手当て
世界史大好き人間です。
ー頭に思い浮かんだものを
セリフや文章にして書いています。
…気が向いたら読んでやってください。
以上です。。
目当ての女を見つけると、ルスランはその女を連れ主の待つ城へ戻った。侯爵はそれを見送ると妻に言った、
「服はあるんだろうね?」
「服?何をおっしゃるの、急に」
サーシャが言うと、
「もちろん夜会に出るための衣装だ。君もあの招待状は見ただろう?」
「ひょっとして参加なさるおつもりでしたの?」
「…出るとも。重要参考人とされているからには、出ないわけにいかない」
夫の様子にサーシャは納得できなかったが、夫が参加するというので彼女も夜会へ向けて準備を始めた。
サーシャはこれまで兄と一緒でないと出たことはなかった、兄が自分の一番の理解者であり保護者だと思いこんでいたからだった。だが侯爵は妻に言った。
「きょうだい間の婚姻が不法だというのは君も解っているだろう?」
そして妻の首筋から肩に何度も口づけした。
「…今後は私の妻として、私のいる時にだけ参加してもらう。私も1人で参加することはしない。ーまさか私と別れたいなどと思っているわけではないだろう?」
夫の眼差しが自分の中の何かを溶かすようにサーシャには思えた、それで彼女は着ていたドレスを固く体に巻き付けた。
「無理強いはしないが…夫婦となった以上は夫婦として過ごしてもらう。私も、夫として君の願いには最大限応えるよう努める」
「だから、…何ですの?」
ーサーシャは夫に尋ねた。
「私の性を満たしてほしい。…それだけだ」
そうして数日の間、サーシャは夫の腕の中で夜を過ごした。夫を愛していなかったはずが抱かれるうち肌が感覚を覚え、夜ごとに夫が恋しくなってしまったのにサーシャは自分で驚いた。
侍女長は女主人の動向を訝った。物陰から女主人の様子をうかがった、だが貴族の娘を相手に彼女は動きを封じられた。
「見ている時間があったら、私の着替えを手伝って」
少し棘のある声で言われ、侍女長も従うしかなかった。
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ルスランがマッダレーナを連れて戻ると、彼はルスランに言った、
「この女を妃殿下に差し出すのか?」
「はい、閣下」
ルスランが答えた。
「どこの言葉を使える?…北部か?」
「宮廷の公用語を」
「宮廷の言葉を?ーかなりいい身分の出身なんだな」
ードミトリィは女に話しかけた。
「名前を聞いていいか?」
「はい。…私の名はマッダレーナ・カロエにございます」
マッダレーナはラテン語で答えた。
「マッダレーナ…君はどこの出身だ?」
「ヴィスカダーチャでございます」
「ヴィスカダーチャーわりと近くだな」
ー後半は彼女にでなくルスランに話した言葉だった。
「貴族学校にいたのか?」
「いいえ…22までカレナの迎賓館に。その数年後こちらへ参りました」
ー大公の現在の滞在先が迎賓館だった。この迎賓館は大公夫妻の出張所でもあった。
「宮廷言葉を習ったのは?」
「迎賓館へ奉公に上がる頃にございます。皇族もご利用になるということで、奉公先の女将にしつけてもらいました」
「見事な手解きだな。ここまで宮廷言葉を話せれば上等だ」
ドミトリィは彼女の言葉遣いに感心した。
「さて、」
ドミトリィはルスランに向き直った。
「お前にはもう一働きしてもらうんだが、どうだ、腹は空いていないか」
ールスランははい?と目を丸くした。
「殿下にお目通りして、こちらからお妃につける侍女を指定させていただくのだ。私のこれから書くものを殿下に差し出してくれ」
「承知しました」
ーマッダレーナは2人が話すのを怪訝そうに眺めている。
「妃殿下には専属の侍女がいないーだが、殿下とご親友のあの青年、…私は彼を信用する気になれない」
話しながらもドミトリィはペンを走らせた。ユーゼフの親友が侍女を連れてきたと、彼も宮廷で耳にしていた。
「それで閣下がご選定を?」
「そういうことかな」
もとから婚約を反故にさせるつもりで、彼は選ばれたのではないか?ーそうドミトリィは言うのだった。
「例の侯爵のことでしょうか?お婚約者になったという」
「…そう、その侯爵だ」
ルスランが尋ねるとドミトリィはうなずき、
「よし、これで書けた。ルスラン、少しでいいから食べて行け。長引くかも解らん」
そう言って軽食を用意させた。ーマフィンに薄く切った生ハムとカプチーノ。ルスランも笑顔で礼を言い食べ始めた。
「頂戴いたします」
ルスランが食べ終わると、侍従は空の食器を手に厨房へ戻った。ドミトリィが書き終えた書状を彼に渡した。
「これが依頼信ですね」
「交渉を頼んだぞ」
「はい。ー心得ました」
ルスランはすぐ公国へ、ユーゼフの城へ向け出発した。ドミトリィはマッダレーナにこう告げた。
「新しい主人に口利きしてもらうが、話が決まるまで待っていてくれ」
「どなたにお仕えいたしますの、私は」
「ユーゼフ殿下のお妃だ」
「ユーゼフ殿下…スタンハウゼンの…?」
マッダレーナは少しつかめていなかった。
「クラウス卿の未亡人だったと言った方が解りやすかったか」
ドミトリィは言ったが、
「クラウス卿の未亡人とおっしゃいますと…クレステンベルク公爵夫人のルドヴィカ様のことでございますの?」
「ーそう、そのルドヴィカ様だ。皇太子のお妹にあたられる方。彼女が公国へお嫁ぎになった」
マッダレーナが飲み込みに戸惑ったので彼も説明を替えた。すると彼女の表情は真っ青になった。
「それは、…あってはいけないことですわ。本来でしたら今ごろがやっと喪の明ける頃でいらっしゃいますのに」
「それを無理に縮めた者がいたのだ」
ドミトリィは言った。
「…首謀者はこちらで探すが、君は妃殿下についてお世話して差し上げてくれ」
「承知いたしました」
マッダレーナはうなずいた。
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預かった書状を手にルスランはユーゼフを訪ねた。執事に空いている時刻を聞き、すぐ対面の予約を入れたがー着いたのが6時課の直前であまり余裕はなかった。それでも彼は役目を果たすため、ユーゼフとの面会を申し込んだ。
「これを預かって参りました」
ルスランが差し出したものを見て、執事の顔色も固くなった。
「確かめて参ります」
そう言って執務室へ入って行ったが、すぐに執事は暗い顔色で戻ってきた。
「もうほぼ決まったようでして」
「では、ー交換ということで」
「…こ、交換ですと!?」
ルスランの申し出に執事も真っ青になるが、
彼はそこでひるまなかった。
「中でご説明させて頂きたい」
「少々お待ちを」
ー執事は再び執務室へ入った。ユーゼフはゴットフリートと侍女の配置を相談していたのだが、もう1人来客があると言われ怪訝な表情をした。
「もう決まったと言ったはずだ。なぜまた人を入れる?」
「カダルシェフ公爵がぜひにと」
「カダルシェフ公爵ー?」
執事から聞いて、ユーゼフは苦笑いした。
「忘れた頃に来るんだな」
「公爵が何か?」
ゴットフリートが聞くとユーゼフは言った、
「妻の侍女を選ばせてほしいらしい」
「…なぜでしょうか、それは」
「さあ?僕も解らない。…とりあえず話だけ聞いておこう」
ユーゼフが許可したのでルスランも中に入ることはできた。だが、ゴットフリートも彼も初対面で重い空気に包まれた。圧迫感とでも言えるような重々しい雰囲気だった。
「私はドミトリィ・カダルシェフに仕える者でルスランと申します」
ルスランはまず自己紹介した、それから
「妃殿下はこちらの言葉をよくご存じではない。よって、帝国の宮廷言葉に慣れた人によってお世話申し上げたく。ラテン語もこの女は話せますので」
「ーこちらで用意する分には不服が?」
ゴットフリートは眉間にしわを寄せた。
「主がお人柄を存じませんゆえ、ご推薦の女性は、お従姉のカレナ大公妃につくものとして頂きたい。…もしくはお妹の侯爵夫人に。本来でしたら、妃殿下も今はまだ前夫の喪に服しておられたかと」
ーそう言われるとユーゼフも言葉が出ない。
「取り次ぎ程度ならこちらの女性で十分と存じますが、日常のお世話につきましては、当方のご推薦する女性をつけて頂ければ」
「ー君は、妃殿下を知っているのか」
「私はよく存じませんが、主は皇太子ともそのお妃とも懇意にしておりました」
「皇太子妃は誰だった?…僕は覚えてない」
君主の息子なのに頼りがいのないユーゼフ。
「カテルイコフ伯爵家のご長女です」
執事は少し悲し気だった。
「カテルイコフ伯爵家…」
ゴットフリートは呟いた。本来ならいとこと言うべき間柄の女性が皇太子妃だったのだ。ー従姉が皇太子妃で、従姉のいとこは公爵?ーゴットフリートの頭の中は混乱し始めた。
「どうする?断ろうか?」
ユーゼフは言ったが、ゴットフリートは、
「採用なさった方がよろしいかと…」
と言った。皇太子夫妻の知人ということは、皇太子の少年時代も人となりも、公爵はよく知っているのだろう。おそらくルドヴィカについても皇太子から聞いていたに違いない。ゴットフリートはそう考えたのだ。
「採用でいいのか。ー解った」
ユーゼフは侍女の出身地を尋ねたが、その町の名がヴィスカダーチャと聞き彼は顔色を曇らせた。ヴィスカダーチャ。この町は初めアザリカの都だったからだ。北からの猛攻に耐えかねアザリカは都を南へ移し、この町を手放した。アステンブリヤに攻め落とされた後その名もクラバスチヤと変えられ、帝国の傘下に入って今度はヴィスカダーチャという名になった。だがしばらくの間、アザリカの遺民はこう歌っていたという。
〈クラバスチヤの森の奥
十字の旗がひるがえる
慎ましく装いたる騎士の
巡礼を護り来たりしにて
… (中略) …
クラバスチヤの湖に
身投げせし乙女浮かびぬ
青き瞳の若武者により
その許嫁討たれたりし〉
アザリカの興亡がこの歌に収められていた。遺民たちは、滅びた祖国への愛を歌によって語り継いでいたのだ。
「公爵が勧めるなら間違いないか…」
ユーゼフは呟いたが、彼の胸の中を微かな不安が過り始めた。
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「妃殿下の侍女が決まったらしい」
イマヌエルはフェルディナンドに言った、
「1人はカダルシェフ公爵ご推薦。そしてもう1人はシュスティンガー侯爵のご推薦」
「侍女が2人ー」
「ああ。…たった今執事に聞いた」
フェルディナンドが呟いた。
「1人につき侍女が2人要るのか?」
「いや…何か訳があるんだろう。母も衣装の着脱時以外、侍女は1人だった」
イマヌエルは答える。そのイマヌエルもそう納得はしていないようだった。どちらにせよ誰に誰がつくか未定なのだ。
「話は変わるが、…次の舞踏会はいつかもう聞いたか?」
イマヌエルは尋ねた、
「今回はハウデンブルグ伯爵夫妻が主催だそうだ」
「またあるのか。前やったばかりだろう」
フェルディナンドは煩わしそうに言った。
「あれは中止になった」
「中止?…いったいどうして」
イマヌエルの表情がかげった。
「直前にヴェストーザ公が急死された」
その言葉にフェルディナンドは目を剥いた。
「帰国直前にカレナ大公を訪ね、軽く飲み食いしたら倒れたらしい。ー実際どうだったかは俺も知らないが」
「…検死は?もう済んだのか?」
「いや…。毒入りだったのは間違いないが、成分までは特定できなかった。何でも執事が極秘理に処分したそうで」
「見事な確信犯だな」
「…ああ」
ー他国の人間を毒殺した、それだけで立派な犯罪なのにそれを隠そうとする執事。自分が何をしているか、彼には解っていないのかも知れない。だが主に殺意があったと知ったらその態度も変わるだろうか。
「ー俺の場合は参加といっても護衛目的になるんだろう?そう手放しで喜べない」
フェルディナンドは言った。
「踊りも知らないから辞退する。お前たち夫婦を祝うためなんだから、2人で楽しんでこいよ」
そう聞いてイマヌエルは不服そうにした。
「…名門のご令嬢に見初められた男が随分と硬いことを言うな」
イマヌエルが指すのはイネッサの妹、つまり伯爵家の次女だった。
「実際習ったことはないから踊れない」
鑑賞だけというわけにもいかないんだろう?ーフェルディナンドは苦笑いする。だが、
「次回は飲み食いだけでもいいはずだ」
とイマヌエル。その前に、と彼は言った。
「お前に会いたいという人がいる」
「誰だ?ー俺に会いたいっていうのは」
フェルディナンドは尋ねた。
「カレナ大公だ」
「…カレナ大公が?」
その言葉にフェルディナンドは眉をひそめ、
会う気はないと一言。ー一方イマヌエルは、
「会わないと後悔するぞ」
と言うのだった。
「なぜそう妙なことを…」
と唸るようにフェルディナンドは言ったが、
イマヌエルは会って来いと勧めた。
「会えば解る」
「会えば解るって、お前な」
そうこうして盟友に押し切られ、大公と会うためにフェルディナンドは身支度をして出て行った。正装して指定された場所へ出向くと何やら深刻な顔つきの人々が立っている。
「主到着までしばしお待ちを」
少し眠気の降りてきた頃にカレナ大公は姿を現した。
「主を連れて参りました」
丁寧な口調で言い、侍従は大公を呼んで来たのだが大公はいきなり言ったのだ。
「君があの時の少年か」
ーそう言われフェルディナンドは相手に馴れ馴れしさを覚えた、だが顔を上げ相手を見た時その不快感は一気に消え去った。次に彼が感じたのは疑問と驚きだった。幼い頃、まだ父親がいた頃の記憶が彼の脳裏に蘇った。
『あれは僕の妹だよ』
ルドヴィカを目で追いかけるのを見て笑顔でフェルディナンドに告げた少年。彼も当時は8つか9つだっただろう。大公の顔立ちにはその少年の面影がそっくり残っていた。




