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9話:憧憬

 ルナはその日も、森のいつもの場所でリリィを待っていた。

 日が頭の真上に登り、森の木々も光に向かって精一杯背伸びをする頃、遠くから聞こえる落ち葉を踏む乾いた音に、彼女は期待に満ちた顔で振り返る。


 ルナの視界がとらえたのは、数日ぶりに会う少女の姿だった。


「ルナ……久しぶり。最近、ここに来れてなくてごめんね。」


 リリィは、まるで母親に叱られた幼子のようだった。しかし、ルナはそんなことは気にも留めていなかった。


「リリィ……?よかった。無事だったんだ……!」


 ルナの安堵の表情に、リリィの胸は締め付けられた。


「突然来なくなっちゃったから心配したんだよ!ねぇ、折角だから今からお昼ご飯を食べに行かない……?」


「でも、私、今日は予定が……」


「私のこと、嫌になっちゃった……?」


 地面に吸い込まれてしまうほど小さなルナの声に、リリィは抗うことができなかった。


「……もー。仕方ないなぁ。ルナはほんと甘えん坊さんなんだから。本当に私と同い年なの?」


(仕方ない?嘘だ。直ぐに任務に戻るつもりなんか無かった癖に……!私は……)


「うるさい!」


 ルナは顔を赤くしたまま、リリィの目を見て笑った。



 二人は寄り添いながら、町へ向かった。

 道中で、ルナは自分の周りで起きた何気ない日常の話をした。リリィは相槌を打ちながら楽しそうに聞く。結局、『この数日何をしてたの?』とルナは聞くことができなかった。


 二人が街の喧騒に溶け込み歩いていると、ふと活気の途切れた一角に出くわした。


 視線の先では、腰に剣を携えた男がパン屋の奥さんを威圧するように立っていた。店主は留守にしているようだった。


「やめて。おばちゃんをいじめないで!」


 ルナの細い体が、男と奥さんの間に割って入った。


 男は、必死に手を広げるルナの姿を鼻で笑った。


「なんだ?君は?これはね。お店を悪い人から守ってあげる代わりに、お礼としてお金をもらってるだけなんだ。”正当な対価”ってやつ」


「嘘!この街にそんな悪さする人なんていないじゃない!」


 ルナは、震えながらも真っ直ぐ男を睨みつけた。


「君……あのね……」


 男の手が、食べ物に湧いた虫を払いのけるかのように動く。ルナは咄嗟に目を瞑った。


「汚い手でルナに触れないで。」


 リリィは男の手を掴むと、静かに息を吐いた。


「またガキかよ。うぜぇなぁ!」


 男は苛立ちを露わにし、リリィを振り払おうとする。だが、彼女はその腕を掴んで離さない。想像を上回る力に、男はバランスを崩した。

 その隙を見逃さず、彼女は腰をかがめて男の懐に飛び込む。左手の短剣をくるりと回転させると、柄で男の腹部を刺突した。


「ぐっ!」


 鋭い衝撃に男が呻く。男は、数歩後退ると、よろめきながら腰に携えた剣の柄に手をかけた。


「まだやるの?」


 リリィは焦りを感じさせない無機質な声で言った。


「ちょっと!もうそこら辺にしといてくれ。お金はほらこの通りにさ。」


 奥さんは、ジャラジャラと音の鳴る袋を男に差し出す。


「どうして、おばさん達が一生懸命に働いて稼いだお金でしょ?」


「いいんです……。」


 騒ぎを聞きつけて駆けつけた店主は、肩で息をしながら諭した。

 男は差し出された袋をふんだくるように掴むとそのまま逃げていった。


 店主は奥さんに謝る。


「店を空けてごめんよ。まさかこんな時間に来るなんて思わなかったんだ。」


「何言ってんだい。あんた。私は気にしてないよ。」


 店主の奥さんはカウンターから焼きたてのパンを二つ取り出すと、ルナとリリィに渡す。


「あんた達も、ありがとうね。ほらこれ食べな。お嬢ちゃん達、立派だったよ。でも、あの男だって元々は……」


 パン屋の夫婦は、それ以上は何も言わず、ただ優しく微笑んだ。


「そんな!こんなの貰えません。」


 ルナは手を引っ込めたが、夫婦は二人に強引にパンを握らせた。



 二人は、雷神王の像が見守る広場に移動すると、ベンチに座ってパンを食べ始めた。その視線は、足元でパンのくずを運ぶ小さな虫に向けられていた。


「アタシは、さっきのアンタたちの行動は間違えてないと思うよ。」


 頭の上から女性のハスキーな声が降り注いだ。


「酔っ払いのお姉さん……!」


 リリィは驚いたように声を上げる。


「リリィ?この女の人と知り合いなの?」


 ルナはリリィと女の顔を交互に見る。


 リリィはきまりが悪そうにルナから顔を逸らす。


「えっと……ちょっとね。お姉さん、あの男の人のこと知ってるの……?」



「あの男は七年前の戦争で、エレクシアの傭兵として戦ってたんだよ。」


 女は数日前とは違う、しっかりとした声で語り始めた。


「リディア様は戦争終結の折、帝国に賠償金を求めなかった。帝国がそんなモンを支払える状態でないことは、アタシらのような……戦場にも出てない民草から見ても明白だった。それだけお互い死力を尽くした戦争だった。ムチャな要求をすれば、血で血を洗う戦いが今も続いてただろうね。」


 女は大きく息を吐くと、語り続けた。


「だが、賠償金があれば傭兵達に十分な恩給を払えていたかもしれない。彼らは命をかけて国を守った。誇りを守り抜いた。それでも、誇りで腹が膨れるわけじゃない。」


「でも、だからって、そんなの!甘えてるだけじゃない……!」


 ルナは震える声で、女の言葉を否定する。


 女は、ルナの手の中の、握りしめられて凹んだパンを見つめる。


「町の人達だって、今のやり方でいいとは考えてないと思うぜ。それで、アンタはどうすりゃいいと思うんだい?」


「それは…………わからないけど……」

 

 ルナの目は答えを求めて宙を彷徨う。リリィはただずっと黙って話を聞いていた。

 女は、しゃがみ込んで二人と目線を合わせると、二人の頭をガシガシと荒々しく撫でた。


「アタシだって、何が正しいかなんて知らねぇよ。でも、結局、迷ったときは自分の心に正直に生きるしかないんじゃねーかな?」


 女は立ち上がると、空に向かって声を上げるように笑った。


「まぁ、若人よ。今はこれでも飲んで落ち着け!」


 女は下げていた小さな袋をベンチに置くと、二人に背を向けた。袋からは瓶が二本、顔をのぞかせていた。


「お姉さん!私達まだお酒なんて飲めないよ!」


 リリィが女を呼び止める。


「バカヤロー。アタシが人に酒を譲るわけねーだろ。」


 女は振り向かずに、手をヒラヒラと振りながら立ち去った。


 リリィはぽかんと口を開けた。ため息をつきながら、袋から瓶を取り出す。それは、かわいらしい果実のイラストが描かれたジュースだった。


 女の言葉を胸の中で繰り返した。


(自分に正直に……)


「きゃっ!」


 首筋に突如として感じた冷気に声を上げる。


「きゃっ!だって。さっきはあんなにかっこよかったのに。」


 ルナは、冷えた瓶をリリィの首筋に押し当てながら、声を上げて笑った。


「ルナぁ!」


 リリィは怒りに任せて名前を叫んだ。しかし、その声は柔らかく温かなものだった。



 リリィはルナにつられて笑った。少し間をおいて、ふとルナが口元をきつく結んだ。その眼差しに宿った光を悟り、リリィは黙って彼女の言葉を待った。


「私ね、何が正しいかなんてわからない。でもね。今日私を庇ってくれたリリィを見て思ったの。私、強くなりたい。私は自分の思う正しさを貫ける力が欲しい。私に戦い方を教えてほしい。」



 ルナの出した答えを、リリィは小さな声で拒絶する。


「でも……強くなったっていいことなんかないよ……それにルナは私が守ってあげるから。」



「違うの。私も友達を守りたいんだ……!」


 強く握りしめた手は震えていた。

 リリィには、その時、分厚い雲を突き破って満月が姿を現したかのような、光が見えた気がした。


「……わかった。私がルナを鍛えてあげる。でも覚悟してね!訓練は甘いものじゃないから。」


「ありがとう、リリィ!」


 それはいつもの無邪気な笑顔ではなく、凛とした笑みだった。


「それなら、まずその髪をどうにかしないと。長い髪は綺麗だけど……戦うときは邪魔になるから。ちょっとまってて!」


 そう言って、リリィはベンチから立ち上がると、市場のアクセサリー屋さんに向かった。


 ルナは、彼女を見送ると瓶の蓋を開けた。



 ――数分後。

「はい、これあげる!」


 リリィは両手で包んでいた手を開く。そこには、赤い髪飾りがあった。ルナの瞳が、キラキラと髪飾りを映し出した。


「あ、ありがとう!」


 ルナはリリィの手から髪飾りを受け取ると、その場で身につけた。


「そうだ。実は私もね。これ、豊穣祭の日に、リリィを待ってる時にね!リリィに似合うかなって」


 ルナが差し出したのは、桃色の小さな石が中央にあしらわれたペンダントだった。


「着けてあげるからあっちに向いて」


 リリィはルナに促されるままに背を向けた。


 ルナの手が、首筋に触れる。温かな手に、リリィは無防備にその身を委ねた。


 彼女はペンダントの留め具を止めるとき、リリィの肩が震えていることに気づく。


「ありがとう……」


 リリィが涙ぐむ。


「ごめん……!と、友達とプレゼント交換なんてしたことなくて……うれしくて……!」


 言葉を詰まらせながら、ペンダントを両手で壊れ物を扱うように優しく包み込んだ。

 ルナは、髪飾りの存在を確かめるように後ろ手で触れる。


「別にそんな特別なモノじゃ……でも……私もね。ありがとう!」


 リリィの限界は確実に近づいていた。

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