皇族たちの内紛
政略結婚の成立から半月後、侯爵から都にいる皇帝に輿入れ隊が出発したという報告が届いた。義兄からの電報を読むと、皇帝は、
「ついに行ったか」
と寂しさや不安の混ざったような、不思議な表情になった。皇后はそれを聞いて涙ぐみ、
「あの子もよその国の妃になるのですね」
と言ったが、皇帝は一言、重い口調で
「順調に行けばな」
と答えただけだった。
ルドヴィカの双子の姉マルゲリータ、皇位継承権保持者にして従兄のヴェストーザ公に並ぶ貴族たちの擁立者である彼女は、伯父のよこした知らせにも何も言わなかった。ただ彼女の夫は、自分の同期が皇女に同行したと侯爵が知らせてきたことに少なからず不安を覚えた。
「侯爵の猶子が同行ー?」
夫のボレスラフ・カチェンスキー、皇女と結婚し皇配また国の最高権力者主権者となる資格を手にしていたこの青年は、妻の手から受け取った電報を食い入るように見ていた。
だが彼の妻マルゲリータは、
「護衛が足りなかったので依頼が行ったというだけでしょう。…驚くほどではないわ」
と言っただけだった。
「護衛が足りない…?」
伯爵が尋ねると、マルゲリータは
「ーでなければ輿入れ先の事情で」
と答えた。身内の安危に関わることなので、彼女は自分の夫にさえ詳しいことは言わないままだった。夫のボレスラフを除く全家人に彼女は疑いを持っていたー特に社交家の義父
カチェンスキー伯爵に対しては。
「あなたは、夫の私にさえ心を開く気にはなれないのだね」
ボレスラフが寂しそうに呟くと、
「お義父様がいらっしゃる限りはね」
マルゲリータはそう答えた。
「お義父様が宮廷でどう呼ばれているか、あなたご存知なくて?」
「耳にしたことはある。だが…」
皆に嫌われるほどではないはずだ。ー眉間にしわを寄せて自分を見る妻に、ボレスラフはそう言った。彼は皆の毛嫌いするほど自分の親はひどい男ではないと完全に信じていた。だが、マルゲリータは、夫の言葉を聞きまたため息をついた。
「それだからお話しできないのよ」
ーそれから彼女は着替えるため部屋へ侍女を呼んだので、ボレスラフも妻に合わせて服を着替えることにした。
カチェンスキー伯爵は、誰にでも人懐こい笑顔を見せることで有名だった。特に相手が格上の時ほどその傾向は強くなったー一方で彼と親しくなりそのため破滅に追い込まれた貴族は両の手に余るほどいた。それがあってからというもの、宮廷に出入りする者たちは彼に不信感を抱くようになった。宮廷でよく聞かれる言葉、「あの愛想屋が来た」ーこの言葉は、伯爵を自分たちから遠ざけるために社交界で使われる共通の合言葉だった。
マルゲリータは、支度が整うと夫に右手を預け立ち上がった。
「ーでは、行こうか」
「ええ」
マルゲリータは微笑んだ。貴族たちも庶民も虜にするほどの優雅な微笑みーこの微笑みと佇まい、それがランブロジア家の至宝として彼女が崇拝される所以だった。
「留守を頼んだよ」
ボレスラフは執事に言った、
「摂政大公に拝謁してくる」
妻の叔父に挨拶しに行くのだ。皇女に同行しその輿入れ先に向かっているため、義従兄のヴェストーザ公は屋敷にいない。そのため、結婚式で皇帝の代理を務める義叔父に二重に礼を言わなければならなかった。
「叔母様いらっしゃるかしら」
マルゲリータは呟いた。
「お目にかかれない事情でもあるのか?」
ボレスラフが問うと、マルゲリータは
「ご実家がご実家だから」
と答えた。ーおいでにならない時もよくあるのよと彼女は言うが、今回はその方が都合が良かった。叔母の実家にいる人物といえば、彼女と相容れない者ばかりなのだ。ください
「連絡はしてあるから大丈夫なはずだ」
「叔母様に限ってはそうでないから」
マルゲリータはそう語るのだったがー他にも彼女を悩ませるものは多かった。話しているうちに馬車は大公の屋敷に着いた。
侍従は2人を奥の間に通し、そこで大公を待つよう伝えた。皇女とその夫ということで大公も出向くことになるのだが、
「ただいまアルペディーニャ伯爵ご夫妻がお見えになりました」
と侍従から聞くと、大公妃は
「こちらへお呼びしてちょうだい」
と言ったのだ。大公は怒りを堪えていた。
「クラリッサ、そなたー」
「あら、せっかくのお顔合わせですもの。それにご夫婦のほうがお若いのだし」
足を運んで頂いてもいいはず。ー大公妃は夫にそう言った。
「恐れ多くもあちらは皇女だ。出向くのは我らであってあちらではない」
そう言って大公は立ち上がった。大公に続き大公妃も客人も立ち上がったが大公が2人を止めた。
「そなたら2人はここにいたがよかろう」
大公はそれだけ言うと、マルゲリータが待つ奥の間へ向かった。何やら動きが慌ただしいのでマルゲリータも気になっていたのだが、叔父の後ろに続く青年を見て瞳に険しい光を浮かべた。
「叔父様…本日はアステンブリヤ公もご来訪でしたの?」
「済まぬ。ー妻が呼んだらしい」
その言葉に答える代わりに、マルゲリータは叔父の後ろへ自分の眼差しを向けた。
「公爵閣下ー私どもにご挨拶くださるとはもったいない」
礼とともに膝をかがめたが、その言葉は何の感情も伴っていなかった。
「親戚に挨拶するのは当然でしょう、皇女殿下」
公爵は穏やかな物言いだったが。
「私どもをご親族に数えて頂けまして?」
ーマルゲリータは目を細めて笑い出した。
「それは初めて伺いましたわ。いつ頃からなのでしょう」
「いつ頃からですって?…何をおっしゃるのですかー」
マルゲリータは、公爵の言葉を長いこと聞き流していた。妹を妻にほしいと言われても、兄の皇太子同様、彼女はその願いを却下して他の男へ嫁がせたのだった。
「私はよく存じておりますのよ。閣下も、ご両親も、私たちを見下してくださっていたのを」
「あなたがたを見下す!?…そのようなこと断じてありません。誰からそういったことをお聞きになったのですか」
公爵は震える声で言ったが、マルゲリータはそれを冷ややかに聞いていただけだった。
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「勘違いなさっていませんか?…私は殿下に顔を見せにきただけで、後は何も」
公爵は固まった。
「『何も』ー?わざわざこの時期に、妹が輿入れしたすぐ後に?」
ご挨拶いただくほどのことはございません。ーそう、マルゲリータは言い放った。
「こちらも感謝を申し上げに伺っただけのことですから。ー叔父に挨拶が済んだら引き揚げます」
マルゲリータはそう言うと、自分の夫の方を振り返った。
「先客がいたのか」
「ーいましたわ」
目配せで2人は会話した。ーいつ頃引き揚げよう。摂政大公は咳払いしてその場の空気を切り替えた。
「公爵ー」
大公は後ろの青年に言った、
「わしに断りなく姪と会話するのは謹んでもらいたい。さもないと出入りを禁止する」
今がどれだけ重要な時か解らぬ貴公でもあるまい?ーそう、大公が言うと。
「理解しております」
「貴公は姪に何用か?ーこの時期に姪との対面を望むとは」
「どちらへ輿入れされたか伺いたく」
この問いかけに大公は首を横に振った。
「双子の片割れの方か。ー隣国の公子だ。何も貴公が気を揉むことはない」
「ですがー」
公爵は食い下がっている。ーいくら政略結婚とは言え、何もあのように急に…。その言葉にマルゲリータはこう問い質した。
「皇太子の葬儀でさえお目見えでなかったのに、妹の輿入れ先は気にかけてくださったのですか」
「全くだ。ー親戚と言いながら肝心な時に顔見世すらせん」
大公の口調には怒りがこもっている。
「ともかく、…用が他にないのなら貴公には帰ってもらおう。姪と話があるのでな」
こちらに話す用はない。ー大公は言った、
「後は息子が帰ってからだ」
だが今度は大公妃が口を出した。
「公爵にもお力をお借りしたいのよ。少しご滞在頂きましょう」
その言葉に大公は怒りを露わにし、
「そなたは誰の前でそう言うのか?ー話を兄上にも通した上でわしに言っておるのか?ルイーザの縁談でさえー公爵の先祖に失態がなければ、とっくに通ったのだ」
「あなたー」
大公妃は顔色を曇らせる。
「系図がないと皆笑っているが、辺境伯も王家に縁付いた由緒ある家だったものを」
兄上も義姉上も認めてやるおつもりでいた。そうであろう?ー最後はマルゲリータに向け尋ねていた。マルゲリータもうなずいて
「私の知る限りでは」
と言った。
「ーそういうことだ。公爵、せっかくだが今回はお引き取り願おう」
大公に続きマルゲリータも公爵に帰るよう促した。ー最後に1つだけ聞きたいと公爵は
2人に声をかけたのだが、それはー
「侯爵家の猶子がどこにおられるか教えて頂ければ」
ー公爵は言った。彼は自分の恋敵の、つまり
フェルディナンドの行き先を知りたかったのだった。
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「なぜそれをお尋ねになりますの?」
マルゲリータは冷ややかに言った、
「あの方は妹にご同行なさいました。妹と許嫁同士でしたから」
何がご不満がおありになるのですか?ーそうマルゲリータは問いかけた。
「不満はありませんが…彼に話したいことがあって」
公爵は言った。
「それにしても、なぜ私に当たるのですかーアルペディーニャ伯爵夫人?」
「興にそぐわないことばかりここで聞いてしまったからです。妹を都から追いやられたのはあなたのご親族でしょう、閣下。ーもう妹を追い回すのはご遠慮くださいませ」
「何も追い回すなどー礼儀をお教えしようと思っているだけです」
遠縁の我々を無視して嫁ぎ先にまで同行するとは考えられない。ーアステンブリヤ公は言った。
「よくおっしゃってくださいましたこと」
ーマルゲリータは公爵を睨みつけた。
「ご自分がそれほど高貴な存在だと閣下はお思いなのねー人の妹を〈型崩れ〉呼ばわりして、それでもあの方よりご自分の方が妹の夫にふさわしいと!…呆れてものも言えない」
「〈親も親なら子も子〉とは、まさにこの一族のことだな」
摂政大公も、信じられないというふうに姪と顔を見合わせた。アステンブリヤ公は、
「お2人はそうおっしゃるが、…他家よりも親族を信じるべきではないのですか」
「〈遠くの親戚より近くの他人〉と、よく言いますでしょう?」
あの方と妹はほぼ姉弟同然でしたし。それに
ーマルゲリータは言った。
「閣下のお家ほど信用できない身内は私も
知らないのです」
マルゲリータが言うと、
「我々が信用するに値しないと?直系しか信じられぬと殿下はおっしゃるのですか?」
アステンブリヤ公は泣きそうな顔をした。
「閣下は妹の何をご存知ですの?ー妻にとお考えのようですけど」
「何を?ー自分の身内ということ、他には何もない」
「それでわしの姪と一緒になる気か。考え違いもはなはだしい」
笑わせてくれるではないか。ーそう言うと、摂政大公はなら好きにしろと突き放した。
「…行ってみるがいい」
と言い、公爵に
「そこまで貴公が言うならわしも止めん。実際に会って話してくるがいいー貴公と話す気があちらにあるかどうかは知らんがな」
「閣下…」
「よく覚えておけよ。ー貴公のご先祖が、彼の国を滅ぼしたということを。ああ見えて王家の末裔だから気位は人の倍高い。気品も備えてはおるが」
直系皇族2人に嗤われアステンブリヤ公も耐えきれなくなった。
「…行って参ります」
ー彼は大公に言った、
「彼を説得して連れ帰れたら私を信用してくださるのでしょう?ーいいですとも。ぜひそうさせて頂きたい」
「どうしてもいらっしゃりたいのですね。行っていらっしゃいませ」
マルゲリータが言った、
「気概だけは十二分にあるのだな」
せいぜい健闘するがいい。ー摂政大公も鼻で笑い、早く行けと急かす。
「…申し遅れました。妹との婚約を断られてから、あの方は射撃の訓練を積んでこられたと聞きましたから、それをお忘れなく」
マルゲリータはまた言ったーその言葉を背に若き公爵は北へと旅立った。
…本文を再編中です。
まとまるまで少々かかりますが、
どうかご了承くださいませ




