城で
「まだお子が授からない…?まあ…」
「もしや、不妊体質なのでは…?」
世継ぎ夫婦に子ができないのを見て、城に出入りする女官たちが顔を見合わせ囁き合い始めた。何日に共に寝ているのだから普通は授かっておかしくないと。それが気配すらも見えないので、子を授かりにくい体質だったのではと噂が飛び交ってしまった。
ユーゼフとルドヴィカ。ー2人が結婚してもう一月が経つ。ユーゼフが妻と夜を過ごすのを多くの侍女が目にしてきた。だが未だに懐妊の報告がないーそれで先代の頃と同様に不妊治療が必要になるのだと皆考え始めた。ユーゼフが生まれた時も治療が始まり10年は経っていた。それで今回もそうなるのではと皆が思い始めたわけだ。
大公夫婦は、お妃が病弱なのもあり治療もその経過を見ながら行われた。そして彼らの間には無事嫡男が生まれ、こうして彼の妃もやって来た。だが、一人息子のユーゼフは、診察を受けてかなり不本意な結果に直面してしまった。
「殿下…お子は望めません。妃殿下はほんのかけらほどもご心配には及びません。ですがユーゼフ様は違います」
侍医の採取した結果、次世代の種が彼からは見出だせなかったらしい。それで自分で子を持とうというのは諦めろとユーゼフは侍医に言われたのだった。
「妹も既に母親なのに、なぜ僕は…」
絶対そのはずはないと繰り返しユーゼフは採取を受けた。だがやはり採取結果が変わることはなかった。それで心ない者たちは彼のことを三毛猫と呼び始めた。
雄の三毛猫ー子孫を残せない、繁殖能力のない雄猫にユーゼフをなぞらえて彼らはこう言った。種を残せない牡馬と言うのにも似たかなり侮蔑的な意味合いの言葉だった。猫の雄で毛色が三種あるものは、性染色体の数の都合で、繁殖できないようになってしまっているらしい。男子でも敏感な者は、物言いの不躾なことを憂え眉をひそめるのだった。
ユーゼフとルドヴィカはいつも手前の塔で
寝ていた、ただ一緒に寝ることはエンリコの死があってからかなり減った。必ず同じ塔で寝ているのだが、ユーゼフは寝起きの時間が不規則になってきたせいもあって妻と一緒に寝るのを避けていた。なので、ルドヴィカも夫の寝起きする時間を把握できなかった。
「ーまだお目覚めではないらしい」
「ユーゼフ様が?…そんなばかな」
執務室が朝になっても開かないので、少しずつ貴族たちは異変に気づき始めた。だが、それに異議を唱える者も出てはこなかった。
ー皆これで良しとしているのだろうか?その光景にイマヌエルは寒気を覚えた。
妻帯者は、妻や娘にそれとなくだが様子を尋ねていた。ー貴婦人や女官、また侍女にも
寝室の様子を気にする者はいた。夫婦に子ができないので養子を取ったり治療を受けたりそういう例はいくらでもある。だがそうではないことが少しずつ解ってきた。
「殿下にお子がいる…?」
ゴットフリートは目を剥いた。
「誰が言い出したんだ。生まれてくるのが確かに殿下のお子だと言い切れるのか?」
イマヌエルも頭を抱えた。もし事実だったら初夜に励むこともなかったのだ。だが自分の子を残そうとユーゼフは必死だった。それが周りから憐れみの眼差しさえも呼んでいた。だが子を宿したのは彼の妻ではない。
「…お子を孕んだというのは?」
「ハフシェンコ伯爵の長女だ」
話を聞くと、この令嬢は確かにユーゼフに寵愛を受けたという。ただユーゼフはそれを否定した。
「僕は妻の部屋へしか行っていない」
「ー信じて構いませんか?」
「…もちろん」
イマヌエルに問い質されユーゼフも少し気が立ってきていた、だが互いに冷静さを保って話を進めた。そこで解ったのは、ユーゼフとよく似た男が塔の最上部に忍び込んでいたという事実だった。
「背格好は殿下と似ていましたが、声が」
ー声が違ったと侍女は言った。その侵入者は誰か。捜査は難問に突き当たった。
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娘が尋問を受けたと聞き、伯爵夫人は急ぎ退出した。
「こういうことが、このお国では珍しくないのですか」
ー夫人は夫に言った。
「未婚の娘が男を部屋へ入れたという話は」
「そうでもあるまい。ー男の方で我らの娘に目をつけたのであろう」
殿下と似た男だったので、娘に起きた事件が黙殺されただけだ。ー伯爵はそう言った。
インドラ・ハフシェンコ伯爵令嬢、彼女は黒髪と青い瞳を持つ儚げな雰囲気の美女で、行儀見習いのため宮廷で奉公していた。だがインドラは大公妃に疎まれユーゼフが彼女を城へ引き取った。そして彼女は何者かにより子を宿してしまった。
「間違いなく殿下のお子です。⋯生まれたら解りますわ」
妻のルドヴィカがいるそばでインドラがそう言ったため、ユーゼフとルドヴィカの間には溝が生まれ始めた。
「お子を妊娠したとおっしゃる方がおいでのようですけど、⋯あれは事実ですの?」
「毎晩のように君の部屋で寝ても僕は信じてもらえないのかな?」
「『生まれたら解る』と当人がおっしゃっていましたわ。殿下でなければ、いったい誰が手をつけたのでしょう」
それで、インドラが出産したら生まれた子の父親を調べるよう、ユーゼフはイマヌエルに指示した。両親のハフシェンコ伯爵夫妻にも娘の部屋に人を入れないよう命じ出産当日を待つことにした。だが、腹が脹らみ始めるとインドラは姿を消してしまった。
「⋯仕方ない。まずは父親を探そう」
イマヌエルはインドラと交流のあった男を数人割り出したが、既婚者か婚約者持ちかでしかも文通のみの相手だった。また特徴からしてもユーゼフとは似つかないので、子供の父親とは思われなかった。それで彼は侍女や女官に聞き込みの対象を変えた。そうしたらめぼしい男が浮かんできたのだった。
ユーゼフとよく似た男で、彼の城へ出入りできる貴族ーこれを絞り出すまでには時間がかかった。だが同じことがあっては困るので入念に調べが進められた。その結果浮かんできたのは2人の青年だった。ユーゼフの従兄カフトルツ侯爵と、イマヌエルの兄だというカルナッハ公爵の長男エルンスト。2人とも自分の無実を証明するすべを持たなかった。
だが侯爵はユーゼフと犬猿の仲で、用もなくユーゼフのもとを訪ねるとは思えない。一方エルンストは親に廃嫡されて貴族の戸籍から削除されたので、動機もないとは言えないのだった。ただ彼はインドラのいる塔に出入りした形跡がなかった。
「インドラ嬢のお部屋はどちらでしたの?」
ルドヴィカは夫に言った。
「僕の部屋がある塔の対角に」
「あちらは門が壊れかけている気が⋯」
「そう、ー修理を手配しているところで」
ユーゼフは言ったが、門だけでなくはしごも修理を必要としていた。
「あのはしごの修理も⋯?」
ルドヴィカが尋ねると彼は顔色を失った。
「なぜだ。ーつけたばかりなのに」
ー不審者が入り込んでも逃げ出せるよう、最上階から地上まで丈夫なはしごがかかっていた。それも木製の歩きやすい幅で。それが壊されていたために、侵入者のあったことが誰の目にも明らかになった。
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ユーゼフもルドヴィカと和解し、夫婦仲は修復された。だがやはり子は授からないので皆で気筒の題目に加えた。
「これは⋯本当に何とも言えない」
ユーゼフはやりづらそうにした。
「最悪養子を取ることにいたしましょう」
ルドヴィカは彼に言った。
「子を産みたくないのかい?」
「不妊治療にばかり費やしても⋯私たちも他に出費すべきところがいくらかございますでしょう?」
子に恵まれないのは何も私たちだけではありませんもの。ー彼女は夫にそう言った。
それでも夫の腕に抱かれて寝るうち、月のものが止まった。二月が経っても来ないためルドヴィカが侍医に診せると、そこで彼女が子を宿したと解った。
「奇跡ですな。ー殿下のご祈念が通じたかと」
侍医は言う。
「祈って頂いたおかげもありますわね」
「⋯そうだね」
やっとユーゼフも言ったーその表情はあまり嬉しそうでなかったが。後はインドラが誰によって孕んだか調べるだけだった。
「隠し子騒動が落ち着けば…」
ユーゼフは言った、
「侍女も女官も検査しておこう。誰か男が出入りしなかったか」
それで彼は侍従たちに命じ抜き打ち検査をさせた。ルドヴィカも例外ではなかったが、ユーゼフは妻についてはその心配をそれほどしていなかった。必ず誰かが付き添い、彼に知らせていたからだった。そうしてしばらく経つと、カフトルツ侯爵がインドラに触手を伸ばしていたことが明らかになった。侍女も侯爵に買収されていたが、この侍女も城にはもういなかった。
「…尋ね人が増えたな」
ーイマヌエルは呟いた。
「もう一度聞き込みをしていかないと」
それで彼はハフシェンコ伯爵の屋敷に使いを送り侯爵との関係を調べさせた。だが侯爵と折り合いが良くないので縁談も断っていると伯爵は言うのだった。
「娘の部屋にあの御仁が行かれた?…それは到底思い至りませんでした」
伯爵が言った、
「ご承知のように閣下は既婚者で娘の入る余地など」
そうイマヌエルに話し表情を陰らせる伯爵。
「何とか真相を探ってみます」
ーイマヌエルが言うと、
「ぜひお願いしたい」
とだけ答え伯爵は立ち去った。
「…義姉上に手を借りれぬか?」
伯爵は夫人に言った、
「ユーゼフ様と侯爵とはいとこ同士、だが当人たちは犬猿の仲だ。奥方同士の会話から糸口はつかめんだろうか」
「…どういうことですの、あなた」
「消えた侍女の行方を追ってもらうのだ。娘も、娘についていた侍女も、…殿下の城にはいないらしいぞ」
「侍女も、娘と一緒にいなくなった?」
夫人が真っ青になった。
「ー頼んでみますけれど…聞き入れて頂けるかどうか」
そうして伯爵夫人は義姉に会い、事の顛末を打ち明けた。すると女官長は言った。
「カフトルツ侯爵の奥方を…?あのご婦人はずっと実家にいるそうよ。愛人が婚家に大勢いるので」
「…それでは、夜会など行事の時だけ夫人を同伴しているということ?」
「そういうことでしょうよ。部外者がどうこう口を挟むことでもないけれど」
女官長が言った。
「娘が気にかかるのなら、あなたが殿下のお妃について話を聞いてみたらいいわ。身の安全は保証できないけれど」
殿下の城にいない以上は始末されたと考えた方がいい。ーそれは伯爵夫人にとってかなり厳しい現実だった。
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ー夫の城で人の出入りが増え、衛兵の声も険しくなったのでルドヴィカは何があったか夫に尋ねてみた。
「従兄が若い女官に手を出し彼女を城から連れ出したので、女官が行方不明らしい」
「いつからですの、それは」
「ほんの数日前だと思う。ー僕に隠し子の疑惑が持ち上がった、ちょうどその頃だ」
「まさか…子を宿したというその方が?」
「そう、彼女がいなくなった」
ユーゼフは正直やりづらかった。収拾したというのではなく大事になってしまったからだった。だが伯爵令嬢はーインドラはー実際それから何日も姿を見せなかった。廃兵院で遺体が見つかったのは10日も後のこと。
「口封じで愛人を殺したのか…?」
ここへ来てユーゼフは従兄の残虐さに唖然とした。ドミトリィは話を聞き黙って首を横に振った。
「自分の妹だけは無事ーそう気楽に構えてもいられんな」
ルスランにそう話し、ユーゼフの城から数人貴婦人を預かると彼は申し出た。
「妃殿下とおつきの侍女、それに世話係の女官をお預け頂きたい」
「構わないが、…急にどうしたんだ?」
ユーゼフは言った、
「城の防備に気になる点でも?」
「妃殿下とは共通の知人がいましたので、私には個人的にとても大事な存在です。城へ入り込んだ男も私は知っています。私から見ると彼は義理の弟なのですがーあやつを妃殿下へ近づけたくありません。愛人を大勢連れ込まれて一緒にいるのが嫌になったと妹が」
「…伯爵令嬢も囲い者にされたということか?つまりは」
ユーゼフは尋ねた。だがドミトリィは
「可能性はあります」
と言っただけだった。イマヌエルは言った、
「何とか侯爵を呼び出しましょう。捜査を進めるためにも」
「だがどうやって呼び出すんだ?」
ユーゼフが尋ねるとドミトリィは軽く笑って言った。
「簡単です。ーあの男は目立つのが大好きですから、夜会を開けばいい。そうすれば、間違いなくやって来る」
この答えにユーゼフは納得したが、彼は別のことが気になっていた。
「…公爵、1つ聞いていいか?」
ユーゼフはドミトリィに尋ねた、
「妻と共通の知人が君にはいるそうだが、それは誰のことなんだ?」
ドミトリィの顔色が曇った。
「お聞きになる必要があるのでしょうかーお二方とも故人ですが」
「故人だって?」
「はい、故人です。だいぶ前に亡くなっています。…お2人が今もご存命なら、妃殿下もこの城においでになってはいません」
ドミトリィが言った。それでまたユーゼフは誰を指すのか気になってしまった。
「とにかく教えてくれ。ー君と妻と共通の知人とはいったい誰なんだ?」
「…妃殿下のお兄上と前のご主人、お2人が共通の知人なのです。皇太子とクラウス卿、そのご両名とも私は親交がありました」
そう言うとドミトリィは執務室を出た。中に残ったのは呆然とするユーゼフ、頭を抱えたイマヌエルの2人だけだった。
…本文を再編中です。
まとまるまで少々かかりますが、
どうかご了承くださいませ




