4 ロベリー様のことは諦めなさい
春休暇に伯爵と共に商会の仕事で国外に出ていたクラレットが帰ってきた。
「いえ、私のことは家名でお呼び下さい。私もカーマイン様と呼ばせて頂きますので」
名を呼んでと微笑むロベリーに対し、相変わらず全く表情を変えずに答えたクラレットを見て、キャナリーは安心して顔をほころばせた。
最近表情を崩すことも多くなってきたが、それでも性別年齢、身分などに拘わらずほとんどの者に対しては以前のままである。
「──どういうおつもりかは存じ上げませんが、シアン様がお留守にしている間、必要以上にキャナ様に近寄らないで頂けますか」
キャナリィの為なら何でもすると自負するクラレットの不敬ともとれる言葉にもロベリーは嫌な顔をすること無く笑顔で答える。
「必要なら構わないと言うことだよね」
言葉の意味が分からなかったという訳ではないだろう。一体何を言い出すのだと、クラレットの眉が訝しげに動いた。
「キャナリィ嬢、放課後買い物に付き合って欲しいのだけれど。これは君にしか頼めない、『必要』なことなんだよ」
特別クラスの生徒全てが感情を表に出さぬように教育を施されてはいるが、それを完全に体得しているわけでは無い。
婚約者不在のこの時に人目のある教室でこの誘い。
最近注目の的であるロベリーの動向・・・しかも次期公爵夫人であるキャナリィの──低俗な言い方をすればデートへの誘いに、動揺からか幾人かの生徒が動きをピタリと止めたり、物を落としたりした。
キャナリィは一考した後、笑顔で答えた。
「分かりましたわ。お付き合い致しましょう」
「キャナ様っ!」
クラレットが咎めるようにそう言ったものの、それだけでは一度口にしたことは覆らない。
教室がどよめく中、ロベリーは良い笑顔で微笑んだ。
ローズは自席で静かに震えていた。
ロベリーがキャナリィを誘った。
子息が放課後、令嬢を誘う・・・と言っても直接学園から向かう訳ではない。一度屋敷に戻り身支度を調え、侍女や侍従、護衛を連れて改めて出掛けるため、二人きりになる訳では無い。──無いのだが、婚約者が不在の時に他の令息から誘われ共に出掛けることがどういうことなのか・・・ウィスタリア侯爵令嬢が分からないはずも無い──のにっ!
皆でテーブルを囲んだ日、さりげなくロベリーの祖国の言葉だけで無く、数カ国語を話せることは伝えた。
「ローズ嬢は凄いね」
そう、笑顔で言ってくれたのに。
容姿と頭脳、そして身分──やっと見つけた私の血統に相応しい令息。
なのにまたウィスタリア侯爵令嬢が邪魔をする。
その日のテーブルマナーのレッスンの折、キャナリィと同テーブルになったローズは良い機会だと声を掛けた。
「ウィスタリア様、少しよろしいでしょうか」
いつも一緒にいるクラレットは隣とはいえ別テーブル。邪魔する者はいない。
ローズは自分が今どんな顔をしているかは分からなかったが、キャナリィは思った。
前年度の祝賀パーティーの時に見たシアンの兄に恋をしていたエボニーの表情にそっくりだわと。
「ピルスナー様。なにかご用かしら」
自分の気も知らず微笑みを浮かべるウィスタリア侯爵令嬢を腹ただしく思いながら、ローズは言った。
「どういうおつもりですか?」
「どう、とは?」
何のことを言っているのか理解しているであろうに眉一つ動かさないキャナリィに、ローズは苛立った。
血統では私に劣るこの女に、爵位が上というだけで盗られるのか?
──シアンも、ロベリーも。
「ロベリー様のことです。シアン様以外の男性と二人で出掛けるなんて、どういうおつもりなのですか?」
ローズの言葉に、キャナリィがピクリと反応した。
同じテーブルの令嬢が一斉にローズを見たが、みんなもこの問いをキャナリィに聞きたかったのだろうと気にせずに続けた。
はじめて自分の言葉に動揺する素振りを見せたウィスタリア侯爵令嬢の様子に、優越感が湧き上がる。
「侯爵令嬢ともあろうお方がはしたなくも婚約者以外の方と二人でお出掛けになられるなんて、そんなあなたの行動は次期公爵夫人に──シアン様の妻に相応しくないのではなくて?」
他の令嬢もテーブルについていることを失念していた。
相手が反論しないのを良いことに流石に言い過ぎたかしら?とローズは思ったが、大体この令嬢は普段から微笑んでばかりいるうえに貴族にしては優しすぎる。祝賀パーティーの時の顛末を後で聞いたが、自身に冤罪をかけた平民に対してお咎め無しという、その甘すぎる対応に関係ないのに怒りが沸いたものだ。
ローズは何か言い返してみなさいとばかりにキャナリィを見た。
「ひっ」
ウィスタリア侯爵令嬢がから醸し出される──彼女らしからぬ冷たい空気に、声を上げてしまった。
同じテーブルに付く令嬢たちもはじめて見るキャナリィの様子に真っ青だ。
一方、ピルスナー伯爵令嬢が声を掛けたそうにしているのを知って、敢えて違うテーブルにつきその光景を見ていたクラレットは、ローズの発言に怒りを覚えると同時に、滅多に胸の内を表に出すことの無いキャナリィの珍しい一面を目の当たりに出来たことに歓喜していた。
「あなた──ロベリー様のことは諦めなさい」
いつも笑顔で穏やかなキャナリィからは想像も出来ない、凍りつきそうなほどの冷たい声音、そして突き刺すような視線──
「──で、シアン様はあなたに名を呼ぶことをいつお許しになったのか伺っても宜しいかしら?」
そう言うキャナリィは見惚れるほど美しい微笑みを浮かべているにも拘わらず、何故か底冷えのする恐ろしい何かを感じさせた。
そこではじめてローズは自分の失言に気付いたのだった。