家名の下で
ーフェルディナンドは宮殿の裏へ向かい、ユーゼフの姿を探した。執務室で彼に会うと
フェルディナンドは言った。
「殿下、門が破られました」
「何だって…!?」
ユーゼフの顔色が変わった。
「脱走者が出たという話はこちらへ届いていませんか?」
そうフェルディナンドが尋ねると
「いや、いないが…破られたのはどちら側の門だ?」
ユーゼフは彼に問い返した。
「この棟に向いている門だそうです。少し前に聞いたばかりですが」
「宮殿から僕の城に向かったーつまりそういうことになるんだろうか」
ユーゼフは心配になった。ー婚約者が塔へ行って侍女と打ち合わせをしている。無事で済めばいいが…。ーだが彼は1人の危険人物が来ていたのを思い出した。アレッシオだ。
「公爵の様子を見に行ってくれ」
ーユーゼフはフェルディナンドに言った。その指示を聞いて、彼もうなずいて
「解りました」
と執務室を出ていく。ー数分後、侍従が駆け込んできて
「殿下、…公爵が見当たりません」
アステンブリヤ公が。ー彼はそう告げた。
「何だって…いなくなった?」
「ーはい。見張りも倒されたようで」
申し訳ありません。ー侍従はうなだれた。
「フェルディナンド卿は?ー少し前に見に行ってもらったが」
ユーゼフの問いに侍従が答えた、
「後を追うので伝言を頼むと。…卿と公爵は入れ違いに動いていたようです」
「…そうか。解った」
侍従をねぎらって下がらせたがユーゼフはやはり釈然としない。何者かが頃合いを見て間に入っているのだろうというほどの絶妙な間隔だった。ーこれは絶対におかしい。誰が糸を引いているんだ?ー彼は不気味さと言い知れぬ不快感に唇を噛み締めた。
どうしても話をしたいと言いながら、待つことをしないためアレッシオは小部屋に入れられた。ここでじっとしていてほしいというユーゼフの意思表示だった。だがユーゼフが無理なら本人に直談判しようとアレッシオは動き出したのだ。ユーゼフに嫁ぐというのもルドヴィカの意思だったのだが、その意思はアレッシオには伝わっていなかった。連れて帰るのは彼女ではなく、フェルディナンドのはずだったがー彼は目的を変えていた。彼はルドヴィカを探して動き出したのだ。
ーフェルディナンドはアレッシオの向かう場所がどこか解るので、ルドヴィカの場所を侍従から聞きそこへ急いでいた。ー奴が俺のところに来ないのなら選択肢は1つだ。他にありえない。相手は城の勝手が解らないんだからすぐ追いつくはずだ。ーそう考えて彼は周りの衛兵に注意を呼びかけた。
「アステンブリヤ公が!?」
「何だってここでそんな…!」
衛兵たちは信じられないといった表情で顔を見合わせる。
「君主の一族に連なる方のなさることとは思えません」
中にはそう言ってくる衛兵もいた。ーさすが廃太子の末裔だ、やることが違うわ。他国でここまでするやつもいないだろう。ー衛兵の反応を見てフェルディナンドはそう考えた。彼は、アレッシオに軽蔑の念すら抱くようになっていた。
「当主がこういう行いをするとはな。この様子じゃ国でも重用されねえだろう」
とにかくあいつを見つけないとー呟きながらフェルディナンドはアレッシオを探した。
衛兵は足跡などを頼りに手分けして動いている。だが、落ち葉もたくさんある中で人の動きを見定めるのは難しく、後を追ううちに彼を見失ったらしい。塔の入口も一定ではないため、長くいる者でないとその向きも解らないはずだがーアレッシオはどう動いているのか。フェルディナンドはそこで少し考えた。自分がルドヴィカに会おうと思ったらどうやって塔の入口を探す?ーそう考えた時彼は答えにたどり着いた。侍従も付き添いも、塔の中へ声をかける時は下から覗き込むのだ。そこで彼は言った、
「中の女たちには何も喋るな。相手が殿下でも、他の人間でもー塔を覗き込むな」
入口を悟られたくない。ーそれで衛兵たちも彼に同意した。
塔は全部で4つなのだが、どの塔も入口の向きを除き同じ造りにされている。個別で使えるよう、廊下も階段も何かあったら簡単に取り外しできる形状だ。城の中へ攻め込まれたことが複数回あったのだろう。
衛兵は組の者同士で話し込んでいる。どこへ隠れたのか解らず、途方に暮れているのに違いない。だがフェルディナンドには確信があった。ー塔の中でなければ森に潜んでいるはずだ。俺には解る。
ー耳を研ぎ澄ましじっとしていると、風の収まった一瞬にふと音を立てた木があった。複数集まっているうちの一本。それに気づいたフェルディナンドは、
「いたぞ!捕らえろ!」
と衛兵に命じた。衛兵たちは木を取り囲み、木陰に潜んでいた男を引きずり出した。
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木陰から引きずり出されたのは20代前半の男と見られ、交差する剣とそれに絡まる蔦の図柄が袖口に見られた。アステンブリヤ家の家紋がこの図柄だった。
「…やっぱりあんたか」
フェルディナンドは男の顔を見るなりそう言った、一方で衛兵たちには下がるよう言いつけた。
「相手は貴族だ。ー尋問は俺がやる」
ー彼の言葉に従い、衛兵たちももとの場所に戻った。爵位のない者が爵位を持つ者を裁くことは許されていなかった。
フェルディナンドは男に向かい言った。
「その紋章は見たことあるぞ。ーあんたがあそこの現当主なんだろう?ーアレッシオ・アメデーオ3世」
「なぜ貴公が私の名を…!?」
相手は険しい表情で問い返した。
「なぜ知っていたか?ー知り合いに皇女がいたからな、血族の名前までは覚えている。性格うんぬんは別として」
「皇女が知り合い…?」
「そうだ。でなければ俺もここにいない」
「やっと解った。ーサヴァスキータ侯爵の養子というのは君か」
握手しようと彼は手を差し出すが、その手は宙に浮いてしまった。相手が拒否したため。
ーフェルディナンドはアレッシオの方に深い怒りのこもった眼差しを向けていた。
「ー私の好意をはねつける気か?」
アレッシオが言うと、
「それを受ける義理なんぞないね。少なくとも今の俺にはそうだ」
「理由を聞かせてもらおうか。ー目上から差し出された好意をなぜ拒むか」
「聞いてどうするんだー塔の上まで登って自分の親族に訴えるとでも?向こうがそれを受け付けるとは俺には思えないが」
フェルディナンドの言葉。アレッシオは
「ずいぶん幼稚なことを言うな」
とそれを否定する。
「ならなぜ中へ入った。ーあんたにはこの国に来る必要もなかったはずだ」
俺を護衛から外すだけの目的でここまで来たわけじゃないだろう?ーフェルディナンドはそう問い詰める。
「自分の夫を手に掛けたやつと寝たい女がいると思うのか?和平交渉のさなかに」
フェルディナンドの声は尖ってきた。
「俺には解っている。ー3年前、山奥から皇女を連れ去ったのもあんただろう?よその国で侵入騒ぎを起こすとは全く頂けないね。それでも皇族か?」
彼はアレッシオに近寄って言う。
「お前は…」
アレッシオはフェルディナンドの顔を怒りとともに見上げた。
「目上の相手を敬称で呼ぶことも知らないのか」
「あんたそれほど高貴な存在なのか。仮に長幼が逆になったとは言え、自分より立場が上の人間に従う気のない男が」
「長子相続制度を知らないというのか」
「知っているさ。現皇帝も、兄弟の順では上だろう?なぜそれを引き合いに出す?」
「私が言うのはその前の話だ。今のことを言っているのではない」
皇位継承権をもとの長子の家に戻せばいい。ーアレッシオは言うのだった。
フェルディナンドは鼻で笑った。
「そこまでして玉座がほしいか」
執着する割に人格がなっていねえな。ー彼はアレッシオを睨みつけた。
「親兄弟の命を狙う男と一緒に暮らせってか?それも同じ先祖を持つ相手に」
「待て!私はそこまでしていない!」
アレッシオの弁明。ーフェルディナンドは、
「あんたでないならいったい誰だ。少なくともあんたの親戚だろう?ー皇太子を襲って撃ち殺したのは」
「違う!ー断じてそのようなことは」
「なら教えてもらおう。ー先帝、皇太子、二人の暗殺を命じた連中はどこの誰だ!」
「暗殺だって…?」
アレッシオは呆然と呟く。ーそのような話は聞いたことがない。いったいどうなっているのだ?ー衝撃が大きすぎ、彼はしばらく立ち尽くした。
「知らない」
やっと彼は言葉を発したが、相手からは
「何ー『知らない』?あんたの一族以外に皇帝の座を窺う家もないと思うが」
「だからといって殺しはしない」
「じゃあ、狙っていたのは認めるんだな」
フェルディナンドは唸った。
「ーどういう意味だ」
アレッシオが言うと、
「言ったままの意味だ。このうえまだ噛み砕いてあんたに説明しろというのか?」
フェルディナンドは言い返した。
「それが主君に対する礼儀か?敬称も弁えていないとは正直恐れ入った」
「俺はあんたの家臣じゃない。それに」
フェルディナンドは言い、
「皇帝の娘に生まれた女をああやって追い落とした一族を、俺はその1人だって主君として仰ぎたくない」
「ー私がそこまでするものか。なぜそれを私に結びつける!?」
「あんたやあんたの一族以外、やりそうなやつがいないからだ。他に誰がやるっていうんだ」
「ー曲がりなりにも自分の血族だ。毛嫌いされたにしても、追い落とそう、蹴落とそうなどと物騒なことを考えたことはない」
「…信用ならないね。現にあんたは、自分であの皇女をさらってきたじゃねえか」
「ーそれはそうだが」
アレッシオは気まずそうながらも、ことの経緯を話し始めた。
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ー2人の娘がラテン語学校を卒業すると、皇帝は娘たちの婚姻をどうするか真剣に考え始めた。だが、皇太子とエンリコは、2人の社交界入りを最初に成功させたかった。妹を従弟に嫁がせることも皇太子は考えていた、だがその話は叔父に断られた。ルドヴィカをエンリコが気に入っていたのは、摂政大公もよく知っていた。ただ奥方や娘が承知しないという。
マルゲリータの護衛はエンリコに決まったが、ルドヴィカの護衛を誰にするか皇太子は悩んだ。アレッシオも一度は彼女と踊らせてほしいと皇太子に頼んだ。皇太子もくり返し言われてついに折れ、
『本当に一度きりだぞ』
と言っていたが、ルドヴィカの社交界入りで彼に相手をさせる気はなかった。皇太子から相談を受けたクラウスは自分に護衛をさせてほしいと申し出、それを了承される。実際は欲情に燃えた男が女子に手を伸ばすのを防ぐのが目的。脇に提げた剣も実用というよりは護身用見栄え用のものだった。皇太子の妹のルドヴィカを彼は気に入ってしまいー実際に舞踏会で顔を合わせると、ルドヴィカの姿は彼の心に焼きついて離れなくなった。養父のカテルイコフ伯爵は何度も反対したが、彼は彼女を妻に欲しくて仕方ないのだった。
自分の成人祝いが終わると、皇太子は人を遣ってクラウスを屋敷に呼び寄せた。
『君は確か来年成人だったな?今のうちに妹を連れて行ってくれ』
ー拉致同然で自分のものにしろと、皇太子は命じていた。
『あの男の跡継ぎには妹をやりたくないー君なら私の妹を大事にしてくれるだろう』
クラウスの人柄を見込んで、皇太子は自分の妹をさらってほしいと頼んだのだ。何よりも傍系親族に嫁がせるのを嫌って。
『何か、殿下のお気に障ることでもあったのですか?そのようにおっしゃるとは』
『ーあったとも。…妹を飾り物にして、妾に跡継ぎを産ませる気だ。それくらいなら妹も遊女にして客に身請けさせた方がましだ』
妹を遊女に落とすというのは極端すぎだろうが、それでもアレッシオの言葉への皇太子の反感は大きかった。ただクラウスもさらってまで妻にする気にはなれずー
『私が成人を迎えたその日にお迎えに参ります』
と、皇太子に伝えた。サヴァスキータ侯にもそのつもりでいてほしいと彼は言った。ただ摂政大公や他の皇族にその話は伝えられず、極秘理にそれは行われた。
『殿下ーお気は確かですか』
『ご自分の妹君をあの公爵に…まさか』
社交界きっての遊び人が妹の前では貴公子になる。その様子を目にした皇太子は、やはりあれは仮面だったと父親に伝えた。
『皆が庶子だ私生児だと公爵を嗤っているーその中で本気の恋愛などできるはずがありません』
皇帝はそうか、としか言わなかったが、その表情も眼差しも穏やかだった。その翌月には正式に2人の婚約が確定、クラウスの成人を待ってルドヴィカは彼に嫁ぐことになった。だが、クラウスの父親が大公でないと聞いたアレッシオは、どうしても遠縁の娘と彼との結婚を受け入れられず、最後はルドヴィカをさらって城から連れ出したのだ。彼女の夫のそばに見たことのある男が立っていたせいもありーだが、さらに恐ろしい場所へと彼女が連れて来られたことを知って彼は動かずには
いられなかった。見覚えのある顔が1人だけユーゼフの護衛に混ざっている。ーあの男は妻の愛人ではないか…。奴がなぜこの場所に?ーアレッシオが見た男とはカルナッハ公爵の長男、つまりイマヌエルの兄だった。父親に毒蛇とまで言わせた危険人物で、女漁りから毒薬密造に至るまで、ありとあらゆる悪事に手を染めてきた男。ーなんとかして救い出さねば…。アレッシオがフェルディナンドの後を追ったのはその一念からだった。
「待ってくれ。さらったのは事実だが何も欲のためだけではない」
ー彼はフェルディナンドに言った。
「まず訳を聞いてくれ。そうしたら殿下も君も納得できるはずだ」
アレッシオは言ったが、
「普通は使いをよこすだろう。任務を放り出してここまで来るその考えが解らんね」
フェルディナンドは素っ気なく答えた。ただ
「どうしても自分で話したいなら、面会を申し込んで殿下に言ってみな。それで殿下に話が通ったら俺もおとなしく帰る」
「やっと聞いてくれる気になったか」
アレッシオは言ったが、フェルディナンドはユーゼフに話してこいと言っただけだった。
「殿下が聞き入れたからと言って、俺まであんたになびくとは思ってくれるなよ。俺はあんたと仲良くするなんてごめんだ」
「…それは残念だ」
フェルディナンドの言葉にアレッシオは笑いながら言った。ー全くいい気なやつだ。この男はどこまで自分の思い通りになると思っているんだろう!ーだんだん苛立ってくるのを堪えていたフェルディナンドだが、しばらくして思い出したように言った。
「もし殿下に断られたらいったいどうする気だ。ーまさかあんた、前みたいにさらっていく気じゃないだろうな」
「だったらどうなのだ。それは貴公と何も関係なかろう」
アレッシオはそう答えた。この返答を聞いてフェルディナンドは彼への反感を強くした。
「そう思って俺と替わりに来たのか」
「そうだ。これは本来貴公と縁のない話だからな」
「だったら、あんたがそう考える根拠を、ここで示してもらおうじゃねえか」
フェルディナンドの眼光に敵意と憎悪が宿り始めていた。
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「根拠を示せだと?ーこの私がなぜ貴公にそれをせねばならないのだ。皇女を妻にする資格があるなどと思ったら大間違いだぞ」
アレッシオは鼻で笑いながら言った、
「辺境伯も帝国貴族ではない、その息子に皇帝の娘を嫁がせるなど考えられん。母親が妾ならなおさらだ。身の程を弁えろ」
「…そういうあんたは、なぜ皇帝に婿入りを断られたんだ。皇帝に嫌われていたんだろうーあんたもあんたの父親も。そのうえ本人があんたを嫌いなら結婚どころじゃない」
「愚か者め。貴族の縁組は愛情より政略というのを知らんのか」
アレッシオはそう言った。
「それでもあんたは選ばれなかったよな」
フェルディナンドは大笑いした。
「血縁関係があったら、家柄だけでも釣り合ったら結婚が成立するって?いつの時代の話をしているんだ。ヴェストーザ公が庶民の娘と結婚したのも知らないのか。でなくても俺は許嫁だったからあんたに気を遣うなんてしない」
「許嫁ー貴公が皇女の許嫁か」
アレッシオは意外そうに呟いた。
「そうだ。皇太后の反対がなければ一緒になれたんだ」
「陛下も人選を誤られたな。私ならずっとお護りできるのにーいくら一緒にいたくとも貴公では愛人で終わるのが落ちだ」
ーその言葉にフェルディナンドは瞳を怒りで見開いた。
「もう一度言ってみろ」
低い声でそう言うと、フェルディナンドはアレッシオに詰め寄った。
「『愛人で満足しろ』と言ったのだ。君は耳が悪いのか?侯爵家世子殿」
アレッシオが嗤いながら答えた。すると
「ろくに愛情も抱いていない男が、よくもそんなことを言えたもんだな。自分は愛人になるどころか相手に寄り添う気持ちすらないのにな。ー俺がルイーザの愛人なら、貴様はいったい何だ。当て馬か?それも違うな」
そうフェルディナンドは言ったが、次の瞬間膝で相手を蹴り飛ばした。
「ふざけるんじゃねえ!」
「ぐっ…」
アレッシオは地面に叩きつけられしばらく動けなかった、フェルディナンドは彼の腹を足で強く踏みつけた。ー女を妊娠させるしか能のないくず男め。ー5つは年上の、それも傍系皇族の当主に彼は罵声を浴びせた。
「俺に愛人になれ、だって?ールイーザがそういうのならなってもやるさー俺にとってあいつほど大事なものもないからな。だが、それだって貴様が本命というなら話は別だ。誓ったっていいー貴様とルイーザと、2つの心臓をこの銃で撃ち抜いてやる」
「皇女を愛称で呼ぶのか!?」
アレッシオは不遜といきり立つが
「そう呼んで悪いか?」
フェルディナンドはそう言った。
「皇女とは許嫁だったー少し前にそう俺は言ったはずだ。それすら貴様は覚えていないのに未だ結婚したいと言い張るのか!相手の親を尊敬できない男が結婚したいだの何だの格好つけて言うんじゃねえ!俺が婚約を申し込んだ時だって、貴様ら親子は位をよこせと皇帝兄弟に言ったそうじゃねえか!そのうえ他国へ嫁いだ相手を二度も追い回すとはどういうつもりだ!」
「どうするもこうするも…」
アレッシオは、踏まれる痛みに耐えながら言葉を紡いでいた。
「貴様は正規の手続きも踏まず女と一緒になる気か。よその城からさらったのを隠してあくまで自分の妻と言い張るんだな。当人の意思も無視して。ーそれが全部まかり通ると思ったらそれこそ大間違いだ」
「…何を言うか!」
「これ以上何を話せって?ー本当に惚れた女なら身を引くこともできたはずだ。貴様がそれをしないのは相手にそこまで愛着がないせいだろう。相手が他の男に嫁いだのを奪い取るなんざ貴族のすることじゃねえ」
ーアレッシオは何だと、と睨みつけるが、その声はフェルディナンドに聞かれず、彼の体は踏みつけられたままだった。
「…この国にいたら危険だ?そもそも貴様の言う危険だって、もとはといえば貴様の親が種を蒔いたんだろう。ー皇女を危険な場所へ送り出してそれを息子に連れ戻させる。だがいいさ。俺は最後まで貴様に立ち向かって、そのからくりを暴いてやる」
誰が何と言おうと貴様のようなやつに惚れた女を渡したりしない。ーフェルディナンドは鋭い口調でアレッシオに言い放った。
「私が元凶だと言いたいのか!?」
「あくまで無実だと言い張るんだな。ならなぜここが危険なのか訳を教えてもらおう」
「殿下についている護衛だ。護衛もしくは侍従ーその中に毒蛇がいる」
ー毒蛇だって?こんな寒い土地に毒蛇なんて生まれるものか。ー半分ばかにしながら話を聞いていたフェルディナンドだが、
「毒蛇とは誰のことだ。この場にそいつがいるというのか」
とアレッシオに言った。ーアレッシオは顔を四方に向け周囲を見渡しながら言った。
「あの男だ。ー左手前の塔の脇にいる」
「塔の脇だって?」
アレッシオの言葉に、フェルディナンドは彼の言った方向を見遣った。長椅子の後ろで細長いものが縦横に回っていた。ーなるほどそういうことか。ー自分も銃で身構えながらフェルディナンドは長椅子に近づいた。
相手も銃を持っているので、こちらが先に撃たれるかも知れない。フェルディナンドはその覚悟もしていた。が、心配は無用だったらしい。ー長椅子の奥から忍び笑いと賛辞が聞こえたのでそれが解った。
「見事な論破だった。…素晴らしい」
高い男の声だ。その声は知り合いと似ているとフェルディナンドは思ったのだが、考えている余裕はない。彼はすぐ衛兵に次の指示を出した。
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「その椅子をどけろ」
ー衛兵に言うと、フェルディナンドは顔色1つ変えず相手に近づいた。
「お前、いつからここにいた」
長椅子に隠れていた男を見つけ、彼は険しい表情で銃を突きつける。答える代わりに軽く笑いながら
「⋯見つかってしまったか」
悪びれずに言う男。ーだが、男の顔立ちは、彼も見慣れているものだった。眼光や左目の部分を除けば、その男はイマヌエルそのものだったのだ。イマヌエルの兄は親に勘当され出奔したらしい。兄がどこにいるか解らないとイマヌエルは言っていたが、実際には国へ戻っていてそれを家に言わないだけではないのか。ーフェルディナンドはそう考えた。
「9時課の頃にはいたよ」
ー男はやっと答えた。
「動こうとしたら衛兵が散らばって⋯出るに出られなくなってしまった。本当なら疾くに出ていてよかったんだが」
「ー俺たちの話も全部聞いたってわけか」
アレッシオのことといい立ち聞きされたことといい、腹の立つことが重なって言葉少なになるフェルディナンドだったが、こうなった以上はと覚悟を決めて彼は銃を持つ手に力を込めた。
「公爵を連れ出したのも貴様か?貴族とはいえ、事前に断りなくお訪ねした男を殿下の私邸に入れるとは何様のつもりだ!護衛ともあろう者が、その程度の常識も知らないのか!」
フェルディナンドが怒鳴ると男は言った、
「ーここはもともと母の生家でね」
罪悪感を見せず男は話し始めたが、男の話す内容にフェルディナンドは不快感を覚えた。
「あまり懐かしかったので、自分のものと錯覚して黙って入れてしまった。ーそうだ、確かに君の言う通りだな。主人の屋敷に主に断りなく他人を入れるのは良くない」
爽やかに言う男だが、それがまた彼の耳には不信感を覚えさせた。
「カルナッハ公爵家の出か。ー勘当されてからまた舞い戻ったとは」
「ずいぶん詳しいようだね。ーどこでその話を聞いたんだ。弟に会ったのか?」
ー男はまた笑った。
「会っていたら何なんだ。話を聞かずとも顔を見れば解るだろう!」
「まあ、そう怒鳴らないでくれ。ー原因は先ほどまで君と話していたあの男だ。自分を振った女と会いたいと言うので、中へ入れたまでだ。門兵には悪いことをしたが」
「それだけでも十分不忠実だ。自分でそう思わないか?」
フェルディナンドは言った、だが男に動じる気配はない。
「公子に仕える気はなかった。国へ戻ってきた時他に仕官の口がなく、仕方なくついただけだ」
「それでよく今までやって来られたな」
明らかな皮肉で、男への称賛も感嘆も入っていなかった。だが男はそれを聞いてまた笑い
「お褒めに預かって光栄だ」
と一言。
「君はここに置くのはもったいない。私と組む気はないか?」
男はフェルディナンドに乗り換えを持ちかけたが、彼は一言で断った。ちょうどそこへ、ユーゼフが1日の政務を終え戻ってきた。
フェルディナンドは苛立ちから男に怒声を挙げ続け、やがてユーゼフたちが戻った時にその声が聞こえてしまった。ー夜中だった。部下の怒鳴る様子にユーゼフも気が気でなくなり、ついに制止をかけた。
「この時間にいったい何の騒ぎだ?ー城に強盗でも入ったのか」
「公爵がここに」
ーフェルディナンドがアレッシオを示すと、それを見たユーゼフの顔色に不快の色が出てきた。
「…公爵、誰の手引きでここへ?ーこの城は寝起き専用だから応接間などはない。それに話があるなら面会に来てほしいと伝えたはずだが」
「毒蛇がおそば近くにいたのでそれを取り除こうと」
ーイマヌエルの兄を指して毒蛇と彼を例えたアレッシオだが、それで彼は余計に自身への不信感を煽ってしまった。
「…毒蛇か。よく解った。だが、その毒蛇に手引きを受けた応分の報いは受けて頂こう」
そう言うとアレッシオを宮殿の独房へ入れるようユーゼフは命じた、さらに翌朝早く彼を帝国へ送り返せと執事に言いつけた。それはそれで済んだが、フェルディナンドは自分の前に立つ男をどうするかユーゼフに尋ねた。
「殿下の護衛だというこの男はどうご処分なさいますか?」
「…そうだな」
しばらく置いてユーゼフは答えた、
「廃兵院の方へ回ってもらおうか」
それで衛兵はその男を捕らえ、彼を宮殿から一番離れた古い門の近くに鎖で縛った。その後ろからユーゼフに声がかかった。
「殿下、…伯爵がシャルロッテ様とここへ到着されました」
「すぐ行くと伝えてくれ」
ー侍従に声をかけると、フェルディナンドの方へユーゼフは目を向けた。
「1人で対処してくれたのか」
「いいえ。ー衛兵もいましたし」
私の力だけではありません。ー静かに答え、フェルディナンドは引き下がった。
「…とにかくありがとう。見に来てもらっただけの甲斐はあった」
「ー礼ならここにいる彼らに」
後で話をしようと言いユーゼフは執務室へ引き返し、フェルディナンドは城の中に残ることになった。衛兵たちは
「感動いたしました。ーあれだけの速さであそこまで対処なさるとは」
「本当に。よくぞやってくださった」
ー衛兵の称賛を聞いて、称賛を感謝する前に自分の力というよりはルドヴィカへの思いがそうさせたのではないかフェルディナンドは感じたのだった。




