恋のほとぼり
『子供ができた』
その言葉に彼は背筋が凍りついた。これが自分の妻ならどれだけ良かったかーだが彼は妻を持てなかった。廃嫡され、出奔していたために。
『ー何かの間違いじゃないのか』
彼が聞くと相手は言った、
『間違いではないわ。3ヶ月は止まってるもの』
来るはずのものが来なくなったと言うのだ。
『何が来ない…生理か?』
すると相手は彼を睨んだ。
『他に何があるの?』
もうここにいられないー彼の前で相手は泣き出した。
『一緒に逃げよう』
『あなただけでどうぞ』
『どうする気なんだ』
彼が言うと相手は言ったー私は全てあの方にお話しします。それで出て行けと言われたら出ていくわ。
『君一人ここにおいていけない』
『でも、そう仕向けたのはあなたよ』
執拗に私を欲しがって。ーその言葉には彼も反論できなかった。
貴族の長男に生まれ貴族として生きていくはずだった彼が、道を踏み外したきっかけは弟の失明だった。自分の銃が暴発したことを信じられなかったため、彼は侍医に診せず、手当も簡単にして済ませてしまった。ー幸い弾は貫通し東部には残らなかったので、弟も命は助かったのだが、このために彼は家から追われた。
『エルンスト…お前はなんということを!』
そうして彼は西の寒い寒い国へやってきた。
一年以上仕え、ようやく彼も主君に認めてもらえるようになったのだが、妻と自分たち部下への扱いの差に腹を立てていた。主君の息子も彼らに厳しかった。仲間に話すと、皆笑ってこう言うのだったー
『そりゃ俺たちは部下なんだから仕方ないさ。奥方だって、勝手にしてたら同じように怒られるがな』
『奥方って誰のことだ?』
『あそこにいる金髪の三白眼だ。』
主君の妻は16歳で、蕾の開きかけたようなきれいな肌をしていた。三白眼だが、見事な肢体と美しい金髪の持ち主だった。その髪の色と女らしい体つきに彼は惹かれたのだ。
『イーダ。…イーダ』
老齢の主君に可愛がられ慈しみを受けるまだうら若い少女ー近隣の弱小貴族に無理を言いもらってきたらしい。嫡男の妻にするという話もあったが、その嫡男もまだ15歳だった。
ー老人の次は坊やの世話か?そういうことを考えながら主人の妻の様子を覗き見ていたがある日彼に女中が言った。
『よく教え込んで若様に嫁がすんだから、あんた手を出しちゃだめだよ』
『あの坊やにあの子を与えるって?』
『そうだよ。ー貴族の素養が身につく頃は若様もご成人だもの。ちょうどいいさ』
あまりいい気のしないまま彼は引き揚げたがあの少年にはもったいないと長いこと思っていた。自分以外の者が成長する姿を彼は想像できないのだった。
『イーダもあんな得体の知れない男に目をつけられて可愛そうだわ』
『本当だよ、早くどこかへ行ってくれないかね』
自分の悪口が聞こえるのを彼は耐えていたー主君に報復するため。その手段として幼妻をてなづけようとしていたのが、自分が彼女に惚れてしまった。特にその肉体に。気づくと夢中になって抱いていたーその結果、彼女を妊娠させたのだ。
侯爵夫人の部屋を見に行ったが会うことはできなかった。夫人の息子が要職にあるので
挨拶したかったのだが無理らしい。
「仕方ない。出直そう」
呟きながら廊下に出てくると夫人の話す声がする。何やら刺々しいと思いながら近寄って声をかけたがー
「あんたまた来たの!?それも夜中に」
侯爵夫人は目を剥いた。
「すみませんね。…ご子息にお目通りしたくて」
エルンストは言った、だが
「息子ならいないわよ。ー母親の私だって何日も見ていない」
いてもあんたに会わせはしないー侯爵夫人は彼に言った。
「そうおっしゃらずに、どうか」
「断るわ。ーあんたのせいで全部の計算が狂ったのに息子まで犠牲にできない」
愛人の言葉を夫人は拒絶する。
「何をおっしゃるんですか?ー私とあなたの仲でしょう?」
甘い声と甘い言葉で擦り寄ったがー
「オレグー」
侯爵夫人は彼の本名を知らなかった。何より彼女の母国では彼は居留者同然で。
「あなた自分のしてきたことが解らないの?」
私も息子もあなたのおかげであそこにいられなくなったのよ!ー昔の愛人を夫人は怒鳴りつけこう言った、
「次に私と会ったら、あなたの命はないと思って」
「なぜです?どうしたんです?」
エルンストが言うと、侯爵夫人は黙って彼に紙を突きつける。
「これはどういうことなの?」
見つかったのかーエルンストは呟いた。
「捨てたはずの名が残っていたなんて。一度ここを出たら使うことはないー私はあなたにそう言ったわよね。それがなぜ記録に残っているの?」
「これは私も知らなかった。ー申し訳ない」
侯爵夫人は、
「最悪、私たちは追放されるわ。私も息子もー宮廷にいられなくなる」
「急いで手を打ちます」
エルンストは言ったー侯爵夫人は彼の言葉に
背筋が寒くなった。ー見つかった後から手を打つですって?この男はまた何かやるつもりなの?自分の夫を彼が殺したところも夫人は見ていたが、止めると自分も消されそうで、恐ろしくて止められなかった。エルンストが考えていたのは、ユーゼフや彼の側近たちをどうするかということだ。




