引き継ぎ
ーフェルディナンドが摂政大公の宿泊先を出る際、執事は小声で彼に話しかけ、封書を手渡した。
「こちらは…?」
フェルディナンドが尋ねると、
「閣下のご直筆にございます。…ご帰着後にお読み頂きたいとのこと」
「面談で明かせないことが閣下にあったということか…」
「そのようにお受け取り頂いて結構です。…皇女殿下のお命にも関わるので何とぞ中身は伏せて頂きたく」
「解った。…大事に預からせてもらう」
そう2人は声を潜め話し合ったのだがーこの時フェルディナンドは、自分を何者かが尾行しているのに気がついた。
「…人の気配がする。もう戻った方がいい」
「…それでは道中お気をつけて」
執事も事情を察し速やかに屋内に戻った。
ー執事の姿が中に消えると、一人になったフェルディナンドは周囲を見渡した。
「どこから出てきたんだ…?」
風の音に紛れ、木立から枝の揺れる音が彼の耳に入っていた。だがフクロウも猛禽もその方角にいなかった。鳴き声がないのでそれが解ったのだった。ー耳を澄ませているともう一度枝の揺れる音がした。木の葉がゆすられ下に落ちてきた。その後フェルディナンドが見たのは一人の士官だった。
「…見かけない顔だな。どこの者だ?」
フェルディナンドは尋ねるが返事がない。
「答えないと痛い目に遭うぞ」
士官は口をつぐんで答えなかった。そこで、 フェルディナンドは衛兵を呼び出した。
「ーお呼びですか?」
フェルディナンドは頷き、士官を指してその衛兵に告げた。
「この男が私を尾行していた。ー尋ねても名も名乗らないので後の処理を頼む」
衛兵はうなずいた。
「ー承知いたしました。こちらでこの者の尋問をいたします」
「…ああ、そうしてくれ」
それからフェルディナンドも帰路に着いた。衛兵は護衛をつけようと言ったが、その話をフェルディナンドは断った。自身が護衛役を努めているのに護衛を借りては分に合わないと彼は思ったのだ。
「閣下のことを頼む」
「心得ました。…お気をつけてお帰りを」
「ああ、ありがとう」
そうしてフェルディナンドはユーセフの城へようやく帰って行った。
衛兵に引き渡された士官、彼は大公の下にいたがその心はシルヴァーナにあった。彼がフェルディナンドを尾行したのもその動きをシルヴァーナに知らせるためだった。だが、捕まってしまった以上手の打ちようもない。士官は最終手段を選んだ。ー自殺だった。
衛兵隊に拘束されてすぐ、この男は懐から小瓶を取り出し中の液を飲み干し空にした。
「貴様…!」
衛兵隊長は怒ったが遅かった。間もなく男は血を吐いて絶命、尋問は失敗に終わった。
「自害ですか…」
執事は暗い表情でその死を見届けた。
「…執事殿、申し訳ない」
隊長は侘びたが執事は首を横に振った。
「もとからそのつもりだったのでしょう。あなた方のせいではありません」
尋問を受けまいと決めていたのだろう。そう執事は言うのだった。
「…ただ、大公女様は今後このお屋敷を出て行かれないようにと閣下がご厳命を」
「承知した」
衛兵隊長は短くそう告げた。彼も執事も暗い表情だった。その後、執事はそれではと言いその場を後にした。ーだが間もなく屋敷から女の悲鳴が聞こえてきた。
「あれはー」
衛兵隊長は顔を上げた。扉が開き、一人の侍女が血の気の引いた顔で現れた。
「お2人とも早く来てください!閣下が、フィリベルト様が…!!」
侍女は叫んだ。
「閣下に何が…!?」
「…ご逝去なさいました。枕元に空になった睡眠薬の瓶と遺書があって『後を頼む』と…」
「睡眠薬…?それでは、ご自害を…」
衛兵隊長は真っ青になった、だが侍女は彼の言葉に首を横に振った。
「…違うと思います」
「なぜそう思う?」
「ご養女のシルヴァーナ様…。あの方が長いこと閣下を問い詰めてらしたのです。それもご自分のご出自について。なぜ自分を実子と言ってくれないのかと詰っておいででした」
「それで、彼女が閣下を殺したと…?」
「あの方以上に閣下に殺意を抱く者がいるとは私には思えません」
「…私も同感です。シルヴァーナ様が閣下に手を下されたのでしょう」
そう言ったのは執事だった。ー彼は本国から主人に付き添い他国で務めにあたっていた。
「まず医者に検死させ、その後に陛下初め皇族方にご連絡をしなくては」
執事は言い、衛兵隊長に同行を求めた。
「了解だ。ーすぐ部下を使いに出す」
「お願いします、隊長」
隊長はうなずき、すぐ伝令を走らせた。
「急報!閣下が亡くなった!ー動ける者は隊長のもとへ!」
衛兵隊長のもとに数人の兵が集まった。皆真剣な表情をしていた。
「隊長、…ご命令をお願いします」
一人が言うと、他の兵も黙ってうなずいた。
「マルコは城へ侍医を拝借に行け。お妃の叔父上の不幸なのだ。ーエンツォ、シリルと一緒にアステンブリヤ公を呼んでこい。他に混乱収拾のできる人物もいないだろう」
ー隊長の言葉で皆が散って行った。執事を初め使用人は皆うなだれていた。急を告げた侍女は泣き腫らして目が赤かった。
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その頃にはユーゼフも政務を終え、寝室へ向かおうとしていた。執務室の扉に彼が鍵をかけたところ、侍従が血相を変え走り寄ってきた。
「ー殿下!一大事です!!」
息を切らしながら侍従は告げた。
「…摂政大公がお亡くなりに」
「亡くなったー?妻の、ルドヴィカの叔父上が!?」
ユーゼフは呆然としている。
「…聞き違いではないのか?これまで不調と聞いたことはなかったが」
侍従は首を横に振った。
「間違いございません。ー今しがた閣下のご滞在先から使いが参りまして、検死のため侍医をお借りしたいと」
「ー解った。侍医にすぐ連絡を」
「御意!」
ーユーゼフの指示で侍従はすぐ動き出した。
「雲行きが悪い…悪すぎる…」
ユーゼフは呟いた。周辺で続けて起こる近親者たちの不審死。その不審死は全て彼と彼の妻ルドヴィカの身内に起こっている。それがユーゼフにしてみれば気味が悪くてならないのだった。
ユーゼフは執事を呼んだ、そして言った。
「急いでイスマエルを呼べ。話がある」
執事は急なことに目を見張っていた。
「どうなさったのです?」
「…妻の叔父が亡くなった。変死だ」
自分の妃をよそに移したいというユーゼフに執事は首を振ってこう諌めた。
「妃殿下はご懐妊中でいらっしゃいます。今お体を動かされてはお子に障りましょう」
そう言われてユーゼフも考え直したが、彼の表情にはやるせなさが色濃く表れていた。
「ー今後、警備は厳重にし、城の周辺には関係者以外入れないよう手配いたします」
「ぜひそうしてくれ」
ー執事の申し出に、ようやくユーゼフもその表情を和らげた。
「出産まで妻を手厚く警備してくれ。僕の方は多少軽くなってもいい」
「?殿下のご所望なら…」
主君の言葉に一瞬戸惑いながら執事は警備の段取りを詰めに行った。
「これから妊娠中期か…。こうも不幸続きになると思わなかったが…」
ユーゼフは呟いた。ー愛しているの一言も、彼は表立ってかけたことはない。ただ、妻の顔を見たら抱きしめたり口づけを交わしたりしていたがー。
「逆に子供っぽく映ったかもしれないな…」
軽く自分を嗤うようにしながら、ユーゼフは寝室に向かった。
自身の居城へ彼は向かったのだが、塔までたどり着いたユーゼフの目に見たことのない男の姿が映った。誰かと問い質したが返事はなかった。
「…この塔に何の用だ」
ユーゼフは言った。
「あんたに用がある。ー世子殿下」
男はごく不気味な笑みを浮かべていた。
「その顔で解る。ユーゼフ殿下…この公国の跡継ぎだな?」
「だったら何だ」
ーユーゼフは憮然と答えたのだが、そう彼が答えた途端、男は隠し持っていた拳銃で2度発砲したのだった。
「あなたにも消えて頂く時が来た。たったそれだけの話ですよ」
ユーゼフは目をむいて下向けに倒れた、彼の手は傷口を覆っていた。男はその背中を踏みつけた。その後、男はユーゼフの外套を手ではたき靴跡をふるい落とした。
「ふふ…これでいい」
男が手をふると、物陰から2人の男が出てきた。
「始末は済んだ。さあ、執務室へ戻そう」
「…了解」
2人はうなずき合い、ユーゼフの亡骸を音も立てずに執務室へ運んだ。手袋は脱ぎ捨て、ユーゼフの手に凶器となった拳銃を持たせた状態で。ー自殺と見せかけるためだ。だが、これを見ていた娘がいた。
「お前たち何てことを…!!」
大公の姪、つまりギーゼラだった。その声に気づいた下手人は素早く彼女の首を絞めた。
「放しなさい!放し…て…」
男の力には敵わず彼女は事切れた。だが男は手にはめていた紋章入りの手袋をギーゼラに奪い取られた。ーこれで犯人の目処がつく。そう思い彼女は最後に力を振り絞ったのだ。男は他に誰もいないと悟ると、仲間に合図し3人でその場から立ち去った。
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夜更けにアルヴァロは叩き起こされた。
隣に妻も寝ていたが彼女は熟睡していて起きなかった。
「…何だ、この時刻に」
不機嫌そのものといった声で、アルヴァロは使いに問い質した。衛兵は平伏したまま彼に告げた。
「閣下、急ぎお願いがございます。即刻、カンブレーゼ大公のご滞在地までご足労頂きたく」
「…その理由は」
「つい先刻、摂政大公が身罷られました」
「何!?」
アルヴァロは思わず叫んだ。ー皇弟が死んだだと!?なんということだ…。話を聞いて彼も青ざめた。
「…死因は」
「公子より侍医をお借りして検死中ですがおそらく睡眠薬の多量服用かと。養女やその愛人に飲ませられたようです」
「セイレーンめ…やりおったか」
ーアルヴァロは毒づいた。直系とはうまく行っていない、だが彼も殺意を抱くまでには至っていなかったのだ。夫人も目を覚まし、夫の様子に思わず目を見張った。
「急ぎアレッシオを起こせ。すぐにだ」
妻に命じると、アルヴァロはすぐ執事を呼び短く手紙を書かせた。宛先は某公爵家嫡男。ー彼はドミトリィに向け使いを出したのだ。
「動かれるでしょうか…」
「嫌でも動いてもらわねばならん。やつは姪の、いや嫡男の嫁の愛人だったのだぞ」
執事は冷や汗をかきながら筆を進めた。
「カテルイコフへ兵を出せ。ー元凶はあの家の当主だろう。一人息子を捕らえるのだ」
「閣下…そのような…」
「この上わしを怒らせたいのか?下手すると我が家も反逆者と見なされるのだ。それでいいというのか!?」
アルヴァロは苛立っていたが、指示を出しながら大急ぎで喪服に着替えていた。格式は二段目の準正装だった。
「公爵家の次男はグレステンベルクで命を落とした。本物の皇太子を怒らせてな。だが我々はその二の舞になるわけにいかぬのだ」
「…め、滅相もない!今すぐ手配します」
「手抜かるなよ。もう猶予はない」
「は、はい…!」
先代公爵の形相に執事も色を失っている。
「カダルシェフの従弟を人質にとりカレナ大公に差し出す。…皇家に逆らう気はないと、こちらは解ってもらわねばならん」
「…御意にございます」
執事は真っ青になっているがアルヴァロにそれに目を留める余裕などなく、全くとだけ呟き彼は外套を着て外へ急いだ。
「そろそろ出かける。後は頼んだぞ」
アルヴァロは低い声で呟くように言った。
「…道中ご無事で」
その言葉にアルヴァロは鼻で笑った。
「今夜に限って無事であってほしくない」
やがて彼は愛馬に跨り摂政大公の滞在先へと向かった。
「あなた…」
夫人は真っ青な顔で見送りに来た。
「…あれが目を覚ましたら、カレナへ行くよう伝えておけ。叔父の変死を聞かされて、あちらが黙っているはずはない」
夫人は黙ってうなずき、再び部屋に戻った。アルヴァロが大公の滞在先に着くまでにまだ数時間かかる。
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夜明け過ぎに侍医は戻ったが、ユーゼフの姿がなかった。ー不穏なものを感じたので、彼は執事や侍従長に話し、ユーゼフを探してほしいと頼んだ。だが、城の部屋を全て開け中を覗いても彼はいなかった。
「…おかしい。どこにもお姿がない」
「蟄居なされたのでは…」
「あの方に限ってそれはないだろう。何せお妃がご懐妊中なのに」
結局、夜中に男たちが寄り集まって主君の下馬評を述べ始めた。そこへ当直から戻ったばかりのゴットフリートが姿を現した。
「何だ。ー皆で集まっていったいどうしたのだ」
そう言ってゴットフリートは笑い出したが、侍医は笑い事でないと彼を詰った。ー執事は暗い表情でゴットフリートに告げた。
「殿下を、…ユーゼフ様をお探しください。どこにも殿下のご気配がないのです」
「殿下のご気配がない…?」
ゴットフリートは尋ねた、
「気のせいではないのか?…城中、全て見て回ったのか?」
彼は呆然と聞いた。
「…はい、どこにも」
「塔へも見に行って参りましたが、殿下をお見つけできておりません」
「…解った。すぐ兵を出す」
「ー恐れ入ります」
城の者が頭を下げると、ゴットフリートは深刻な顔つきで執事に言った。
「カフトルツ侯爵を呼べ。当分侯爵に国の指揮をとってもらう」
「…カ、カフトルツ侯爵…!?」
「ーそうだ。殿下の代理を務められるのは彼の他にいない。後はシャルロッテ公女だが彼女は懐妊中で動かせない」
ー重い口調で告げるゴットフリートに、その場にいた者皆が顔を見合わせうなずいた。
「…直ちにお呼びします」
「頼んだぞ。ー俺はグランシェンツと話をしに行く」
「…了解です、閣下」
ー衛兵隊長の言葉。ゴットフリートはそれを聞いてうなずき、それでは行ってくると言いそこから立ち去った。
目当ての人物は以外にも近くにいた。もう夜中なので侍女は寝ていたが、宮殿の巡回にあたっていた衛兵がギーゼラの遺体に気づき彼を呼び出していた。
「なぜこのような時間帯に…」
侯爵は顔をしかめたが、年の若い侍女が彼の前に現れ、泣きながら言った。
「護衛を呼ぼうと申しましたら、お嬢様がおひとりでとおっしゃって…追いかけましたが間に合いませんでした」
「1人で…!?行き先は?」
「…ルドヴィカ様のお部屋へ。お会いになる御用向きは存じませんが」
侯爵の表情が暗くなった。
「…そうか。解った」
侍女にそう言うと彼女を下がらせ、彼は1人その場に残ったのだが、夜になって従兄嫁に会いに行く理由が解らなかった。だが、彼の心をさらに凍らせる発見があった。
「…閣下!」
衛兵が一人駆け寄ってきた。ーその手には男物の手袋があった。
「ギーゼラ様のお手にこれが…」
「何だ。ー手袋がどうしたのだ」
衛兵は硬い表情で首を横に振った。
「…紋章をご覧ください。手袋の」
そう言われ侯爵は手袋を検分した。裏返してそれを見つけた時、衝撃から彼は力が抜け、手袋を地に落とした。
「これは、兄上の…」
兄であるアーレングランツ伯の家紋だった。
「なぜだ…兄上はいったい何を…」
侯爵は両手で顔を覆い力なく呟いた。事態は急を告げていた。
〔後編へ続く〕




