10 公爵夫人になる運命
「お前はフロスティ公爵家ともカーマイン公爵家とも何の関わりもないだろう。何の権利があって抗議をするというのだ」
オーキッド前公爵は信じられないものを見るような目で孫娘を見るが、ローズは自信あり気に答えた。
「侯爵令嬢という地位だけで公爵家の嫡子の婚約者に選ばれたというのにそれを忘れ、貴族として恥ずべき振る舞いを繰り返しているウィスタリア侯爵令嬢にその行いの過ちを指摘して差し上げるのは同じ貴族として当然のことではなくて?
それに──」
ローズは出された紅茶を優雅な所作で口に運ぶと、唖然とする祖父が見えていないのか、頬を僅かに染め、その時のことを思い出したのか蕩けるような微笑みで続けた。
「シアン様とは先日言葉を交わさせていただきました。ウィスタリア侯爵令嬢の軽率な行動を不快に思っておられるようでしたので、そのうち婚約がなくなるのですわ。私、そのお手伝いをするとお約束致しましたの。
そうなればこのオーキッド公爵家の血統である私が婚約者候補に指名されるかもしれませんわね。
そしてロベリー様は留学中に婚約者を探すのだそうですわ。
しかもその婚約者になる令嬢はロベリー様の祖国の言語を熟していることが条件なのです。
このオーキッド公爵の血統で、ロベリー様の祖国だけでなくいくつもの国の言語をマスターしている私こそが条件にぴったりだと思いませんか?
そうだ、お祖父様。公爵家の力でロベリー様のご実家にコンタクトをとることは出来ませんの?」
他国とはいえ同じ公爵家。カーマイン公爵家の話はオーキッド前公爵も聞き及んでいる。
手広く事業をしている公爵家は通訳を挟むことを良しとしないため、一族の者にはそれなりの語学力を求められる。
しかし、次期公爵自身とその周囲を固める者の語学力次第では、当主の伴侶選定ではその希望を優先することが出来たはずだ。
むしろ歴代の当主はそうするためにあらゆる語学を学び、それを完璧に自分の物にするために学生時代に留学を繰り返すのだと聞いたことがある。
そして、フロスティ公爵令息とウィスタリア侯爵令嬢の熱愛は有名だ。あの小僧がウィスタリア侯爵令嬢を手放すなどあり得ないだろう。
しかし他人の婚約者の名を平気で口にするローズ。
まさかフロスティ公爵令息に名を呼ぶ許可を貰ったというのだろうか。それならば話は変わってくる。
我が娘も公爵令嬢でありながら恋に落ち、反対を押しきり強引に伯爵家へと嫁入りした。今のローズはあの時の娘によく似ている。
「それがローズの考えなのだな」
前公爵が、静かな口調でローズに確認した。
ローズの話に出てきたウィスタリア侯爵令嬢をはじめとする三人の意図こそはわからないが、おおむね事態は把握している。
「そうよ。お祖父様。やはり私は次期公爵夫人になる運命なの。
高度な教育を受けられるよう助力してくださったお祖父様には感謝しておりますわ──」
ローズが帰宅した後、オーキッド前公爵は手紙を書くためにペンをとった。
一年生が学園に入学して約一月経ち、学園では恒例の新入生の歓迎パーティーが催された。
新入生の中にはお茶会にすら出席したことのない下位貴族の子女は勿論平民もいるため、パーティーと言っても夜会ではなく、ガーデンパーティーだ。
青空の下行うことにより解放的な気分になり、お茶会に慣れてない者も緊張することなく楽しめ、延いては学園に早く馴染めるだろうとの思いが込められている。
年度末の祝賀パーティーや年半ばで行われるサマーパーティーと違い、ドレスコードもないため、制服での参加が出来る。
とは言っても高位貴族の集う特別クラスの面々は男性は礼装、女性もデイドレスとそれなりの装いとなっている。
それを目にすることにより、新入生はいつか彼らに仕えたり、彼らを相手取るような仕事をしたいと気持ちを新たに勉学に励むのだ。
キャナリィはクラレットと婚約者であるシアン、その友人であるロベリーと共に会場入りした。
王太子殿下が卒業した今、学園では最高位となる二人とその婚約者の登場に屋外にも関わらず会場の熱が高まる。
そんな中、本来の意図とは違う意味で解放的になる生徒も一定数いるのだ。
「下位の者から声をお掛けする失礼をお許しください!ウィスタリア様、以前より憧れておりました」
このような場でもないと一生話す機会はないと、マナー違反を承知で高位貴族に話しかける一派。
「今日はあなた方の歓迎パーティーですもの。咎める事はないけれど、これからもマナーをしっかり学んで立派な淑女になってね」
キャナリィは頬を赤らめて声を掛けてくる新入生達にそう言って笑いかけた。
同じようにシアンやロベリーをはじめとする一部の高位貴族の面々の元にも新入生が押し寄せた。国一番の商会であるメイズ次期伯爵であるクラレットも人気だ。
(ロベリー様、何故こちらに来てくださらないのかしら?)
同じ伯爵家で特別クラスの友人である令嬢とテーブルを囲み軽食を摘まみながら、ローズは新入生に囲まれているロベリーたちを遠目に見ていた。
あんな地位だけでここまで来たような令嬢のどこに憧れる要素があるというのか。
それにあのような無礼を叱責するならまだしも、笑って赦すキャナリィ。高位貴族としてそれはどうなのか。
シアンやロベリーに声を掛ける令息令嬢にも腹は立つが、所詮彼らは一般クラスの人間。爵位も低く、他国語を話せる人材などいるわけがない。敵になり得ない者たちがいくらシアンやロベリーに群がろうとも全く気にならない。
しかし、お祖父様にお願いしたはずなのに未だあの二人の婚約は解消されていない。
そしてロベリー。彼との距離は縮まらず、未だに二人で過ごす機会にすら恵まれない。
そうこうしていると、ダンスの時間となった。
夜会でのそれと違い、ガーデンパーティーでのダンスタイムは誰もが気軽に参加できる様難しいステップも必要なく、曲調も明るく軽い選曲となっていた。
キャナリィの手を取り、シアンがダンスエリアに進み出る。
貴族の中にはガーデンパーティーでのダンスを低俗だと言って嫌うものもいるが、とても楽しそうに踊る二人を見て、皆次々に手を取りダンスに加わっていった。
現在流れているダンスの曲も終盤。
ローズは紅茶の入ったカップを優雅な仕草で置くと、深呼吸をして苛立つ気持ちを落ち着かせて立ち上がった。
そして一曲踊り終えたキャナリィたちを見ていたロベリーに近付いた。
この国では女性からダンスを誘うのははしたない行為とされている。
しかし、リスクは高いが女性から好意を伝える手段としては最も効果的な方法である。
ロベリーは次のダンスでキャナリィを誘うはずだ。
こうでもしなければいつまでもロベリーとの距離は縮まない上に、キャナリィとシアンだけでなく、キャナリィとロベリーとのダンスまでも見せつけられる羽目になってしまう。
好意を向けられることに慣れているロベリー様はきっと私の気持ちに気付いていないだけなのだ。
大丈夫私に敵はいない。
そう確信してローズは衆人環視の中、ロベリーに声を掛けた。
「ロベリー様、私と踊──」




