13話:窮地
ルナが何かに祈るように目を瞑る。
希望を奪うように、倉庫に響き渡ったのは男の勝ち誇った声だった。
「ふはは!少しはできるようだが、手負いで勝てるほど甘くはないぞ、小娘!」
男はそう言うと、リリィの方に向かってゆっくりと歩き始める。
右足の痛みという杭が、彼女の体をその場に縫い付けていた。
しかし、その瞳は、決して揺らぐことなく、男の姿を真正面から捉えている。
ルナにとってリリィはヒーローだった。
真っ暗な森で道に迷い途方に暮れていた時にリリィは現れた。
パン屋の前でも男から守ってくれた。
ついさっきだって、もう駄目かもしれないと思った時に颯爽と現れる、瞬く間に男たちを薙ぎ倒してくれた。
しかし、今。目の前でうずくまる彼女の姿を見てルナは思い出した。
リリィは……お祭りの屋台を楽しみ、初めてのプレゼント交換に涙ぐむ自分と同じ少女だったと。
「リリィ!私のことはいいからもう逃げて!」
ルナは、全身からかき集めた勇気を足に込めて、飛び出した。男の足に縋り付く。
「だめ!ルナ!」
リリィの制止も、そしてルナの決意も、あまりに無力だった。男は邪魔な埃でも払うかのように、何の躊躇もなくルナを蹴り飛ばす。
「きゃあっ」
受け身も取れずに、ルナの華奢な体は鈍い音を立てて床に叩きつけられた。無残に擦れた手足からは、鮮血が滲み出している。
ボスはリリィの落とした短剣を拾い上げた。焦らすようにゆっくりとしゃがみ込むと、短剣をルナの首筋にあてた。
(させないっ……!)
その瞬間、男の視界が揺らいだ。リリィと短剣が、一瞬の残像を残して入れ替わる。
「あぁ!?」
予期せず、突如目の前に現れたリリィに、その巨体が僅かに動きを鈍らせる。
全身の痛みに耐えながら、最後の力を振り絞る。そのまま手甲を着けた右手で裏拳を打った。
「舐めるなよ!鋼の身体は攻防一体!」
男は防御の構えも取らず、体を屈めた不安定な体勢のまま受け止めた。
その裏拳は、確かに、右腕の傷跡をとらえていた。もはや、”そこ”が弱点であることに賭けるしか無かった。
「足りねぇな……。そんな力じゃ。」
男は静かに言った。
そのままリリィの右腕を掴むと、壁に向けて投げ飛ばした。男が投げたのは空気だった。
男の手元から、短剣が落下し、地面に転がる。
リリィは、投げられる直前に、短剣のあった場所に転移していた。
しかし、彼女は、プレス機に挟まれたかのような痛みに右腕を抑える。
「がっ!……あぁっ!」
(もう……魔力も……。)
男は、痛みに呻くリリィを冷ややかな目で見つめる。
「なるほど、それで倉庫に……。お前、こんな能力があるなら、何故逃げない?」
顎髭を撫でながら、二人の少女の顔を交互に見つめる。
「あぁ……戦場でもお前みたいなやつは真っ先に死ぬか……重症を負って離脱していったよ。」
ルナの首を掴み、体を持ち上げる。
「ぁ……」
ルナは逃れようと必死にもがくが、その抵抗は男の腕を撫でるばかりだった。
「お願い!ルナには手を出さないで……!私はどうなってもいいから……!」
リリィは絞り出すような声で懇願する。
「うるせぇぞ!ガキ!!そんな綺麗ごとばっかで……!!」
男は声を荒げる。大きく息を吐き、冷静さを取り戻したかのように続ける。
「だが……お前が俺たちにとって有益な存在になるならば、こっちのガキは見逃してやってもいいぞ。」
リリィを見下すその目は、まるで彼女の価値を品定めしているかのようだった。
男は、ルナの首から手を離す。彼女はその場に力なくへたり込んだ。両手を首元に当てて、苦しそうに呼吸を整える。
リリィはゆっくりと立ち上がると、右足を引きずりながらも、ルナを庇うように一歩前へ出る。
その体は小さく震えていた。
ルナは息も絶え絶えに、リリィの服の裾を力なく掴む。
「リ……リリィ……あなただけなら……逃げられるんだよね……?お願い。逃げて……」
部下たちの下卑た嗤い声が響く。
その時、男はそれすら掻き消す程の、周囲の空気を震わせる怒声をあげた。
「お前たちの、その目が気に食わねぇんだよ!他人のことばっか気にしてんじゃねぇ!我が身可愛さに泣き喚け……!逃げ惑えよ……!」
「それなら、おじさんは…………、おじさん程の腕なら、一人くらいなら国王軍の兵士として残ることもできたんじゃないの……?」
リリィの瞳は、真っ直ぐにボスを見つめていた。
部下たちの笑い声はいつしか消えていた。
ルナは、震える足で立ち上がると、リリィの横に立った。
「さっきね……椅子に縛り付けられてた時、隣の部屋からうめき声が聞こえたんだ。私の他にも捕まってる人がいるのかなって最初は思ったんだけど、あの声は、本当は……」
「黙れっ!!!」
男はルナの言葉を遮ると、拳を振りかぶった。
その実、男はこの”教育”を楽しんでいた。手負いの少女に対して狙ったのは右足と右腕。先の蹴りも拳も全て、インパクトの瞬間に力を緩めていた。
しかし、今、傭兵としていくつもの死線を潜り抜けた強靭な”力”が、無垢な少女に叩きつけられようとしていた。
左腹部は燃えるように熱い。
右足の感覚はもうない。
能力を使う魔力もない。
それでも、リリィは反射的にルナの前に飛び出していた。




