背景
クラウスの子を引き取る。ユーゼフはそう言っていたが、彼もクラウスが実の兄でないことを知らなかった。シャルロッテとは血がつながっていたから兄妹と呼べたが、実際にクラウスが兄でないと知っても、ユーゼフはそのクラウスの子を引き取る気らしかった。
ーそれを聞いてなぜそうしたいのかと公爵は彼に尋ねたのだが、その動機がそもそも
『いい動機ではないと思う』
とユーゼフ自身が言うのだ。
「そのお言葉の意味を伺っても?」
公爵はさらに尋ねた。
「正直なところ、…僕が気になったのはあの子の母親ーつまり皇女だったんだ」
「それは存じませんでした」
答えを聞いて公爵も考え込んだ。
「奥方をお見初めになったので、公爵亡き後その遺児を奥方と一緒にお迎えになろうとお考えだったのですね」
「いやー」
ユーゼフは言った、
「子供が一緒なら、他の男から母親を引き離す理由付けにもなるかと思ったんだ」
クラウスの子を引き取ろうという動機は、ユーゼフが母親の方に恋をしてしまったためだった。なので彼の動機づけは冒頭に戻る。ーただ欲しくなったから妻に呼んだ。だが、母親の大公妃も、それを知って止めることができなかった。大公の妻に迎えられたから、自分は救われたのだ。ユーゼフの動機自体、どこまで彼の本心か解らないのだが。
シュスティンガー侯爵夫人。ー男爵の娘がこの称号を授けられたのには理由があった。クラウスの顔立ちを見て、大公は彼の父親が誰か解ったのだ。父親は廃嫡のうえ勘当までされていた。カルナッハ公爵の長男が従兄の婚約者に手を出したという。その廃嫡された男にクラウスはよく似ていた。義兄の息子が産ませた子なので大公も放っておけず、彼を息子として育てることにした。だが父親似の気性が災いし侍女たちが世話しかねたので、とうとう宮殿を離れ里親に預けられた。
カフトルツ侯爵。大公妃の兄で、大公とは義兄弟になる。後妻の連れ子なので彼は妹と血がつながっていなかった。だが、成長するうち彼は妹に恋心を抱き、妹を手篭めにしてしまった。さすがに深い罪悪感を覚え、彼は妹に近づかなくなるが、既に彼の子が宿った後だった。彼の妹は翌年社交界入りするはずだった。
社交界へ出入りできなくなった娘を両親は憐れみ、宮廷で奉公させることにした。だがそれを大公が見初め自分の妻にする。実家で子を産んでから彼女は大公に嫁いだのだが、妻がよくよく実家に帰るのに大公も不信感を持ち侯爵家に問い合わせた。それで嫁ぐ前に子を宿していたことが解ったのだ。兄侯爵に子を引き取ってもらい大公妃は宮殿で暮らし始めたが、その後も大公夫妻の間には微妙な温度差が残ってしまった。
そしてもう1人、侯爵の子を宿した女性がいる。イマヌエルの母親、つまりカルナッハ公爵夫人だ。ー婚約者が義妹を愛していたと知り彼女は身を引いたのだが、逆に侯爵から
恨みを買い彼女も手篭めにされてしまった。 そうして生まれたのがかの〈毒蛇〉ー夫人は誰の子か明かしたならお前の身元をバラすと脅されていた。だが望まぬ妊娠で産んだ子を愛せる女がいるはずもなくー公爵と同様に、夫人も長男には愛を注げなかった。そのため長男の性格が歪んだのだった。
『俺の子が跡継ぎになるのだから光栄だと思え』
そう、夫人は言われたという。だが、夫人の身元にどういう問題点があるのか、知る者もいなかった。
妻が初めに産んだ子を公爵はエルンストと名付けた、だが弟だけに両親の愛情が集中し自分に回ってこないのを彼はずっと歯ぎしりして見ていた。妹は早くに嫁いで自分と弟の2人しかいない。弟も歳が離れていてずっと幼かった。ーこいつがいなければ俺の人生も明るかった。ー弟の死を半ば願っていたが、そのせいで彼は武器集めに熱中していった。やがて、手元の狂ったエルンストは、新型の銃を暴発させその弾を弟に当ててしまった。クラスター弾が弟イマヌエルの顔面を貫通、そのせいで彼は弾の通った左目を失うことになったのだ。帰事故を知った公爵夫妻が嘆き悲しんだのは言うまでもない。エルンストもそのため廃嫡されてしまう。その後、従兄の婚約者がいた男爵の城をエルンストは訪れ、
従兄の婚約者を寝取ってしまった。その翌年クラウスは生まれたー。なのでアンゼルムの祖父はエルンストということになる。
「もう代替わりしているから、こちらから事情を伝えても向こうは引き取ろうとは言わないはずだ。ー叔父のいる家では」
「確かに」
「それなら僕が引き取っても問題はないと思うんだが…本人が懐いてくれれば特に」
ーごもっとも、公爵は思った、だが妻の手を取ったままアンゼルムがいなくなった。
「申し訳ありません。殿下にお引き合わせするはずが」
「…ああ、別にいいよ。向こうは子供だしーそう急がなくていい」
先に花嫁衣装を見てくるとユーゼフは公爵に言った。執事には甥を探させるよう言って。
「では、私もこれで失礼いたします」
公爵は胸が痛むのを感じた。ー実の兄でない男の遺した子を殿下はお引き取りに?侯爵も罪なことをなさる。ー侯爵が自分の妻に子をはらませていたのもあって、公爵はそう思うのだった。




