尋問
母親の体調が崩れたことで、舞踏会開催もユーゼフは見送ることに決めた。とりあえず婚約式は済ませようと手配を急いでいたが、他にも彼には用事があって自分で自由に動けない。式場の候補は挙がっていた、だが彼は婚約者に式場を決めてもらおうと思い執事を彼女のもとへやった。
「構わないけれど、なぜ急にそれを?」
ルドヴィカは言ったが、執事は
「まだご用事がおありのようで」
としか答えなかった。
母親が病気と聞いていたので急ぎご挨拶にとルドヴィカは言った、すると執事は、
「少々お待ちください」
と侍医に尋ねてきた。ルドヴィカの申し出を侍医は歓迎し、すぐ来てくれと伝えさせた。
それで執事はルドヴィカを大公妃の部屋へと案内した。
「こちらでございます」
ー侍女が扉を開け、彼女を義母の部屋へ招き入れた。
「大公妃殿下、…お客様が」
ルドヴィカ皇女がお越しです。ー侍女がそう話すと、大公妃は少し顔を起こした。
「妃殿下でいらっしゃいますか?」
ルドヴィカは恐る恐る尋ねた、すると
「ええ。ーあなたは?」
大公妃は静かに答えた。
「ベルナルドの娘です。ベルナルドの娘でルドヴィカと言います…ご闘病中と伺ったのでご挨拶だけでも」
「まあ!」
大公妃の瞳に光が灯った、
「顔を見せに来てくださったのね。本当にもったいないーいらしたことは息子から聞きました。こちらこそご挨拶に伺うべきなのに来させてしまってごめんなさい」
彼女は息子の婚約者に言った。
「…もとからご病気だったのですよね?」
「ええ。ー半年ほど前から」
「殿下から伺った時には私も驚きましたわ…そこまでおっしゃるとは、とー。でも式にはいらっしゃれますの?…婚約式の方には」
ールドヴィカが言うと大公妃も微笑んだ。
「できたらそうしたいのです。息子の妻となる方がこうして来てくださったからには」
「それでしたら早いうち用意しますわ」
大公妃の言葉は、掠れがちだったがしっかりしていた。ただやはり本調子でないので、早いうちに婚約式の会場を決めようと彼女は侍医に話を振った。
「妃殿下のご容態はどういう…?」
侍医は静かに答えた。
「喉と頭のあたりに熱がありまして…あまり冷えた場所においでになるのがお体に応えるようです。水分も適量にと申し上げるしか」
「部屋も焚いておかないとだめなのね」
「そうして頂けると…」
「式の順序は殿下と相談してみます」
それからルドヴィカは軽く挨拶し、大公妃の部屋を後にした。ちょうどそこへユーゼフが姿を見せた。ー彼は
「もう母のところへ来てくれたのか」
「ええ。ーどうしても気になって」
ルドヴィカは彼にそう答えた。
「…やっと軽くなってらしたのね」
彼女が言うと、ユーゼフもうなずいた。
「そう、今はね。ーでもいつまでもつか」
「お薬が合わないとか?」
ルドヴィカは婚約者に尋ねた。
「そういうわけじゃないんだ。ただ、誰か差し入れてくるらしくて」
「…侍医もついているのに?」
ユーゼフの話に顔色を曇らせるルドヴィカ。
「信用できないと言いたいのかしら」
ーユーゼフは苦笑いした。
「ー彼らが信用できないのは僕たちのことかもな」
「それはもっと困るわ」
ユーゼフの冗談にルドヴィカが言ったーそれ冗談で済まないかもしれなくてよ。この時は誰もそれが現実になると思っていなかった。
婚約式の準備だけは済ませようと、彼女は軽く侍医の説明を伝えた。するとユーゼフは
「ならここにしよう」
と、敷地の左下に描かれた1つの古い建物を指し示した。
「あまり傷んでいないから、半日だったら使えると思う」
「ー執事や伯爵にそれを話しても?」
ルドヴィカが聞くとユーゼフはうなずき、
「君から話しておいて」
と言いながら執務室へ向かった。
「殿下…まだお仕事を?」
いつおやすみになるのールドヴィカの言葉にユーゼフも首を傾げてみせた。
「終わったら寝るけど君は先に寝て」
「あら…手分けは無理なの?」
「今はね。ー気遣いありがとう」
そう言うとユーゼフは別棟に急いだ。ーまだ二人目と話をしていない。
「お母上のお薬が問題?」
ルドヴィカは言った。ユーゼフはその通りと答えたが、手を借りようとしなかった。
「誰を呼ぶの?」
「ハフシェンコ伯爵夫人で、正式な名前はダヌシュカ・ランカーチェフ・ハフシェンコ」
その名は聞き覚えがあったー従姉の結婚式で会っているはず。自分の名でも応じてくれるはずだ。ールドヴィカはそう確信した。
「私から呼んでみますわ。ー明日の朝話をしに来てほしいと」
執務室へ行ってもらうのね?ールドヴィカが言うとユーゼフは目を丸くした。
「そうしてもらえたら助かるけど…。夫人を知っているの?」
「名前は聞いたことあるので」
「ありがとう、…ぜひ頼みます」
そう言いながらユーゼフはやはり執務室へと足を運んだー。
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ユーゼフと話をしてからルドヴィカはすぐ侍女を走らせたが、伯爵夫人は初め誰に呼び出されたのか解らない様子だった。だが、
「ルドヴィカ様からです」
と聞いて彼女もはっとした。
「ルドヴィカ様…殿下の、お婚約者の?」
「はい。ー殿下の代理でお遣わしに」
侍女は伯爵夫人にそう言った。そこまで話を聞いて、夫人も思い当たった。ー知り合いの侯爵令嬢の従妹にロッセラーナの皇女がいたはずだわ。だいぶ年も離れていて覚えていてもらえる保証もなかったが、名前だけは聞き覚えがあったので、了承すると返事させた。
寝具や夜着の手入れを夫人が指示するので、
「もうおやしみになるのですか」
と侍女は尋ねた。伯爵夫人は言った。
「明日の朝一番に執務室だから。入浴して軽く食事したら拝謁に伺います。お前たちはそれから食事にしてちょうだい」
「執務室へ…」
「ユーゼフ様のところへ…」
何があったのでしょうと侍女たちは女主人に尋ねたが、伯爵夫人でさえことの背景はまだ掴めていなかった。
「大公妃様のお摂りになるお薬がどうやら問題らしいけれど…事実をお伝えしさえすれば解って頂けるでしょう」
夫人は言った。ー今日は早く寝て早いうちにお目通りしないと。彼女は侍女たちにもそう言い聞かせた。
翌朝、鐘の鳴る頃に伯爵夫人は執務室へと向かった。ユーゼフはもうそこに来ていて、夫人の顔を見ると
「もう来てくれたのか」
と驚き、彼女をねぎらった。
「夜遅くに呼び出して悪かったね。ー僕もいろいろ手が回らなくて」
「とんでもない。これも務めですもの」
伯爵夫人は言ったー
「殿下とお話しできる数少ない機会ですし」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。最近は信用できない相手が多くてね」
つまり、ーユーゼフは相手に言った、ーもう昨夜のうちに僕の婚約者から使いが行ったんだね?
「ええ、そうなんですの」
ユーゼフの問いかけに対し伯爵夫人は笑顔で答えた。
「あなたと顔見知りだというので代わりに呼んでもらったんだが…あなたは彼女を知っているかい?」
またもユーゼフは尋ねた。
「お名前だけでしたら」
それで、私をお呼びになったのは…。ー夫人が聞くとユーゼフは
「ああ、…そうだった。僕はあなたにも聞く必要があると思っていたんだが…それが…」
少し間の悪い言い方をユーゼフはした。
「母への診察についてなんだが、あなたは誰かに言われて侍女や侍従をよこしたことはあるかい?」
やっと言い切ったユーゼフに伯爵夫人は聞き返した。
「お母上様へ私からお薬を送っていないかということですか?」
「ーうん」
伯爵夫人の言葉にユーゼフはうなずく。
「いいえ。…そういったことには疎いものでございますから」
「ーならいいんだ。疑って申し訳ない」
「お気になさらないでくださいまし」
微笑む伯爵夫人。ー思わずユーゼフは彼女に見とれたが、我に返って静かに言った。
「それだけ解れば十分だ。ー朝早くに来てくれてありがとう。ご夫君によろしく」
そうして伯爵夫人は執務室から出た。ーだが煮えきらない。ーこれは誰の差し金かしら。疑問に思った彼女は1人1人知人の顔を思い浮かべた。
別棟を出る頃に、彼女の方へ一人の青年が歩いて来るのが見えた。彼を見た伯爵夫人は
思わず声をかけた。
「まさか…あなたはアーヴィン卿では?」
なぜこちらへお見えになって?ー急に名前を呼ばれ青年は何だという顔で伯爵夫人にこう尋ねた。
「なぜあなたは私の名を知っておられるのですか?」
「それは…」
夫人もさすがに言いよどんだが、やっと話を切り出した。
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冷たい雰囲気に気圧されながら夫人は彼に声をかけた。
「お人違いでしたらお許しになって。私、他国のお城でお見かけしたように思いますの」
「私を…いったいどこの侯爵ですか…?」
青年は鼻で笑うように言った。ー結婚式なぞだいぶ自分とは無縁ですよ。そう彼は夫人に話したのだが、
「サヴァスキータ侯のお城で、指輪を運ぶ役を担っておいでではありませんでした?」
「サヴァスキータ侯爵の城で?」
青年はまだ不審がっている。
「もう10年は前のことになるのですけど…小さな姫君とお話しになってらした」
そこまで聞いて青年もやっと思い当たった。
「ああ…ソニア嬢のお友達でしたか…」
しかしよく覚えていてくれましたね!ーそう青年は言った。
「髪色と瞳の色で解りますわ。周りは私と同じ黒髪でしたもの」
夫人は言う。ー金髪だけなら珍しくないが、金髪に緑色の瞳の組み合わせで生まれる者はそう多くなかった。
「あなたのお父上は、…辺境伯は…あれからどうなさって?」
ずっと便りがないと義父がー。
「父ですか…?あの後すぐ他界しました」
青年はため息をつきながら答えた。
「何ですって!?辺境伯が?」
「ーええ」
「…お父上に何がありましたの?」
伯爵夫人は青ざめた。ー高齢でも病身でもないのになぜ急に倒れたのか。
「一言で言ったら〈裏切られた〉とー私の口からはそれ以上言えません」
青年が言う。
「すると…お母上は?」
「侯爵の後妻に」
これもごく淡々とした返事だった。それほど感情を殺さないとやり過ごせないのだろう。
「ー自分は、殿下の護衛も兼ねてこの国へ来ています。ただ、…私の本当の名は彼女には黙っておいてほしい」
青年は悲しそうに伯爵夫人に言った。
「殿下に実のことをお話しできない事情があるのですか?」
「ーそれが、あるのです」
青年は夫人にそう言った。
「もともと殿下とは許嫁でしたー皇太后や他の皇族が私たちの結婚には反対で、反故になったのですが、…私の先祖について、身元を明かしてくれる者がなく」
そう言いながら彼は辺りを見回す。
「反故を受け入れるしかなかったのです」
「皇族とおっしゃってもあなた…!」
伯爵夫人は目に涙を浮かべた。
「彼がどれだけ悪名のある方かご存知?」
「解っていますとも」
ー青年は答える。
「だからこうして来てしまった。あの人の身辺が不安だから」
「ルドヴィカ皇女のために?」
「そうですよ。…もし私の実名を知ったら、殿下も私に気安く話せなくなる」
辺境伯の息子がここにいると知ったら、あの男は力ずくで殿下を奪おうとするに決まっています。ー青年はそう言うのだった。
「祖先のこともあるから…余計に自分の名を言いづらいのです」
「あなたのご先祖はあの…ジャニス王女」
婚約者のもとから辺境伯の領地へ逃げ、その地で味方の誤解により討たれた不運の王女。彼女の悲恋は、遠く北の国でも語り継がれていた。
「…そうです」
青年は答えた。
「同じ目に殿下を遭わせたくはないから…、どうか私の本当の名は黙っていてください」
話せるようになったら自分から話す。ー彼はそう伯爵夫人に言った。その覚悟を知って、夫人にも彼を説得する気力がなくなった。
「そこまでおっしゃるなら、解りましたわ」
ただくれぐれも気をおつけ遊ばして。ーそう伯爵夫人は青年に言い、
「どうも不穏な気配がございますから」
と注意を促す。
「例えば?」
青年の言葉に夫人はこう告げた。
「大公妃様に毒を盛るような者もここにはおりますのよ」
「大公妃に毒を…!?」
青年は眉を逆立てた。伯爵夫人はうなずいて彼にこう言った。
「私が拝謁して参りましたのも、もとはといえばそのせいなのです」
青年は少し目を背けながら
「そうでしたか…」
と言い、そのまま立ち去った。ーこれは俺の胸にしまっておこうか。それともー?いくら考えてもいい案が思いつかなかった。
その彼とすれ違った男が1人いる。金髪に青い瞳。だが、その目はものすごく暗い光を放っていた。




