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その花は天地の間に咲く  作者: 檜崎 薫
第一部
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運命の歯車

 皇后の実家、サヴァスキータ侯爵家。長く皇帝と対立してきた帝国屈指の有力貴族で、治める面積の広さは帝国内で一、二を争う。摂政大公の領地ですら侯爵のそれと比べ物にならずーまして他の貴族たちは遠くこの家に及ばない。

 諸外国とは縁を結んできたが、皇帝の娘を迎えることも、娘を皇帝に嫁がせることも、この家はして来なかった。それが思いがけず息子娘の恋愛関係から皇后をここから出そうという話になり、現当主の妹が、初めてこの家から輿入れした。それが今の皇后でつまりルドヴィカの母親だった。そういういわれもあり、政略結婚でも強制はするまいと皇帝も皇后も決めていた。なのでルドヴィカが手を挙げなかったら、ユーゼフが申し込んで来ても結婚の話はなかったことになる。そうしておきながら、ルドヴィカは伯父のもとへ行くと言い出した。ーなぜ今なのかと皇后は娘に問い質したが、ルドヴィカは今だからとしか母親に言わなかった。

 『ーあなたがご領地へ伺うことを伯父様はご存知なの?』

 『もう知らせたから大丈夫』

ーこれだけの会話で終わったため皇后は兄に急ぎ書き送ったが、侯爵から返ってきたのは〔解った〕という一言だけだった。

 侯爵は姪からの手紙を既に受け取っていて後は本人が来るのを待つだけだった。結婚を控えた姪が訪ねてくるのに不安はあったが、侯爵はその不安を押し殺した。

 「やはりな…」

姪のルドヴィカが来るとはいっても、決して自分に会いたいわけでないのを侯爵は重々に解っていた。会いたいのは侯爵その人でなく後妻の連れ子で、それも男だ。

 「あれにも考えはあるんだろうが…」

 手紙を読み返しながら侯爵は一人呟いた。

ー養子を一緒に連れて行ってどうする気だ。そなたの意思で決めた話ではないか。今さら自分の幼馴染と何を話すのだ。ー名から急に養子と会いたいと言われ侯爵も悩んでいた。妹からも手紙は来たが、侯爵にしてみれば、返事も解ったと書く以外になかった。実際の話、ルドヴィカが養子と会いたいというその理由が侯爵にも解らなかった。

 侯爵はずっと悩んでいた。来ると知らせがあった以上、後妻にもその連れ子にも、その心積もりをさせるしかない。だがどう後妻の子に話せばいいか、侯爵にはそれらしい案が湧いてはこなかった。侯爵の領地までは馬を飛ばしても7日かかる。それまでには話しておかないといけないのだった。

 「…あなた、どうかなさって?」

 侯爵があれこれ思い巡らしていると夫人が傍らへやって来た。

 「ーこれを見ろ」

ー姪の寄越してきた封書を妻に渡し、侯爵は重い足取りで外を見回した。夫人がその横で手紙を読んでいた。

 「殿下が、…皇女様がこちらへ?」

 「そうだ。そなたもよく見知っておろう。あれがそなたの子に会いたいと言うておる」

 「ご結婚前になぜでしょうか…話の決まった以上は仲の良い相手でも交流は禁物のはず」

 「わしにも解らんよ。ー当人でない限り」

侯爵はしばらく夫人と話し合い、まず夫人の連れ子に話をしようと覚悟を決めた。衣装の準備も出発の日に間に合わせるため大急ぎで発注した。前準備がある程度進んだところで

侯爵は後妻の子をー自分の姪より2つは下の青年をー侍従に呼びに行かせた。


∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽  


 『一月もしたらそちらへ参ります』

 結婚式の日取りを決める時にルドヴィカはそう返事を送った。母親が具合悪いので早く式を挙げたいというユーゼフに。急いで式を挙げることもないのではと彼女は思ったが、ユーゼフの母親がー大公妃がー自分に意識のあるうち嫁に会わせてくれと彼に頼んでいるらしい。なので、到着して3ヶ月後には式を挙げることに決まった。

 衣装を仕立てるための生地や型紙は寸法と一緒に送ってある。花嫁衣装や礼服・外套を輿入れ先で作ってもらうためだ。ユーゼフもルドヴィカも舞踏会は好きでなかったので、そちらの準備は後回しになった。義母となる大公妃は舞踏好きらしいが、本人が病気なら気にすることもないだろうという話で。

 ユーゼフの手紙を読み返してルドヴィカはため息をついた。ー伯父の領地に寄る時間もそう残っていなかったのだ。だが会いに行くことを彼女は決めてしまっていた。幼馴染に会うことはユーセフにも話してある。だが、一緒に来てもらえるかどうかはルドヴィカも自信がなかった。 

 『何かあったら言ってくれ』

 最後に幼馴染から聞いた言葉。少し冷たいくらいの印象を与える、端正な少年だった。幼い頃から思春期になるまで10年近く彼女は彼と一緒に育った。そのうち相手の少年には特別な思いが生まれたらしく、ルドヴィカが16になると、一緒になりたいと言ってきた。だが皇帝の娘に生まれた以上、ルドヴィカも自分の結婚相手を自由に決められなかった。

伯父を通し父に伝えてもらったが、皇太后が反対し結婚は却下された。その後で皇太子と皇太后2人が続けて亡くなり、ルドヴィカも伯父のもとを離れることになる。それからも何度か伯父の領地へ行ったが、結婚を決めた時は、どうしてもお前はそっちに行くのか、俺より会ったこともない奴の方がいいのかと詰られ、彼と喧嘩になってしまった。最後は彼の母親が間に入り喧嘩も収まったのだが、

相手は納得できなかったのか、以前と比べて少し硬い表情になっていた。そして舞踏会の練習相手を頼んだ時には、

 『馬にしか興味がないのに、どうしてそういう時に限って俺に相手を頼むんだよ。頼むなら他のやつにしろよ』

眉を逆立てて幼馴染は怒鳴ったのだ。彼とは仲直りも無理と思いルドヴィカもそこからは少し距離を置くことにした。だが、男友達の中にも彼ほど優しい表情や声を彼女に向けた少年はいなかった。ーあれが最初で最後だ。それはルドヴィカにも解っていた。

 わざわざ幼馴染を呼びに行くのはさすがに気が引けたのだが、ユーゼフから心当たりがいるなら連れて来てほしいと言われていた。そういうこともあって、ルドヴィカも会いに行くしかなくなった。だが3ヶ月も経ったら結婚式が待っている。そして馬車に乗り込む寸前に今度は電報を手渡された。到着したらまず婚約式を行うという。ー大公妃の具合は相当悪いのだろう。

 「これで何もなければ会いに行かなかったはず」

 ールドヴィカは呟く。どんな顔で幼馴染に合えばいいのか、彼女は悩んでいた。電報と調査結果を見直しながら彼女は馬車に乗っていたが、調査結果のうち一通はそのまま渡すよう頼まれている。そのため封筒の宛て名も幼馴染の名で書いてあった。

 「密約とか交わすわけではないわよね…?」

ルドヴィカは中身に少し不安を覚えながら、持ってきた結果報告書を荷物の中に戻した。そうするうちに彼女は馬車の中で眠り込み、目覚めた時には馬車も伯父の居城の前に来ていたのだった。


∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽  


 その日、彼はいつもより気が立っていて、修練に身が入らなかった。自分の中で怒りや憎しみが掻き立てられているーそう言い訳を並べたくなるほど、彼は気分が荒れていた。

読んでいた理論書を投げ出したくなったので彼は途中で修練を切り上げ、訓練場へと足を運んだ。

 「どうして今日に限って苛立ってんだ⋯」

 自分に文句を言いながら彼は一振りの剣を手に取った。ー銃の種類が揃ってきた時代に

剣が置かれた訓練場もまずないが、その逆に

銃に属する武器はこの訓練場にはなかった。それというのも、訓練場自体が何世紀も前のものだったからで、訓練に訪れる者も今では彼だけだった。ー彼が手に取ったのはかなり古い剣で、火を吹く鷲が柄に刻まれている。訓練場の入口には同じ図柄の旗が掲げられているが、その旗がどの国のものだったか知る者もほとんどいない。

 「⋯ここに俺の祖国があったんだって?」

 彼は誰にともなく呟いた。内戦で滅んだ後祖国はランブロジア家のものとなり、王家の血を引く一族が亡命した民を代々率いていくことになった。そしてその最後の当主が彼の父親だった。父親も小さい時に亡くなって、身内は母親だけになっている。 

 国を再興しろと父親には言われたが、同じ国に先祖を持つ人がどれだけいたかさえ彼は知らなかった。父親の死後母親は他の貴族の後妻となり、彼も母親と一緒に引き取られてその貴族の養子になった。連れ子だった彼の出自や生い立ちは伏せるという条件で。

『そなたはわしの息子としておこう』

ーまだ3つだった彼に養父はそう言ったが、その理由は明かされなかった。これから先も

教えてもらえないだろうー彼にはそんな気がしていた。この状態でどれだけの貴族が手を貸してくれるか、それを考える気にさえ彼はならなかった。

 ー何刻か剣の素振りをすると彼は水浴びに行った。水浴びが済むと衣装を着直して彼は草の上に寝転んだ。そこで彼はふと幼馴染を思い出した。侯爵の姪だという、2つ年上の皇女を。

 「あいつ、今頃どうしているんだろう⋯」

 仰向けで思い出に浸っていると、遠くから声が聞こえた。小さいので気のせいかと思いまた横になったが、しばらくすると前よりも少し大きい声で名が呼ばれた。彼は何事かと城の方を見た。衛兵たちが何人も動き回っている。

 「若様!フェルディナンド様!急ぎお父上のところへお戻りください!」

 「お父上がお呼びですから急いで城へお戻りください!」

何だって、父上が呼んでる?ーそこから彼は尋常でないものを感じ、馬を急がせて城へと戻った。 

 

∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽  

 

 幼馴染が会いに来る。ー単刀直入に言われ青年は戸惑った。

 「…父上、お話の意味が解りません。」

眉間にしわを寄せて彼は言った、だが養父もやはり同じ言葉を繰り返すだけだった。

 「私をからかうのはやめてください。私が殿下を忘れるのにどれだけ苦労しているか、父上もよくご存知のはず」

 「それは本人に言ってやれ。わしに言ったところでどうにもならん」

何とか自分で昇華させろとだけ養子に言い、侯爵は再び書類の山に向かった。いくらかは側近に預けるしかないが、それでも侯爵には決裁待ちがしっかり溜まっていた。

 「ーこの際そなたもやってみるか?」

そうも養子に言ったのだが、恋心の再燃してしまった青年にはその声も耳に入らなかった

らしい。ー辞退いたしますとだけ告げ、彼は再び自室にこもってしまった。

 「7日だ。ー7日でわしの姪が来る」

 侯爵は言った。

 「旧教のしきたりで離婚も婚外恋愛もこの国ではご法度だ。あれとて皇帝の娘だ、何もそういう類の話はすまい。ーだが、姪がこの城へ着くまでに何とかなだめてくれなければ先へ進めぬぞ」

母親のそなたが頼みだ。ーそう夫に言われ、夫人も顔色を曇らせてしまった。物心がつく前から相手を変えろ変えろと長いこと息子に言い聞かせ、そのたび彼は結婚に失敗した。もちろん、相手が悪かっただけで、侯爵にも夫人にも失敗の責任はない。だがそのせいで連れ子の青年が苦しんだのも事実だった。

 

 〔直接お見せしたいものがあるので、ぜひ伯母様のご子息とお話しさせてください〕


姪のルドヴィカが侯爵に送ってきた手紙だ。これだけ見たら何がしたいのか解らないが、

見せたいものがあると言われた以上は息子と話をさせる以外にない。息子と会うことからして今の皇女には厳禁なはずだが、その禁を犯してまで会いたいというのはどういうわけなのか。それが夫人にも掴めなかった。

 息子を説得するのに時間がかかってしまい

夫人も悩んでいた。ー侯爵に打ち明けると、侯爵は1通の大型の封書を妻に差し出した。

 「これを持って行け」

いくらか助けになるはずだ。ー皇女に宛てて書かれたものがそのまま転送されたようだ。

 「姪がわしによこしたんだが、ここにある文面がものをいうだろう」

そう侯爵は言った。それで夫の貸してくれた封書を手に夫人は息子のもとへ行った。

 「入るわよ」

 息子の部屋まで来ると、夫人はそう宣言し部屋の扉を開けた。

 「…なんだよ、おふくろまで」

青年はやはり素っ気なく言った、だが夫人も負けていなかった。

 「これを読んでちょうだい」

ー感情を出すまいと苦慮しながら侯爵夫人が息子に見せたもの。それは、見たことのない

男文字で書かれたラテン語の文章だった。


 〔ランブロジア家第二皇女

  ルドヴィカ・レオノーラ殿下ー


  急ぎお知らせ申し上げます。

  殿下のご婚約なさったという自国所属の貴族青年ですが、私の調査いたしました結果彼及びその母親の二重国籍露見につき、誠に残念ではございますが殿下のご降嫁には到賛成いたしかねます。異議を申し上げますその詳しい事情につきましては、別紙にあります内容をご精査願います。


 スタンハウゼン執政代理・主任外交員

 イマヌエル・ディートリヒ〕


ー母親の指先を見つめながら青年はため息をついた。

 「どうしてここへ持ってくるんだ。これはあいつに来たやつだろう!?」

母親に文句を言う青年だったが、夫人もまた息子にこう言った。

 「お許しを頂いて持ってきたのよ。殿下があなたに会いにいらっしゃるから」

 「ーこっちは何も会う用なんてない」

 「いいからとにかく読んで」

 ー母親に言われ文面を見直すうち、青年は手を止めた。〔別紙に〕ー別の紙に書いたと異国の貴族が言っていたのは、ルドヴィカと婚約した青年が彼女に辺境伯について尋ねたという話だった。

 「辺境伯…?向こうにそんな役職ないよな」

青年は1人呟きながら書面をめくった。ただ彼はまだ幼馴染と会う決心がつかずにいた。

今になって兄貴と会う気なんてねえし…相手がルイーザならなおさらだ。ー彼はそう思っていたのだ。そうするうちついに7日経った。

 「あれがどういう思いで来るのか?それはわしにも解らん。そなたが直接姪に聞いたら良い」

 養父に例の封書を返しながら青年は皇女と会う気になれないと養父に宣言した。今から急に会いたいと言われても自分は心の準備ができないと彼は言ったーそれに対する侯爵の答えが「直接聞け」という一言だった。

 ーやがて外が騒がしくなり、車輪のきしむ音と馬のいななきが聞こえてきた。ため息をつきながら侯爵は窓の外を見た。若い女性が馬車から降りて城に入るのが見えた。それとほぼ同時に侍従の声がした。

 「閣下、ご到着です」

皇女が着いたという意味だ。それですぐ彼は後妻の子を呼びに行かせた。

 「フェルディナンドを呼べ。ーすぐにだ」

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