17 周りが見えなくなる程の恋心(最終話)
今回の出来事は、情報収集の大切さと、見たもの聞いたものを冷静に見極める能力がいかに大切であるかを改めて生徒に知らしめるものとなった。──それが出来ないものは貴族社会で生きてはいけない。
ストロベリーが本来の留学先に発つ前日、その滞在先に秘密裏にシアンが姿を見せた。
彼女は動き回るには楽なのでと相変わらず男装であったが、どこか女性らしい要素を取り入れているようだった。
「キャナから学ぶことはあった?」
シアンのその言葉に、彼ははじめから全て知っていたのかもしれないとストロベリーは思った。
キャナリィにはパーティーの後すぐに侯爵邸に招かれ、『言い訳』と称してこれまでのことを洗いざらい吐かされた。
キャナリィからはただ一言、「ならばこれからのストロベリー様は自分以外の者へ目を向けることが出来ますわね」と言われた。
これは自分のことばかり考えて他人のことが見えなくなり、ローズ──元々その思想に問題があったようだが──やキャナリィをはじめとする学園の生徒に多大な迷惑をかけてしまったことを言われているのだろうと思った。
前年度の留学先では性別など関係なく有意義な時を過ごしたため、ここでもそんな感覚でいた。まさか男性としてあそこまでの好意を持たれるとは本当に思ってもみなかったのだ。
選ぶ側ゆえに、慎重にならなければ自分が選んだ道次第で他人の人生にも影響をもたらす。
自分に自信と行動に責任を。そしてそして選んだ道を貫く強い意思を。
シアンの質問にストロベリーは頷き答える。
「キャナリィ嬢は強いね。
彼女を甘い、優しすぎると評価する者もいるようだけど、私にはない、他者の評価などものともしない確固たる信念──安っぽいプライドとは違う。あれこそが『矜持』と言うものなのだろうね」
今回のことを全て「嫌がらせ」の一言で切って捨てたのには驚いたけれど・・・
伯爵令嬢であるにも関わらず、まるで自身が公爵令嬢であるかのような言動と選民思想があるかのような発言。そして恋に溺れ正確な情報もつかめず確かめず、自身に都合の良い解釈をする始末。それを危険視した前公爵からの手紙により、学園中退の上で子爵か男爵へ嫁ぐことを検討されていたローズは、この度の件により修道院へ行くことが決定し、パーティーの後より自室で軟禁されていた。
優秀ではあるが、あのような場で醜態をさらし、キャナリィの強引な幕引きにより免れたとはいえ、下手すれば外交問題に発展していたかも知れない事態を引き起こしたローズに嫁入り先は皆無となったのだ。
オーキッド公爵家とピルスナー伯爵家に大きな傷を付けたこと、その結果フロスティ公爵家とウィスタリア侯爵家の勢力に力を与えてしまったことに対する罰という側面も大きい。
しかし、それに待ったをかけたのがストロベリーの父であるカーマイン公爵だった。
ローズの年齢で多くの国の言語を操る令嬢を修道院に入れては勿体ないとばかりに話が進み、ローズはカーマイン公爵の遠縁で子供が巣立ち現役を引退したばかりの前男爵夫妻の元へ養子として迎えられることになった。
公爵、伯爵家と縁を切り男爵家へ──。公爵家と血縁であることに重きをおいていたローズには一番の罰かもしれない。
もちろん遠縁とはいえ本家公爵家後継であるストロベリーとは、会うこともないそうだ。
「それに私が家に連絡する前に何故かことの顛末がカーマインの実家に伝わっていてね。何をしているのかと叱られてしまったよ。
でも、キャナリィ嬢はまた甘いと評価されてしまうのではないかな?大丈夫?」
キャナリィはピルスナー伯爵令嬢がストロベリーに好意を持っていることを分かっていながらロベリーが女性だと伝えられなかったことを後悔していた。
誰も伯爵令嬢があそこまで周りが見えなくなるとは思わなかったのに、気付けなかったのは自分の責任だと思っているのだ。
「心配ない。キャナには私が──いや、私たちがいる」
そう言って、シアンが意味あり気に微笑んだ。
シアンが立ち去った後、ストロベリーはふと先日の侯爵邸でのことを思い出した。
『言い訳』が一通り終わったところで、キャナリィの侍女がお茶のおかわりを淹れてくれたのだが、貴族出身の者が全てを占めるであろうウィスタリア侯爵家の使用人。中でも侯爵令嬢の専属侍女を務めるからにはそれなりの者だと思うのだが・・・不自然なくらい紅茶が温かったのだ。
キャナリィが何も言わなかったと言うことは自分にだけ・・・。
まだ冷たい方が幾分かマシなのではと思える、絶妙な温さ・・・
──あれは・・・。
「あ」
主人が婚約者と過ごす貴重な学園生活での貴重な一ヶ月を、使用人たちの願いも虚しく潰した原因の一人であるストロベリーに対する意趣返し──そこに思い至ったストロベリーは、心配せずともキャナリィは大丈夫そうだとクスリと笑った。
ローズが旅立つ日、キャナリィの元には返事は不要と前書きされた手紙が届いた。
そこには貴族であるにもかかわらず恋に溺れ、表面しか見えていなかったことに対する反省と──最後に一行、シアンの名を口にしたことへの謝罪が書かれていた。
「恋する人のために約束された身分を捨てたり、周りが見えなくなる程恋に溺れるなんて激情、私には一生分からないのでしょうね」
ウィスタリア侯爵家自慢の庭園にある東屋でクラレットとお茶を楽しんでいたキャナリィは、手にしていた便せんを封筒の中に戻しテーブルに置くと美しい所作でカップを口に運んだ。
「身分を捨てた方がどなたか存じ上げませんが、キャナ様は既に溺愛されておりますから・・・」
──今まさにシアン様の愛に溺れているのでは?
ふふっ。と、珍しくクラレットが声を上げて笑った。
長い間探し続けた想い人に再会してから、クラレットはこうやって表情を崩すことが増えてきた。良い傾向だと思っている。でもそれを指摘すると無表情に戻ることが目に見えているので、キャナリィは見て見ぬ振りをする。
「溺愛って・・・──いえ、そうではなくて、私ならば何があろうと貴族としての自分を見失い、周りが見えなくなる、なんてことはないのだろうなとちょっと羨ま──・・・いえ、まぁ、そう言う話よ」
確かにキャナリィが自分の感情を優先して何かを成すことは一生ないのだろう。
しかし──
「キャナリィ様。シアン様が到着されたようですよ」
侍女は主人にそう告げると、もうひとつカップの準備をはじめた。
執事に案内されてこちらに歩いてくるシアンを視界に入れ、クラレットが席を立つ。
「私はここで失礼します──ですがキャナ様?」
「?」
それはシアンの名をローズが口にし、同じテーブルに着いていた令嬢を震え上がらせたあの時のことだ。
クラレットの言葉と同時に一陣の風が吹いた。そのため、その言葉はキャナリィにしか届かなかっただろう。
「あの時のキャナ様のご様子は、シアン様を愛するあまりか十分周りが見えなくなっていましたよ?」
シアンがテーブルに着きキャナリィに声を掛けた時、その場には既に誰もいなかった。
「やぁ、キャナ──っ!どうしたの、顔が真っ赤だ──」
もっと見せてと、シアンの右手がキャナリィの頬を撫でる。
滅多に見せることのないキャナリィのそんな姿を知る者は、シアンひとりで良いだろう。
(おしまい)
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