想いを力に "Power of Anger"
―――戦闘が始まる。
1立方センチメートルあたり、たった数個の水素原子しかない超高度真空の中で、空間戦闘デバイス「テルラヴェス・コルバス」は停滞状態だった反物質ジェネレーターの出力を静かに上げ始めた。
自身を中心に直径数万キロメートルの空間に散布していたドローン群、空間偵察および誘導軌道システム(Astro Reconnaissance and Guidance Unit System)、通称ARGUSが、真っすぐ接近してくる物体を捉えたからだ。
第501前衛機動小隊は三機編成の空間戦闘デバイスTC-77"テルラヴェス・コルバス"、およびそれらの補給及び情報支援を担うK-12人工知能戦術戦闘指揮ユニット、そしてアルゴスの目たる多数の小型索敵ドローンで構成されている。
課せられた任務は太陽圏界面へ侵入してくる敵性存在の探知とその排除だった。
テルラヴェス・コルバスの反物質ジェネレーターが対消滅反応を開始し、唸うなるような音を出しながら機関出力を上昇させてゆく。
ジェネレーターのすぐ後部、テルラヴェス・コルバスで最も堅牢に作られた場所にはパイロットを強固に守るコックピットシェルがジェネレーターと同一のフレーム内部に設置されていた。
シェルの内部に満たされた微小機械流体群は機関部の出力上昇と同時に強靭な繊維質へと相転移《トポロジー転換》し、それまで液体の中で揺蕩っていた、一見すると華奢に見える身体つきのパイロットを、座席に括り付けるように固定した。
長期索敵任務は、パイロットに多大なストレスをもたらす。
長大な拘束時間に伴う負担を軽減するため、パイロットたちは半覚醒状態に置かれた上で、僚機パイロットとK-12戦術戦闘指揮ユニットを中心とした同一のVRネットワークに接続されていたが、戦闘準備に伴い自動的にネットワークからのログアウト処理が行われた。
パイロットを完全停滞状態にしないのは覚醒状態に戻すまで時間がかかり、不測の事態に即時対応ができないためだ。
また脳の動作速度を落とすことで、ネットワークの光速度遅延ラグの影響を低減させることができる。
広大な宇宙空間でリアルタイム通信を確立するに光速は遅すぎるのだ。
トポリキッドが第二頸椎の中心に設けられた接続部へ、亜麻色の髪の毛をかき分けるようにに流れこみ、ケーブル状へと姿を変えた。
脳と機体が有線接続されたことで、それらは個別の存在から統一された戦闘情報体系へと昇華する。
ARGUSから送られてきた情報は、機体の戦術戦闘知性が解析し、パイロットの脳内に拡張設置された戦術野に展開され、眼前にある複数のモニターが光を灯ともす。
TC-77、テルラヴェス・コルバスのパイロット、認証番号MLS570870〈アガワ・サキ〉は戦闘準備シーケンスを開始した。
――――人類が地球表面にへばりつきながら、虚ろな大義名分の元で、飽くなき破壊と殺戮を繰り広げ、海をも溢れさせるような流血の果て。
お互いの正義をかけた闘争が、一時のカタルシスを得るための現実逃避に過ぎないことに漸く気づいた人類は、二三世紀初頭、有史以来の悲願であった地球統一政府を樹立した。
他者への尊重と信頼を是とし、汎用機械知性と、特殊な訓練をうけた技術官僚達が、お互い協調しあう事で人類によってより良い未来を出力する。
それらによって構成された評議会を中核とする組織は人類統合制御機構「アミナー」(Autonomous Management Integrated Nexus Anthropocentric Regulation)と名付けられた。
永きにわたった戦争経済の帰結として、地球環境は急激に悪化していた。
高強度紛争が終結していても、地球温暖化による気温および海面の上昇、自立増殖型生物兵器による深刻な土壌汚染などにより、人類の居住可能域は減少しつづけ、現状において早期改善は見込めなかった。
アミナーは現時点における地球上での人類の持続的発展は困難と判断し、人類生存圏を宇宙へと広げる決断を下す。
しかし何光年も離れた惑星に、生きた人間を送り届けるのは合理的ではない。
「播種船」、その名のとおり主たる積荷は人工子宮に収められた受精卵の保管庫である、は核融合燃料であるヘリウム3と反物質をありったけかき集めてラグランジュ点L2より出発した。
百隻ほどの播種船の多くは星の彼方、旅の途上にあり通信もままならないが、そのうちの数隻が目的地へ無事に到着し、播種プラント展開に成功したとの報告が入ると、地球は静かな喜びに包まれた。
こうして人類はその連続性からは断絶した航海の果て、種そのものの絶滅を回避することに成功のである。
この宇宙が人類の想定を超えた巨大な悪意によって満たされていると、己が身をもって知るまでは。
人工子宮から誕生した第一世代人類が、自動機械達の庇護を受けながら成長し、安定した社会基盤の構築を達成してから一世紀がたった頃。
生活水準も向上し、同時進行していた地球化も順調に地球環境を再現しつつあったその時、人類は再び絶滅の危機に直面する。
あらたな世代が人工子宮から次々と誕生し、遺伝子プールの容量が種の存続に必要な閾値をようやく越え、植民計画を統括していた機械知性が安堵の溜め息に似た波形を出力した時だった。
構築した生態系を地殻ごと破壊するほどの巨大な小惑星が、意図的に惑星へ衝突させられたのである。
推定直径200キロメートルの小惑星が秒速30キロで衝突し、その結果解き放たれた10の27乗ジュールのエネルギーは惑星全体を灼熱の地獄へと変えた。
地殻を貫通する衝撃は、岩盤そのものをドロドロに溶解させ、超高温の噴煙が惑星全体を覆う。
惑星上のほぼ全ての人類が即死。
シェルターに逃げ込めたごく少数も、大規模な地殻変動の結果、地中深くへと閉じ込められ、再び太陽を臨むことはとうとう叶わなかった。
大気圏外へと免れた者や、星系内空間で活動していた者も僅かにはいたが、それらもアステロイドの衝突と同時に星系内に侵入していた何者かに一方的に攻撃され壊滅、そして――――
移民星系、数十万の人命は、地球時間にして一日に満たない時間で全て失われたのである。
しかし、彼らは最期の瞬間まで自らの死の過程を記録し続けていた。
彼らの落命後は自動機械達がそれを引き継ぎ、その情報を地球へ向けて発信し続けた。破壊され、機能を喪失するその瞬間まで。
距離およそ十二光年、その一報を即時量子場通信により荒廃した地球で受け取ったアミナーは当初困惑し、真偽を疑い、超高精度のレーザー通信による補足情報が長い光速遅延の末に着信し、情報量が次第に蓄積されるにつれ、アミナー内部は一種の恐慌状態に陥った。
人類が星々の海に乗り出して後、人類以外の知的存在との接触は当然予想されていたシナリオだったが、どちらかといえばアミナーはその接触に関して楽観的だったのである。
なぜなら、星々の海を渡るには膨大なエネルギーと長大な時間が必要不可欠だ。それらを同時に満たせるだけの技術水準に到達したものだけが広大な宇宙へとその歩みを進めることができる。
そのような高度な技術を有する文明が、果たして嘗ての人類のように、残されたパイの一切れを奪い合うような血みどろの絶滅戦争など行いうるだろうか。
それがアミナーの構成要素である機械知性とテクノクラート達が破滅的な接触は起こり得ないと考えていた所以だった。
亜光速推進に使われる反物質および核融合のハイブリッドエンジンは、播種船が目的地に到達した時点で船体より切り離され、生命維持はもとより都市運営などに流用される設計になっている。
反物質炉はその反物質の保有量によって制限があるといえど、瞬間発電能力においては核融合炉と文字通りケタ違いの発電能力を持っていた。
その大電力があれば元素の組み換えすら可能なのだ。
戦争の原因となりうる資源の奪い合いなど起こりうるはずがない。
もし到着先が人類の生存に全く適しておらず、テラフォーミングすら不可能と判断された場合、乗員は停滞状態に留め置かれたまま、播種船は全自動でハドロン衝突型加速器を展開する。
恒星のエネルギーを利用して、十分な反物質を生成した後に次の植民候補地へ向け再び出発するのだ。
都合が悪ければ他所へ行けばいい。宇宙は広大だ。
そのような合理的判断もできないような種族は、おそらく宇宙へと乗り出す前に、勝手に熱核戦争でも起こして絶滅しているだろう。
人類自身、そのような最終戦争の危機を幾度となく回避し、重力井戸の底からようやく這いあがったのである。
知性ある種族ならばきっと同じようなプロセスを経て、人類と大差ない哲学を持つにいたるだろう。
知的生命体はお互い分かりあえるはず。そう考えていたのである。
ともあれ、人類に対する明確な敵意を持つ存在、それらを「スパイナ」(棘)と呼称することに決め、人類、機械知性を問わずそれに如何なる対応をするのか昼夜を徹しての議論がなされたが、結局のところ、スパイナによる徹底した破壊をくぐり抜けて人類にもたらされた情報は僅かであり、それは対策を練るのに十分な量とは言えなかった。
現実問題として、差し迫った脅威に対しては実力を持って相対するしかない。
絶滅戦争を仕掛けてきた相手に対しては、|可及的速やかに《As Soon As Possible》対応策を練る必要があった。
だがしかし、これに関してはアミナーの予想とは反し、それほど困難な作業ではなかったのである。
何しろ嘗ての人類は兵器開発に偏執的といえる情熱をもっていたからだ。
あらゆる国々がイマジネーションの許す限り、夥しいほどのシチュエーションに対応した億万の破壊プランの記録を、かなりのコストをかけて未だ後生大事に保管しており、その不毛さは強化学習能力を持つアミナーの機械知性をも呆れさせるほどだった。
戦火による喪失を免れて厳重に保存されていた全ての記録を精査し、そこからスパイナに対して有効と思われる兵器や戦術が見出された。
アミナーは次に脅威にさらされるであろう可能性が最も高い植民星に、多種多様な兵器の設計図と防衛プランを送信した。
―――地球から乙女座の方向へ約十一光年、ロス128恒星系、第二惑星アストリア|(かつては惑星ロス128bと呼称されていた)では、植民第四世代目において現植民計画を破棄、自動工場プラント群は長期に亘るであろう戦闘に備えて全生産ラインを再設定した。
子を育み命を繋ぐために消費される予定だった資源が、破壊を専らとする兵器へと姿を変え、それらを扱う人員[#「人員」に丸傍点]すら最優先で生産[#「生産」に丸傍点]されることとなったのである。
星を挙げた準軍事体制からわずか数年、銀河系回転方向より接近する巨大な質量が恒星ロス128より百二十天文単位ほどの距離で発見されたのは幸運と言える。
大質量兵器が惑星アストリアへの衝突軌道に向けて最終加速段階に入る前に、第三惑星ロス128cが惑星移動エンジンにより周回軌道を離れスパイナの大質量兵器に衝突した。
ロス128cは、撤去が間に合わなかった高コストのテラフォーミングプラントごと粉々に砕け散ったが、スパイナがはるばる運んできた大質量兵器は、大小様々な破片の尾を引きつつ惑星周回軌道の外へと逸れていった。
そして、それを皮切りにして起きた戦闘は、全天をすべて破壊の光で塗りつぶすかのような苛烈さだった。
数年におよぶ交戦の結果、一時はエッジワース・カイパーベルトまでスパイナの侵入を許したものの、数にまさるアストリア防空戦隊は敵戦力の大半を太陽圏界面より追い出すことに成功、しかしアストリアの防空戦力もその八割以上を損耗し、それは辛勝というよりほぼ相打ちと言ったほうが適切な表現であると言えた。
現状、アストリアの防空戦力は早期警戒用の観測衛星を除き、オールトの雲周辺から撤退、減少した戦力をより狭い範囲に集結させるとことで防御を固めている。
敵の攻勢は小康状態にある。
太陽圏界面周辺では今でも散発的に戦闘が起きているが、大量にばらまかれた観測衛星からの情報によると、幸いなことに当面の間は大規模戦闘の心配はないようだった。
ここに至り、アストリア防空司令部はようやく戦闘においてもたらされた情報を戦訓会議(AFTER ACTION REVIEW)において分析する機会を得た。
戦域より収集された情報の中で特に重要性が高いと高レーティングされた情報は以下の四つである。
1)交渉も降伏も無意味だった。可視光含むあらゆる波長の電波で呼びかけたが、それによって敵の行動に変化は一切生じなかった。
2)敵は鹵獲の危機に陥った場合、速やかに自爆する。情報漏洩の防止のためにかなり厳密な自爆プロトコルが設定されているらしい。
3)敵機には明らかに無人ではない機体も存在する。
敵機の中には、その推進機関の形状から余力があるにも関わらずリミッターがかけられているかのような機動しか行わない固体が観測されていた。
なお、敵機体が危機的状況に陥った際、機動性が一時的に性能限界付近まで向上する固体も観測されているが、そういった機体はほどなく慣性飛行のみ行うようになり、直後に自爆している。機体内部で何かが死んだのだろう。
なお、蛇足であるが、あえて「有人」と書かないのは、搭乗しているのがそもそも人であるかわからないからだ。この場合の「人」とは知性体のことを指す。
3’)「無人ではないと思われる機体の致命的部位は機体の最前面に位置し、その他の箇所に比べて明らかに装甲防御が薄い。その箇所が破壊された個体は例外なく戦闘能力を喪失し、直後に自爆する。防御力よりも情報収集能力を優先させているのかもしれないが、明確な弱点をあえて前面に晒す理由を説明できる合理的理由は見当たらなかった。
――――実際に砲火を交えれば、敵に対しての理解が少なからずは進むのではと期待する向きもあったが、それは甘い思い込みだったことを思い知らされた。
少なくとも多大な犠牲に見合う情報とは言えないだろう。
防衛計画の発案を担う機械知性や、それを補佐する役割を持つ戦争官僚達の頭上を重い沈黙が覆った。
そもそも、敵の目的が全くもって不明なのである。
まさか殺戮だけが目的ではないだろうが、それすらも否定しきれたものではない。
敵軍の構成要素も不明なままだ。
指揮系統の有無や指揮官などの上位的存在の有無、それとも全体が並列化された群体のようなモノなのか。
もしくは敵には目的というものすらなく、なんらかの原因によって制御を離れてしまった戦闘機械が暴走しているだけではないか?
根拠無き推論が、水泡のように湧き出ては消えていく。
ともかく、より多くの情報が必要だった。
そこでアストリア防空司令部は防衛ラインの当面の維持と情報収集の為に、広大な守備範囲を相互に補完しあうための専用の通信装備を備えた前衛機動独立小隊群を編成。
先の戦訓を元に新たに開発されたK-12人工知能戦術戦闘指揮ユニットと新型空間戦闘デバイスであるTC-77が太陽圏界面内部へと侵入しようとする敵に対しての早期哨戒およびその排除任務へと就くことになったのである。
―――アガワ・サキは思考速度のフレームレートを、対機動戦闘用高速可変モードに切り替えた。
タクティーが提示した複数の戦闘オプションを検討している間に、友軍機からも敵性存在を確認との量子場通信が入る。
量子場通信は理論上タイムラグ無しで情報伝達ができるが、送れる情報量は僅か数ビットにすぎない。
しかも膨大な電力を消費するので、緊急時に圧縮通信を送信することしか許可されていない。
着信した量子暗号通信を解読すると、僚機二機が支援可能距離に到達するまで約三十分とあった。
僚機の支援を受けることができれば敵を圧倒できるだろう。しかし、スパイナの空間戦闘デバイスに対するキルレシオは1対1.3。
単機での戦力はテルラヴェス・コルバスを凌駕している。
技術水準はテルラヴェス・コルバスに比べ僅かに劣っている部分があると推定されているのにも関わらず。
対等な条件では負ける確率が高い。
僚機は全速で救援に向かってきているが、到達までにこちらが撃破された場合はタイムラグを利用した各個撃破戦術により部隊が全滅する可能性すらある。
敵は接触したARGUSのセンサードローンを、低出力レーザーと噴射炎で焼き尽くしながら、こちらへと向かってきている。
彼我の距離、未だ大きく、光学観測もマルチフェーズドレーダーも敵の対抗措置によって無効化されているが、敵のおおよその位置は予測できていた。
破壊され、通信の途絶したドローンの位置よりARGUSが敵の移動経路を推定しているからだ。
テルラヴェス・コルバスの周りに敵の観測機械の気配は無い。
しかし敵はこちらの位置を概ね割り出しているようだ。
こちらのセンサードローンの配置から、母機であるテルラヴェス・コルバスのおおよその位置を掴んでいるのかもしれない。
敵機が先にこちらの位置を正確に捕捉したら、回避不能な速度まで加速された大質量飛翔体に狙い撃ちにされる。
敵機の全力加速が上乗せされた運動エネルギー弾は、防御力場を易々と貫通し、機体を完全に破壊するだろう。
ARGUSからもたらされた情報を元に、テルラヴェス・コルバスに搭載されたマルチフェーズドレーダーの探査範囲を絞り込む。
レーダーに反応あり。敵機をついに捕捉した。
敵機の周囲に位置していたARGUSのセンサードローンが、一斉に敵機へ向けてフォーカスする。
敵機の現在位置や進路、速度など全てのベクトル情報が、アガワ・サキの戦術野に次々と流れ込んでくる。
敵機もコルバスのレーダー波照射を受けてこちらの位置を把握しただろう、しかし判明した敵との位置関係からすると敵が砲撃体制に移るまでにはベクトルの調整が必要なはずだ。
まだ必中の距離ではない。
ただ、敵機はこちらのレーダー照射など意に解さぬように依然として全速力で距離を詰めてきていた。
見る間にレーダーの表示領域が近距離表示へと遷移してゆく。
タクティーより敵機の接近警報が概念伝達された。
反物質ジェネレーターが貴重な反物質を炉心に惜しげもなく投入し、機関出力が一気に上昇する。
マスターアームスイッチ、オン。
電力が流し込まれ長い眠りから目覚めた兵装達が、ニューラルリンクを介し次々とアガワ・サキの戦術野に接続されてゆく。
全武装の起動および接続完了。
All weapons free(全兵装使用自由)
主推進装置のプラズマロケットモーターが眩い光を放つ。
テルラヴェス・コルバスは戦闘機動を開始した。
こちらの噴射光は敵からもはっきりと視認されたはずだ。
アガワ・サキは各部スラスターをキックし即座に乱数回避機動を開始した。
それにあわせて、二機の自立思考型核融合ミサイルを機体中央のミサイルチェンバーから放出。
アガワ・サキはそれらを後方に置き去りにし、主推進装置の出力を急上昇させる。
二機のミサイルは機関を低エネルギー状態で維持したままだ。
一方でテルラヴェス・コルバスは全力加速によって周囲にエネルギーや可視光、電波をまき散らす。
これでコルバスに対して観測装置をフォーカスしている敵機が、低エネルギー状態のミサイルを見落とす確率は有意に上昇するはずだ。
テルラヴェス・コルバスは、プラズマロケットモーターの最大噴射によって敵の軸線からわずかに逸れるように、敵機の接近方向とは逆向きに全力加速している。
敵も即座に推進ベクトルを微調整し、再びコルバスの未来位置に対し交差軌道をとったが、その間に彼我の相対速度は大幅に低下した。
現状、大質量飛翔体で射撃されても回避は十分可能だろう。
敵機は加速を続け、テルラヴェス・コルバスに追いすがる。
コルバスと敵の軌道が同一軸線上に並んだ。
敵から見るテルラヴェス・コルバスは、その噴射光の中にちょうど隠れてみえるはずだ。
アガワ・サキは加速を停止し、運動ベクトルを維持したまま機体を反転させ、敵機と相対した。
ヘッドオン、大口径光学センサーが敵を捉える。
データベース照会、イメージが一致、ZE-003ドレドフルキャンサー、遭遇記録が最も多い、スパイナの主力重戦闘デバイス。
アガワ・サキは励起状態を維持していた低出力レーザーを、敵機に向かって乱射した。
どうやら先手を取ったらしい。
敵のセンサーは直前までコルバスの噴射光を直視していたため、イメージリテンションからの回復にわずかに時間がかかった為か。
敵機も回避運動を開始した。
敵の防護フィールドに負荷をかけれるほどの照射時間は維持できないだろうが、防御の薄い敵の光学センサーを妨害できたかもしれない。
もっともあくまで牽制射撃だ、それは期待しすぎだろう。
レーザーの照射範囲に敵防護フィールドの揺動が観測された。
そこから敵機のフィールドの出力を推定、それほど堅くはない。
戦闘前に組み立てた想定の範囲内だ。
タクティーが戦術オプションを提示し、効果的な兵器を選定する。
テルラヴェス・コルバスの主力固定武装、機体左右に懸架した二門の大口径レールガン。
口径30センチメートルの電磁加速砲弾には、炸裂時に矢のような形状の散弾をまき散らすフレシェット弾頭と、炭素で作られたマイクロフィラメントが何重にも折りたたまれて装填されているネット弾頭が、前後搭載されている。
テルラヴェス・コルバスの戦闘知性と精神結合しているアガワ・サキが発射イメージを想起すると、コンデンサバンクから大量の電力が砲身へと流れ込み、強烈なローレンツ力により電磁加速された弾頭が立て続けに発射された。
射出時の反動は打ち消さず、機体の後退速度に上乗せする。
まず最初にフレシェット弾頭が爆発し、そのすぐ後に弾体内部にらせん状に折りたたまれていたネット弾頭が起動した。
敵機とコルバスの間にフラーレンでできた凶刃鋭利な網が拡張展開された。
敵機の防護フィールドに低質量のフレシェット弾で効果的なダメージを与えることは困難だ。
それはあくまで後続するネット弾頭の存在が露呈するのを可能な限り遅らせる為の囮にすぎない。
蜘蛛の巣のように細く強靭なフラーレンネットが敵機に衝突すれば、その網の先端部分が振り子のように敵機の後ろに回り込んで絡みつく。
推進装置は空間戦闘デバイスにとって共通の脆弱部だ。
フラーレンネットの各所に微量の反物質爆薬が編み込まれているのは敵戦闘デバイスの推進装置にダメージを与える意図がある。
敵の脆弱部にネットが絡みついたとき、反物質が電磁保持檻から解放され、敵の至近で対消滅反応を起こすようになっている。
ただ、ネット弾頭が回避されたとしても、敵機ドレドフルキャンサーは軸線上を大きく外れ、こちらへの接近速度は大きく損なわれるはずだ。
そこに敵機後方より最大加速で接近してくる核融合ミサイルが命中するタイミングと同期し、大質量徹甲弾を装填したレールガンで前後から挟撃すれば敵機の撃破確率は大幅に上がる。
それがアガワ・サキとテルラヴェス・コルバスの戦闘知性が導き出した戦術だった。
ドレドフルキャンサーはこちらの思惑どおり、フレシェット弾を防護フィールドで受け流した。
直後、展開されたフラーレンネットをセンサーに捉えたのか回避行動を開始。
後方より接近する核融合ミサイルが最接近するまで約10秒。
アガワ・サキはレールガンにとどめの徹甲弾を装填し、砲撃用コンデンサバンクに電力をフルチャージし、
その時だった、敵機はテルラヴェス・コルバスとの間にあったフラーレンネットの最後の一枚を回避せず正面から突っ込んだのである、その存在を認識していたにも関わらず。
ネットが機体に絡みつき、対消滅反応による爆発が機体後部脆弱部をもぎ取る。
敵の推進装置が放つ光は大幅に弱まったが、相対速度は変わらないどころか爆発の衝撃によりむしろ増大した。
予測射撃位置を外され、テルラヴェス・コルバスは機体制御を行い敵機に対して砲身を指向させようとするが間に合わない。
核融合ミサイルと攻撃タイミングがずれる。
不測の事態を察知した二機の核融合ミサイルは起爆を中止しようとするが、そのうちの一機は起爆シーケンスの停止に失敗、ドレドフルキャンサーのすぐ後方で核融合反応が起き、その強烈な反動は敵機をさらに前へと押し出した。
敵機の機体後部は壊滅的な損傷を受けただろう。
後方に伸びていたプラズマ噴射が消えている。
主推進装置は完全に機能を停止しているはずだ。
しかし敵機は依然として高エネルギー状態を維持していた。
驚くべきことに機体後部を大きく欠損し、主推進機関に致命的損傷を受けながらも、それに直結されたフィールドジェネレーターは稼働を続けていた。
敵機は依然として戦闘能力を維持。
自爆そのもののような敵機の行動に、アガワ・サキもタクティーも予想外の衝撃を受け、対高速戦闘思考制御にマイクロセカンドのわずかな空隙を作ってしまった。
反応が遅れた結果、両機体は減速もせずに真正面から衝突した。
お互いの防護フィールドが接触し、発生した斥力場すら無効化するような運動エネルギーが、両機体に深刻な破壊をもたらした。
接触部位の装甲はひしゃげて飛び散り、短絡したフィールドが火花を散らす。
レールガンが二門とも滅茶苦茶になりながら兵装懸架部ごと千切れて虚空へと消えた。
衝撃でコンデンサバンクが破裂し、蓄積していた電流がオーバーロードをおこして回線を焼き切る。
過電流の直撃を受けた機体前面部の武装は、脱落したレールガン以外の武装もすべてオフラインになっていた。
そして、歪んだ船体構造物がエンジンブロックとコクピットを引き裂いて気密を破る。
裂け目から大量の空気が漏出し、それと共に破損した機器の一部や漏れ出たトポリキッドが噴き出ていく。
アガワ・サキの血液がコックピット内部を漂い、急激な減圧のせいでそれらは一瞬で赤い霧と化した。
コルバスのダメージコントロールが機体致命部位への深刻な損傷を検知し、パイロットの生命保全緊急プロトコルを起動した。
トポリキッドが即座にアガワ・サキの頭部表面を覆い、簡易的なヘルメットを形成する。
まず気密を確保し、そこに空気を満たしつつ、トポリキッドが頭部負傷部位を応急措置した。
内分泌制御が働き、血中のアドレナリン値が安定する。
コックピットシェルが損傷した際に、破片が額の表面をえぐったようだ。
傷の痛みも即効性の局所麻酔がトポリキッドを介して投与され、今は疼痛程度におさまっていた。
目をやられなかったのは不幸中の幸いだった。
ヘルメット内部の頭部装着型表示装置に、生き残った外部センサーからの情報が次々と映し出されていたが、アガワ・サキは衝突の慣性を吸収しきれずに変形し続けているコクピットシェルの隙間から、目を離すことができなかった。
衝突の際に破損した構造物がお互いの機体にめり込み、両機は絡み合って離脱もままならない状態になっている。
そして、コルバスのコックピットシェルの正面には、ドレドフルキャンサーの機体前面が目の前にあった。
報告にあった敵の脆弱部がすぐ目の前にあった。
激しい損傷により装甲は脱落し、その内部が露わになっている。
――――それは、概ね人類に相似していると言っても良いだろう。
その胴体からは二対の腕が飛び出ていることを除けば、身体のシルエットはそれほど人間と変わらない。
胴体の上にあるのは頭部なのだろう、顔のようなものが見える。
左脇あたりからは手術によって後天的に付け加えられたような腕が1本はえていた。
つまり、腕は合計で5本あるようだ。
パイロットスーツは外から内部を確認するためか、様々な部位が透明な素材で作られてる。
脇腹から飛び出た腕の接合部は、稚拙な縫合によって皮膚が完全に閉鎖されておらず、そこから体液が滲み出ていた。
頭部には情報伝達系や生命維持系と推測できる数本のチューブが乱雑に突き刺さっていて、口腔部に取り付けられた透明な素材でできた呼吸器と思しきものは、顔面に直接縫い付けられていた。
それが雑な手術なのはすぐに分かった。
縫合により顔面の皮膚が大きくひきつり、歪んでいるからだ。
眼前にある敵パイロットは、瞼のない黒く大きな両目を潤ませ、怯えるような表情でこちらを凝視している。
おののくパイロットの表情から推測すると、どうやら内分泌系制御が存在しないか、もしくは非常に限定的な制御しか受けていないようだ。
内分泌系制御による生理機能や感情の制御は、空間戦闘デバイスのパイロットにとっては必須の身体改造だ。
10Gを超える戦闘加速に耐える肉体も、高負荷に伴う苦痛を完全に消し去ることはできない。
それらはパイロットの判断を狂わせ、身体的ポテンシャルを大きく引き下げてしまうとともに、機体に搭載された戦闘知性との同期にも悪影響を与えてしまう。
恐怖に耐えかねたせいか、まるで発作でも起きたかのように敵パイロットの胸部から腹部にかけてが蠕動している。
アガワ・サキは、その姿に一瞬憐みのような感情を持ったが、それと共に視界に入った敵パイロットの顔貌に、強烈な違和感を覚えた。
痛みや恐怖以外の感情とは違う何かが、その引き攣った表情の隙間にのぞく。あれはまるで、優越感や蔑みを表しているかのような?嗜虐的な笑み?一体なんだというのだ?
その時だった。コルバスから危機感の緊急概念伝達、アラートの発生方向を見ると、ドレドフルキャンサーの船外作業用アームがアガワ・サキを指向していた。
先端にはプラズマトーチのようなものが据え付けられていて、それはヘルメットのバイザーが自動で明度を落とさなければいけないくらい、突き刺すような鋭い光を放っていた。
機体の防御が万全であれば、機体表面に張り巡らせたフォースフィールドがプラズマをはじき返すことなど容易い。
しかし、今はコクピットに大きな開口部ができてしまっている。
白熱したアームを突き込まれたらひとたまりもない。
アガワ・サキの身体は一瞬で蒸発して真空へと噴き出し、たちまち霧散するだろう。
コックピットに対する直接的な脅威に対応するため、そのすぐ近くに装備されているCIWSを敵の作業用アームに向けようとするが、衝突の衝撃により基部がねじ曲がっており、射撃可能範囲が大きく損なわれてしまっていた。
現状、コルバス搭載の兵器で敵機の行動を妨害する手段は無い。
起爆停止に成功した核融合ミサイルはオンラインだったが、至近距離戦闘で用いるには威力が大きすぎる。
もし起爆させたら、すでに大きなダメージを負っている機体はどちらも完全に破壊されるはずだ。
プラズマトーチがコクピットに届く寸前、ギリギリのところでコルバスの船外作業用アームがオンライン状態へ復帰した。
残り少ないトポリキッドが、損傷していた機内の通信経路にバイパスを形成し、再接続した為だ。
コントロールスティックでの操作は間に合わない。
脳への負担には目を瞑り、ニューラルリンクで作業アームに接続すると、人間の手を模したアームの先端が敵機の作業用アームのシャフトをつかんで押し返す。
テルラヴェス・コルバスの船外作業用アームは、繊細な作業も行える分、強固な構造をしていない。
すぐにアームの関節部および構造物に対する過剰なストレスをセンサーが検出した。
関節部のモーターが焼き付くのが先か、アームのシャフトが破断するのが先か、どちらにせよ敵のアームに力負けした時、1万ケルビンを超えるプラズマアークがコクピット内部を完全に焼き尽くす。
アガワ・サキはテルラヴェス・コルバスとのリンクを解除、機体は自立制御モードへと移行した。
アガワ・サキと機体をつなげていたトポリキッド製のコネクティングケーブルの大部分は最小限の通信機能のみを残し、余剰分は液状化してアガワ・サキのパイロットスーツ各部位に移動、そこで船外活動および白兵戦用プロテクターへと変化した。
コクピット開口部に手をかけると身体を外にむけて引き上げ、アガワ・サキは虚空へと身体を投げ出した。
敵のパイロットがこちらの行動を視認したのだろう、プラズマトーチがこちらへ向けてわずかに動いたが、こちらの船外作業用アームはまだ持ちこたえている。
アガワ・サキはコルバスの機体表面を蹴って、敵パイロットめがけて跳躍した。
無音の真空中では、自分の呼吸音や心臓の鼓動音、スーツが擦れる耳障りな音が増幅される。
アガワ・サキと機体をつなげているのはデータ転送用の細いケーブルが一本。
機体から離れたので、無線通信に切り替えていた内分泌系制御が弱まり、心拍が昂っているのを感じる。
敵のパイロットまでは僅か数メートル。
すぐにコックピットシェルの近くにたどり着いた。
敵機の外装に手をかけて取り付くと、そこからは機械の振動音や軋む金属の摩擦音とともに微かだが、声のようなものが接触部を通じて伝わってきた。
構造物を伝播することで周波数も変わってしまってるので不明瞭だが、叫び声のように聞こえる。
アガワ・サキは開口部の縁に手をかけて敵コクピットシェル内部に体を乗り入れた。
敵パイロットの全身が、まさに目と鼻の先にある。
敵の胸から腹にかけては、まるで何かの発作のように波うっており、頭部は小刻みに震えていた。
透明な呼吸装置の向こうに見える口吻は引き攣り、叫びをあげている口の奥は、何もないかのような漆黒だった。
二対の腕も両足もビクビクと痙攣しており、そのたびに機体と身体とを直接縫い付けている接合部がつっぱる。
引き裂かれた傷口から黄色い体液が漏出していた。
脇腹から生えているバイオニックアームだけは、恐怖で錯乱し、悶えているように見える敵パイロットの意思から切り離されているかのように微動だにせず、コントロールデバイスと思わしきものの操作を淡々と続けていた。
その時、後方のテルラヴェス・コルバスから再び危機感の概念伝達がされる。
コルバスの作業アームにかかる応力が限界を超えつつある。
関節の一部が損傷、アームの保持力が二割ほど低下した。
敵のプラズマトーチは方向を変えて、敵のコクピットにとりついているアガワ・サキのほうを向きつつある。
こいつ、まさか自分ごと私を焼くつもりか。
アガワ・サキが戦闘中にスパイナに対して感じていた違和感、その正体とはこれだったのだ。
敵はそもそも最初から生還を望んでいない。
むしろコイツはどうやって死ぬかをずっと考えていた。
クソッ、死にたいなら勝手に一人で死んでくれ。
こいつらは他者はもとより、自身の命すらも軽視している。
アガワ・サキの中にあった異形に対する恐怖心は、ここに至り激しい怒りの感情により完全に上書きされた。
陰惨に改造された身体を目の当たりにして慄き、憐みすらも感じていたが、敵の意図に気づいた瞬間にそんなものは消え失せた。
戦士としての矜持など、敵の中には欠片もないのだろう。
その醜い身体におあつらえ向きの卑劣な精神、それは空間戦闘デバイスの一部として見ても中途半端な存在だった。
そんなに死にたいのか。
だったら絶対死なせない!
後ろを振り返りプラズマトーチの位置を確認する猶予がないのは分かっていた。
応力の集中と関節繊維の剥離、警告とアラートが交互に脳内で鳴り響いていたからだ。
アガワ・サキは耳障りな警報を管理者権限で強制停止させると、敵パイロットのバイオニックアームの付け根をつかみ、力ずくでそれをへし折った。
敵のパイロットスーツごとバイオニックアームの接合部が裂けた。
つられて破れた皮膚の穴から黄色い体液が噴出し、パイロットの身体は激痛でビクビクとのたうちまわった。
アガワ・サキは右手を抜手の形にすると、裂け目に向かって勢いよく突き入れる。
皮膚とバイオニックアームの接続部分の隙間をこじ開けながら無理やり腕ごと突っ込み軟組織を掻き分けると、熱を帯びた体液がまとわりつき、強張った筋組織の抵抗を感じた。
アガワ・サキの手首からはトポリキッドが敵パイロットの体内に吐出し、即座に電子生体回路を形成、バイオニックアームが接続していた神経回路を浸食し、中枢神経への経路をつないだ。
有線接続されているテルラヴェス・コルバスから電子支援を受けつつ、敵パイロットの中枢神経、さらにそれを経由して敵機ドレドフルキャンサーの演算回路に最大出力でハッキングを開始した。
しかし、ケーブルが細すぎて必要な帯域を確保できない。
アガワ・サキは自身の生命維持に必要な部位以外のトポリキッドを繊維状に変化させ、コルバスと接続しているケーブルを再び増強、通信帯域を拡張させた。
背後で敵アームの動きが止まったのを感じる。
テルラヴェス・コルバスとアガワ・サキの脳は敵機の動作阻害と分析、敵機ネットワーク上で稼働できる侵襲型ハッキングシステムの構築を同時に行っている。
アガワ・サキの脳は最大稼働状態に伴い血流が増大し、脳深部の冷却能力に深刻な不足が生じていた。
内分泌系制御で打ち消しきれない苦痛に顔をしかめながら、それでも自身の脳を経由してテルラヴェス・コルバスに送られる情報を、アガワ・サキも自身の脳バッファが許す限り把握しようとした。
ワイヤー状に相転移し、敵の体内で大きく枝を広げたトポリキッドが敵パイロットの身体各部から構成元素を分析開始。
敵の生理形態は人類と大きくは変わらないようだ。
つまり、あまり認めたくはないが敵も我々と同じヒューマノイド型炭素生命体だということになる。
酸素を呼吸し二酸化炭素を排出し、心臓のような器官を用いて体中に体液を循環させている。
アガワ・サキはその類似性に奇妙な腹立たしさを感じた。
相手を殺す気はなかったが、敵の感じる苦痛に斟酌しようとは特に思わなかったので、トポリキッドは敵の体内で末梢神経のように無節操に広がった。
敵パイロットは体の内部から幾万もの針で突き刺されるような激痛を味わっているだろうが、苦痛を顧みない容赦ない構造解析の結果、生体組織の組成がほどなく判明した。
敵の生体機能をある程度分析した時点で、傍受していた神経系データストリームの解読にめどがつく。
酸素や二酸化炭素を表す文字列が判明した為だ。
心臓の拍動回数から数値を表すデータも判明する。
ここまでくれば後は単純な方程式を解くように、ネットワークを行きかうトラフィック全体を解読することができる。
アガワ・サキとテルラヴェス・コルバスは判明した情報を糸口として、敵の戦闘システムと敵パイロットの構造を次々と紐解き掌握していった。
やはりそうか、この機体はパイロットの生命活動の停止と共に自爆するようになっている。
感情にまかせて首をへし折らなくて良かった。
敵の生命維持システムからドレドフルキャンサーのマンマシーンインターフェースへと強制アクセス、密度の高い中枢神経叢が頭部に一つ、そこが脳で間違いない。
スパイナも体内から中枢神経に直接ハッキングを受ける事は想定外だったのだろう。
大した抵抗も無く、脳に対しての優先アクセス権を敵システムより奪取した。
逆侵確率が大幅に低下したので、多重展開していたファイアウォールを必要最小限の強度へと縮小し、その分の計算資源をすべて高速解析へと回した。
防壁を薄くしたことで概念視野がクリアになり、敵パイロットの体内構造を概ね把握、神経系も精神構造もよく似ているとまでは言えないが、人類と共通している箇所が点在している。
見た目はともかく、内面においてはヒトと比べて全く異質な存在というわけではなさそうだ。
しかしそこで、アガワ・サキは奇妙な感覚を覚える。
フィルターをすり抜けてくる微細な情報が、アガワ・サキにえも知れぬ不快感をもたらした。
それは何かの感情や思考を強要されるような感覚だった。
違和感の大元を探ってみると、どうやら人類でいうところの小脳と中脳の間に、パイロットの肉体が従来持っているものとは違うプロトコルで動いている生体組織がある。
後付けの内分泌制御系器官のようにも見えるが、何かおかしい。
トポリキッドがリアルタイムで敵の中枢神経の最奥部に位置する精神活動をモニタリングし、そこから見出された情報を目の当たりにしたとき、アガワ・サキは思わず息をのんだ。
ちがう、ちがう。
こんなことは許されない。
これは人類の理念とも生存戦略ともまったく相いれない。
この器官は脳の中枢部から身体のあらゆる感覚受容体に直接干渉することで、敵パイロットに苦痛をもたらす為だけの器官だ。
アミナーが高く評価をしていた敵の戦闘技術の礎となっていたのは、脳に拷問装置を組み込むことで命の続く限り戦闘を強要するシステムだった。
アミナーの成立以降、人類が構築するシステムは、その根底にそれを扱うものに対しての信頼と尊重が組み込まれている。
それは博愛主義などではなく、協調と共感こそ人類が長い進化の末に獲得した自身のポテンシャルを最大化するための生存戦略だと機械知性が結論付けたからだった。
地球の重力を脱した人類のコミュニティは、程度の差こそあれ個人が生来持ちあわせている善意や良識こそが人類全体を未来に向けて強力に推進するという哲学を共有し、人権の尊重や生活環境の改善等を、あらゆるテクノロジーを用いて強化してきたのである。
宇宙という過酷な環境で人類がその存在を永らえるには、他者に対しての信頼や互助関係といったものは呼吸する空気に匹敵するほどかけがえのないものだった。
スパイナの設計思想にはそれが一切無い。
むしろそういった我々自身が拠り所としている「人間らしさ」というものが徹底して排除されていた。
機体脆弱部であるコックピットの防御をあえて薄くし、敵の眼前にさらけ出すのも、そういった意図によるものなのだろう。
恐らく、長期任務に対してストレスを軽減する措置なども無い。
狭いコックピットにとらわれて身動きもままならず、脳内物質と薬物によるコントロールを恒常的に受け続け孤独に戦い、その果ての”死”のみを待ち続ける日々。
それはもはや永劫に等しい責め苦だ。
アガワ・サキは、戦闘を通じて、スパイナとコミュニケーションをとるための糸口が僅かでも見つかるかもしれないと心のどこかで考えていた。
しかし、このような最悪の戦闘システムを兵士に強いるような社会と、一体どのような対話や交渉が可能だというのか。
和平など不可能だったのだ。
アガワ・サキの脳バッファには敵パイロットの断片的な内的イメージが流れ込んできていた。
それは見るものを絶望の淵に引きずり込むような底無しの虚無と、そこに浮かび上がった真っ赤な裂け目だった。
その裂け目からは、鈍い光沢を放つ内臓のようなものが垣間見える。
赤黒く太い腸管のようなソレは、闇の中でおぞましくも蠢動し、そのせいで裂け目は広がり続けていた。
切り裂かれるような苦痛を絶え間なくもたらすことで、一切の安堵も休息も許さない。
腸管の中では閉塞が起きていて、そこに流れ込むあらゆる負の感情が行き場を失い内部で滞留し、そこで腐敗していく。
腐敗した内容物が作り出す臭気で怒張した腸管は、破裂して中身を撒き散らす瞬間を今か今かと待ちわびているかのようだった。
その腐臭漂わせるおぞましき中身こそ、自分自身すらも含めたこの世のありとあらゆるものに対する怒りの感情そのものだった。
こんなモノが、敵の力の源だというのか……!
アガワ・サキは厳しい訓練の結果、どれほど過酷な状況でも感情を制御し、冷静に判断を下す強固な精神を培っていた。
しかし、視覚や聴覚を通さずダイレクトに脳に伝わる敵パイロットのイメージによって、アガワ・サキはわずかに怯み、それが反応を遅らせた。
ハッキングは敵パイロットの生命維持以外に関わるあらゆる動作を阻害していたが、ドレドフルキャンサーのプラズマトーチは依然として作動を継続していた。
アガワ・サキとテルラヴェス・コルバスは敵のシステムの現状維持を優先命令にしていた為だ。
しかしプラズマトーチが耐熱限界を越える時間稼働し続けた結果、プラズマアークの放出部が溶解し、作業アームは制御を失った水道のホースのように無秩序に暴れて破片を撒き散らした。
安全装置は上書きされていなかったので、プラズマの放出はすぐに停止したが、その間にアガワ・サキとテルラヴェス・コルバスの間に張られていたトポリキッドの有線リンクケーブルが、飛び散った超高温のプラズマで切断されてしまった。
タクティーが担っていた演算支援が途絶え、アガワ・サキの生脳には許容範囲を超える負荷が一気にのしかかる。
脳を焼くような苦痛に思わずうめき声が漏れた。
生身の脳たった一基では計算リソースが決定的に不足している。
敵機の動作阻害はかろうじて継続できていたが、敵パイロットの拘束に重大な支障が生じた。
それまで身じろぎもままならず、チック症状のように断続的に苦痛の表情を浮かべるだけだった敵パイロットは、その口端に奇妙な表情を浮かべた。
アガワ・サキ自身は依然として敵パイロットの神経系とダイレクトリンク状態にあり、その不可解な表情の意味を即座に理解。
渇望していた終末のイメージ。
敵パイロットは自由になった右手で、自身の顔に装着されていた生命維持装置を引き剥がし、握りつぶした。
生身の顔面が真空に暴露され、視覚や聴覚を担う器官から体液が噴き出す。
敵パイロットは頭部を前後に激しく揺さぶり、その顔面を激しく引き攣らせて、真空の中で声ならぬ断末魔をあげた。
そしてすぐにアガワ・サキに異なるイメージが伝達される。
それは心の平穏だった。
脳内の拷問器官は依然として動作を継続していたが、それを打ち消して余りあるような恍惚感がそこにあった。
迷っている暇は一切ない。
アガワ・サキは敵パイロットの首筋を鷲掴みし動きを止めさせると、自身の頭部を保護していたトポリキッド変性ヘルメットを解除した。
トポリキッドは即座に敵パイロットの生命維持装置へと変化し、アガワ・サキはそれを無理やり敵パイロットの口の中へねじ込む。
敵の生理解析は進んでいたので、酸素供給をしつつ、致命的にならない程度に高濃度の二酸化炭素を吸気させると敵パイロットは即座に意識を喪失した。
急激な減圧により鼓膜が破れ。眼球が飛び出しそうになり思わず手で押さた。
口を閉じ、歯を食いしばってもその隙間から肺の中の空気がどんどん抜けていく。
物理的にも遺伝的にも強化された肉体を持つテルラヴェス・コルバスのパイロットであろうと、生身の状態で真空中を生存できるようには創造されてはいない。
窒息の苦痛は内分泌系の制御をはるかに超えていた。
視野が狭窄し、酸欠による激痛の中で意識が薄れてゆく。
アガワ・サキが吐き出した悪態は、彼女の行動とは真逆の意味を持っていた。
「くそったれスパイナ、くたばれ……」
視界が一瞬真っ赤に染まると、すぐに脳の中を虚無が満たした。
アガワ・サキは窒息し、意識はそこで連続性を失った。
――――第501機動独立小隊は、星系外縁部《オールトの雲》を通過、密集隊形を維持したまま加速フェーズに入った。
彼らは太陽圏界面での哨戒任務を解かれ、K-12戦術戦闘指揮ユニットには通常の機動戦装備の代わりに、冷凍された五百個の受精卵を含む播種コンポーネントが装備されている。
空間戦闘デバイスの乗員など、戦闘用に生産された人員は人権を制限されているが、任期満了後の進路はある範囲内で選択する権利が与えられる。
セカンドキャリアに播種任務を選ぶ者も少なくない。
人類未踏の星系へ赴き、そこで新たな植民地を作る。
名誉ある任務といえる。
しかし501小隊はベテランとはいえ、まだ半分程度の任期を残していた。
表向きは多大な戦果に対する褒賞としての任期短縮ということになっていたが、その実、小隊全員、この場合全員というのは小隊所属の機械知性もふくめてなのだが、口封じを兼ねた更迭ということではないのか。
アガワ・サキはコックピットシェルの中で膝を抱え、その間に顔をうずめながらそう考えていた。
死闘の末、僚機のテルラヴェス・コルバスおよびK-12戦術戦闘指揮ユニットが敵パイロットを確保したとき、アガワ・サキはその呼吸を停止してからすでに30分以上が経過していた。
通常であれば脳死を免れぬところではあるが、待機させていた核融合ミサイルの戦闘知性が自身の機体を自律的に操り、真空中を漂っていたアガワ・サキの身体を慎重にテルラヴェス・コルバスのコクピットに押し込んだのだ。
そしてコックピットシェル内部に僅かに残されていたトポリキッドが脳組織保全措置を行った結果、彼女の個性は真空中に揮発することを免れたのである。
アガワ・サキのTC-77は大きな損傷を受けていた。
機体構造体が大きく歪み、コクピットシェルに至っては気密性を完全に喪失、内装も著しく破損しており、アガワ・サキの負傷があの程度で済んでいたのはこの戦闘で起きたもう一つの奇蹟、だったらしい。
本来であれば軍籍抹消の上で廃棄を免れぬところであったが、意識を取り戻したアガワ・サキがK-12を通して強く修理要請をした結果、カイパーベルトにある後方基地において余剰となっていた交換部品での修理が認められた。
小隊が後方基地へと帰還した時には既に戦闘のフィードバックから新型空間戦闘デバイス、TC-78が開発を終え、先行量産型がロールアウトしていた。
それにあわせて後方互換性を持つ新型のコックピットシェルおよびインターフェースが既存のTC-77へ順次換装されていたが、アガワ・サキはあえて旧式のコックピットに固執した。
一方、後送されたスパイナのパイロットは身体解析により生命維持可能な環境を再現し収容していたにもかかわらず、次第に衰弱していったという。
数日後には外部刺激に対して完全に無反応になった。
脳が死んだのだ。
遺されたパイロットの身体を解剖した結果、パイロットの神経線維はズタズタといってよいほどすり減っており、そもそも余命幾ばくも無い状態だった事が判明した。
自爆を阻止し、鹵獲に成功した初めての機体であるドレドフルキャンサーの外装には、フィールドで防護しきれなかった宇宙塵の衝突痕が多数残されており、かなりの期間を補給無しで稼働していたことが推測された。
仮に、あの戦闘に勝利したのがスパイナだったとしても、パイロットも機体も、もはやそれ以上の戦闘は不可能だった。
恐るべきことに、あの自殺的ともいえる戦闘行動はドレドフルキャンサーの戦闘知性とパイロット、両者の意見の結実だったのである。
神経系が摩耗しきるまで酷使され、それに耐えれなくなると苦痛からの開放を餌に自爆へといざなう。
生命や知性に対しての徹底した軽視と言える。
しかし機体性能に劣るスパイナの戦闘デバイスが、人類の機体に対し優位を保ち続けている理由はそこにこそあったのだ。
今回の戦訓はアミナーにとって多大な優位をもたらだろう。
機体の構造や搭載戦闘知性のスペック、敵のアルゴリズム、そしてパイロットの生理機能。
それら情報の価値は計り知れない。
キルレシオは確実に逆転する。
惑星アストレアの戦略機械知性群も、棘に対しての有効な数々の戦略オプションを組み上げたはずだ。
そして、もしその戦略オプションの中にスパイナのやり方を踏襲するものが存在するとしたら?
アミナーの中核を担う機械知性は、強化学習能力を持つアルゴリズムに過ぎない。
倫理コードは組み込まれていても、人倫を担うのは協調して問題解決にあたるテクノクラート達の役割だ。
しかしアミナーの最優先事項とは人類という種の恒久的な生存方法を模索することとされている。
もし倫理というものが、人類の生存に対して長期的には負の影響を与えうるとアミナーとテクノクラートが結論付けたのならば、彼らは人間性という古いプロトコルに見切りをつけるかも知れない。
アガワ・サキは新規開発されたコックピットシェルを使う気には到底なれなかったのである。
スパイナのパイロットに関する様々な情報は最高レベルの箝口令が敷かれている。
それを知っているのは軍上層部と、直接戦火を交えた501小隊のみだった。
貴重な情報は容易に不都合な真実へと相転移する。
彼女らに新たに課せられた播種ミッションは、現状のアミナー統合人工知性の倫理コードに抵触しない措置の中で、最大限穏当なものだったのではないだろうか。
501小隊の隊員3名およびK-12戦術戦闘指揮ユニット、それに加えて技術的特異点を自力突破し、その結果ミサイルから取り外され専用の筐体をあたえられた元・核融合ミサイルAIの一行は、さほど長い時間をかけることもなく目的地を独断で変更することに意見の一致を見た。
―――誰にも把握されない場所、なるべく遠くへ。
外敵と接触するまでに、時間を稼ぐ必要がある。
凍結受精卵を解凍して、生き残る力をもったコロニーを構築するために。
もしかすると501小隊が次に相対するのはアミナーかもしれないのだ。
……やめよう、どれだけ考えても答えはでない。
アガワ・サキは深くため息をつくと、目を瞑り、自身の代謝を停滞状態に変更した。
全身が弛緩し、シェルの内部に満たされたトポリキッドの中で身体が揺蕩う。
長い旅になる。
死にも似た深い眠りの中で、時の長さを知覚することはない。
しかしその事実が心の曇りを消し去ることは、ついぞ無かった。
了




