祝杯
ー世子の結婚披露宴があるためぜひご参列頂きたい。宮廷から通達は来たが、彼は正直気乗りしなかった。皇女の身内にあたる人が不参加になっている。ーアステンブリヤ公爵夫妻。彼の目当ては夫人の方だった。
「せっかくのお祝いなのにお兄様はご出席なさらないの?」
妹は淋しげに聞いてきた。ー妹は大公妃の甥、つまり現カフトルツ侯爵に嫁いでいる。実家に彼女がいるのは、愛人と同居するのに嫌気が差したせいだ。
「舞踏会もあるのですって。私たち夫婦は出ませんけれど。ご招待にあずからなかったので」
「ー妙なことを言うんだな、サーシャ」
男は妹の髪を手で梳いたー自分の分身とも言っていいくらい、彼は妹を愛していた。
「君主の甥が、結婚披露宴にも舞踏会にも呼ばれていないのか?何かの間違いだろう」
「違うのよ、お兄様」
サーシャが言った。
「あの人ー自分の夫を彼女はよく〈あの人〉と呼んでいたーユーゼフ様に向かって、ご成婚を心から待っていらしたお母上の深いご愛情が解らないとは、て言ったの。それでユーゼフ様がお怒りになって」
皇女の面前で夫がそういうこと言ったから。
ー妹の言葉に男は低い声で笑った。
「君主の資格ないな、あの男は」
奴に嫁がせたのは間違いだった。ー男はそう呟き、ウォッカを飲み干した。ーあれでまだ君主の身内とあいつは威張る気なのか?なら他の男を選ぶべきだった!ー自分に対しても
男は失望してしまった。
「すると、お前も出ないのか」
妹に言うと、サーシャは、
「舞踏会は好きではないし…。お従弟にああいう口を聞く以上夫とは踊る気がしません」
と兄に答えるのだった。
「お兄様がいらっしゃらないなら私も家にいようかしら」
「お前に任せる」
ー男は言った。その時、侍従が郵便物を手に部屋へやって来た。
「公爵夫人からです。いつもの場所にいると」
「手に持っているものは何だ?」
「お部屋の鍵だそうで」
侍従の言葉に男は下唇を舐めた。ーようやくあの美人と会える。ー久しぶりの逢瀬にその心は弾んだ。侍従の持ってきた郵便物には、確かに鍵が同封されていた。男はそれを手に衣装室へ向かい、着替え始めた。サーシャはその様子に驚いている。
「…公爵夫人と会うの?」
兄の手に指を絡め彼女は言った、
「あまり気取られないでね」
「ありがとう。気をつけるよ」
妹の言葉で彼は考え直し、舞踏会へも参加を決めた。従姉も結婚式に参列していたそうだから、何か聞けるかも知れない。ー仕立てたばかりの舞踏服に身を包み、彼は城を出た。
ー披露宴は大広間でと書かれていたので、おそらく舞踏会もそこで開かれるのだろう。3年前のこともあったので、結婚式には顔を出さず舞踏会だけに参加するつもりだった。4年前にも、新郎の友人として男は結婚式に参列していた。だがその結婚式にユーゼフが父親とともに現れ、皆を驚かせる。そこからクラウスの運命は暗転を始めた。養父の甥に襲われ、妻は男にさらわれ、彼はあっけない最期を迎える。そしてクラウスの妻は喪服を纏うことなく再婚してしまう。できたら新婦と顔を合わせずにそっと帰りたかった。ーそれでも主催者には礼を述べようと、大公の妹夫婦に彼は歩み寄った。
「お2人ともお変わりないか?」
不意に話しかけられ夫妻は息を呑んだが、
すぐに顔色は落ち着いた。社交界一の優男の出現で少し色めいてもいる。
「これは公爵閣下ー気づきませんでとんだご無礼を」
「お越しいただけて光栄ですわ。ー妹君もご一緒にこちらへ?」
ー伯爵夫妻は笑顔で答える。男はその問いに
「今日は私だけだ。ー妹は夫の不敬に耐えかねて、家に残ると言っていた」
「まあ。…そうでしたの」
「ーああ。気を遣わせて悪かった。今回は顔出しだけだが、参加させてもらうよ」
男は言った。伯爵は喜んだ。
「ぜひぜひ。ー娘も待ちかねまして」
「ギーゼラ嬢か」
男も破顔した。ーあの少女と一曲踊ってから出よう。彼はそう決めて、伯爵の案内でその一人娘に会いに行った。
「カダルシェフ公爵がお見えだ」
父親が男と引き合わせると、娘は静かに立ち上がり彼に挨拶した。
「ドミトリィ閣下、ご機嫌よう。ーお目にかかれて光栄です」
「ありがとう。覚えていてくれたんだね」
彼が主催者の姪と話し始めると、間もなく夜会は始まった。ハウデンブルグ伯爵が皆に盃を配り、新婚夫婦に目を遣って
「ユーゼフ殿下のご成婚ならびに両国家の平和と繁栄を願い、ここに祝杯を挙げさせて頂きたく皆様にお集まり頂きました」
と開会を宣言。その後カルナッハ公爵が盃を手に持って参加者を見渡した。
「ここで皆様とともに両殿下のご幸福またご長寿をお祈りし乾杯といたします」
一同が盃を空けると最初の曲が流れ始めた。ユーゼフは新妻の手を取り、寄り添って踊り始めた。




