私も大好きなの。料理人に言えば、いつでも作ってくれるから、遠慮なく言ってちょうだい。」
目の前で温かな笑みを浮かべる任務の標的に、リリィの心はかき乱されていた。
(これが、”あの”雷神王リディア……。なんかこれじゃ、まるで……普通の……)
セレスが優しい声で話しかける。
「まさか本当にあなたのような少女だとは思いませんでした……お腹の傷はもう大丈夫ですか?」
リリィは息をのんだ。一週間ほど前の夜、左腹部を蹴り抜かれたときの激痛が脳裏に蘇る。
しかし、目の前の自分の傷を案ずる女性が、あの時の冷徹な表情の女性と同一人物であると、上手く結びつけることができなかった。
「あ……うん……もう大丈夫。治療院の人が治してくれたみたい。」
リリィは目を伏せたまま答えた。
「そうですか……。もしまた痛むことがあればいつでも言ってください。」
セレスは胸をなでおろした。
(そもそもなんで私の傷を治療させたの……?)
「もう、セレス!気持ちはわかるけれど、今日はその話はよしなさい。」
リディアが微笑みを浮かべたまま窘める。
「さぁ、食事の準備ができたわ。冷めないうちに食べましょう?」
しかし、リリィは目の前に並ぶ料理に手を付けずに俯いていた。
「なんだ?お肉は苦手かい?おいしいのに。」
カイはひょいっとフォークを突き刺すと、彼女の正面の皿に供された肉料理を横取りした。
「カイ!あなた……いえ、解りますが、他にやりようはあるでしょう……。リリィ、新しいものを用意しましょうか?」
セレスは呆れた顔をしながら提案した。
「ううん、大丈夫。毒なんてないって言いたいんだよね。」
観念して食事を口に運ぶ。
「いただきます……」
食事を終えたリリィは部屋に戻った。
その日は、温かいベッドでぐっすりと眠った。




