第二十話:『無心の境地』
第二十話:『無心の境地』
その日を境に、曹操は牢を訪れなくなった。
陳宮の周りには、完全な沈黙と、物理的な暗闇、そして魂の暗闇だけが残された。もはや、彼の心をかき乱す者は誰もいない。彼は、自らの内面へと、どこまでも深く潜っていくことを余儀なくされた。それは、彼にとって最後の、そして最も過酷な旅の始まりだった。先日の論戦の言葉が、彼自身の胸にも反響していた。曹操を詰った言葉は、そっくりそのまま、呂布を担いで復讐に走った自分自身にも返ってくる刃であった。
飢えと渇きが、彼の肉体を蝕んでいく。だが、その肉体の苦痛とは裏腹に、彼の精神は、奇妙なほどに研ぎ澄まされていった。
闇の中で、彼は死者の声を聞いた気がした。呂伯奢の一家が、彼を責める。「なぜ、あの男を止めなかった」。徐州の民が、彼を呪う。「お前が力を与えた男に殺されたのだ」。高順が、彼を詰る。「貴公の策を信じた我らを、なぜ見殺しにした」。
そうだ、俺のせいだ。俺が、曹操という怪物を作り、呂布という凶器を野に放った。俺もまた、人殺しだ。曹操と同じだ…!
だが、本当にそれだけか? そもそも、俺は本当に民の声を聞いていたのか? それとも、書物の中にある清らかな『民』という幻影を追いかけ、現実の彼らの泥臭さから目を逸らしていただけではないのか? 民を救うという大義名分のもと、最も心地よく己の正しさに酔っていたのは、この陳宮ではなかったか!
絶叫し、壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られた。
だが、その魂の格闘の果てに、ふと、彼の意識は変容した。
彼ら死者の声は、もはや個別の嘆きではなく、一つの宇宙的な響きとなって、彼の魂に直接語りかけてきた。それは、裁きでも、嘆きでもない、ただ冷徹な真実の響きだった。
『天は、裁かぬ。天は、望まぬ。天は、ただ、在るのみ。貴様たちが、その空虚な天に、己の理想を、正義を、そして何よりも醜悪な傲慢を、必死に描きつけていただけのこと』
その瞬間、陳宮は悟った。問題は、曹操の正邪でも、自らの理想の是非でもない。そもそも、自分たちが命を懸けて追い求めた「天命」などというものが、人間の思い上がりの産物に過ぎなかったのだ、と。
傲慢だ。だが、その傲慢さこそが、人間を人間たらしめる、唯一の光であり、そして業であった。自らを、天下を統べる「天」そのものだと錯覚し始めた曹操の傲慢。我々は、いつの間にか、ただの「人」であることを忘れてしまっていた。
これこそが、この時代の、そして人間の、根源的な病なのではないか。
自らを過ち多き「人」と認められない、その傲慢さこそが。
その考えに至った時、陳宮の心から、全ての雑念が、すうっと消え去っていった。
後悔も、復讐心も、罪悪感さえも。
彼の心は、まるで嵐が去った後の湖面のように、静まり返っていた。澄み切った、無心の境地。
もはや彼は、裁き手ではない。理想家でも、復讐者でも、罪人ですらなかった。最後に為すべきことは、裁きではない。ただ、問うことだ。かつての同志に、そして自分自身に。
彼は、自らの魂の奥底から響いてくる、ただ一つの問いに、ただ耳を澄ませていた。最後の対話の時は、間近に迫っていた。彼は静かに、その時を待った。




