エピローグ
その後、五年の月日が流れ、大罪の悪魔との戦いで崩れた中央教会は、かつての姿を遥かに凌ぐ荘厳な建物として復興を果たしていた。
教皇の座には新たにバール=グリースが就き、穏やかで力強い統治のもと、安定と繁栄を迎えている。
リン=ユナは、自らの意思でスラム街ラムダルの分署へと戻り、子どもたちに勉学の楽しさを教える日々を送っていた。
寄せられる便りには、自らが元気であることと、子どもたちのことが事細かに描かれており、彼女は自身で選んだ道が誇りであると語っている。
ユーリ=マークスはというと、
「これからは、シスターも戦う力が必要です!」
と、力強く訴え、戦闘訓練の指揮官として教会に新風を吹き込んでいた。
五年のあいだにシスター部隊は精鋭部隊と化し、彼女たちの鋭い眼差しに思わず頭を下げる教会員も少なくない。
そして、北支部長のゴードン=リビリ、西支部長のバズ=ジークヘルム、東支部長のムジカ=イーランは、変わらぬ任を全うし、それぞれの地で安定を守り続けていた。
任地は違えど三人の絆は強く、時おり顔を合わせては昔話に花を咲かせているという。
一方、歳を重ねたハイントスマンは、数年前に枢機卿の座を退き、隠居生活を満喫。
それでも教会への情熱は変わらず、時おり教会を訪れては新人サマナーたちに熱弁を振るっていた。
「いいか?悪魔はただの敵じゃない。お前たちの『鏡』だと思うんじゃ」
その教えはずっと語り継がれている。
同じく枢機卿のルーイン=ヴィンシュタインは、今なお現役の枢機卿として戦線に立ち続けている。
その冷静かつ的確な指揮と実力で、若き者たちの憧れの的となっていた。
「ルーイン様って、生ける戦術書って感じだよな」
「しっ!聞こえるぞ!」
(……がっつり聞こえてます。あの者たちはあとで素振り千回追加しておきましょう)
そして、オリヴィア=グリースもまた枢機卿として健在であり、シスター隊長としての任も兼ねた多忙な日々を送っていた。
教皇バールとの夫婦生活も、相変わらず穏やかで優しく、静かな幸せを噛みしめながら夫婦生活を過ごしている。
南支部長だったジン=ハークスはというと、彼は病を抱える母の看病のため、教会を退いていた。
地元へと帰り、介護の生活へと身を移したのだ。
しかし、かつての仲間たちは皆知っていた。
彼は有事の際には誰よりも早く駆けつける男であることを。
そのため、今も鍛錬を欠かすことなく、過ごしていることを―――。
そして―――エルクたちとともに戦ったヴァン=ヴェイレン。
彼は教会員として、精霊の力とエクソシストの銃の腕を活かし、街の治安を守っていた。
警邏隊長として人々から頼られる存在となり、その背には正義と責任がある。
自ら困難に立ち向かう姿は、教会戦士の象徴として若き教会員たちの目標ともなっていた。
「戦いの終わりが、守るべき日常の始まりだ」
「はい!!」
そんなヴァンの背中を、少し離れた場所から見守る二つの影がある。
「ヴァン……立派になって……」
「ちょっとフィール?涙目になってない?」
呟くように言ったのは、フィール=フォールだ。
その隣に立っているのは、ベル=フォール。
二人は一昨年に結婚し、南支部を共に支える存在となっていた。
フィールはジンの後任として南支部長の任を引き継ぎ、日々の業務に奔走している。
一方ベルはというと、南支部所属のサマナーたちの育成を担い、厳しくも面倒見の良い指導者として厚い信頼を集めていた。
「感動するってー……昔は無鉄砲で、とにかく銃を撃ちまくってたんだからさ。それが今じゃ若者たちの憧れの的って……!」
「はいはい。とりあえずライナスたちのところに行くわよ。報告があるんだから」
ベルに手を引かれるようにして、フィールは小さく頷きながら歩き出す。
二人は教会の長い廊下を並んで進み、やがて開けた中庭へと足を運んだ。
そこには木陰で地図を広げながら話し込む、ライナス=フリードマンとイーネ=リビリの姿がある。
「ねぇ、ライナス。この村、明日には新しい診療所の基礎が入る予定なんだけど……」
「完成はいつ頃だっけ?」
「三か月後よ。一緒に見に行くでしょ?」
「あぁ。そのついでに足を伸ばして、こっちの村の状況も確認しよう」
二人は悪魔たちが封印されていた祠があった村を重点的に、復興活動に取り組んでいた。
水源の整備や子どもたちの教育支援、そして何より『もう恐れるものはない』と伝えるための存在として、従事している。
「ライナス、イーネ。お疲れ様っ」
ベルがそっと歩み寄って声をかけると、二人は驚きながらも嬉しそうに顔を上げた。
「あれ!?中央に来てたの!?」
「久しぶりだな。フィール、ベル」
「ちょっとした報告があったのよ。ついでにみんなの顔も見て帰ろうと思って」
「そういえばエルクは?」
フィールが周囲を見渡しながら問いかけると、ライナスが軽く首を振った。
「さっきまでここにいたんだけどさ、マリアと一緒に出かけたよ。―――『あの場所』に行くって」
その言葉に、フィールとベルは顔を見合わせた。
「……そっか、『今日』だったね―――前教皇の命日……」
フィールがぽつりと呟くと、ベルも静かに頷く。
「ライナスは?一緒に行かなかったの?」
ベルが問いかけると、ライナスは少しだけ視線を落とした。
「……俺は、日の出のときに行ってきたよ。少しだけだけど……いい報告できたと思う」
そう言って、ライナスはそっとイーネへと視線を向けた。
その言葉の意味を察したのか、イーネもまた柔らかく微笑む。
「……ふぅん?『いい報告』ねぇ……」
二人の様子に察したベルは、口元をゆるめた。
そして、少し意地悪そうな笑みを浮かべながら、からかうように言う。
「もしかして~?そろそろ『そういう話』が出てきたりとか~?」
「べ、別に今すぐってわけじゃ……!」
ライナスが珍しく言葉を濁すと、イーネが小さく吹き出した。
「もう、ライナスったら。ベルがからかってるだけだよ」
「って、イーネまで……!」
ライナスが苦笑混じりにぼやくと、ベルもつられるように笑う。
そんな何気ないやり取りのあと、ふと一同の視線は空へと向かった。
どこまでも高く、雲ひとつない青空に笑みが漏れる。
そして、その空はエルクも見つめていた。
風が優しく吹き抜ける静かな丘の上で、家族と共に立っている。
「……父さん、来たよ」
エルクが語りかけたのは、父であるロイド=フリードマンの墓石だった。
整えられた墓石には、彼の名と共に信念と勇気を称える短い祈りの言葉が刻まれている。
「あれから五年……もうすっかり日常は戻っていて、俺は枢機卿になった。今じゃバールの右腕として、忙しい毎日を送ってるよ」
そう墓石に語りかけると、隣に立つマリアが一歩前に出た。
手にある白い花の束を両手で丁寧に持ち直し、そっと墓石の前に供える。
「ロイド様……この平穏は、ロイド様のおかげで得ることができました。どうぞ……安らかにお眠りください」
手を合わせ、静かに祈るマリアの肩を、エルクが抱く。
風が優しく吹き抜け、草花がふわりと揺れたそのとき―――
「とおちゃーんっ!!」
遠くから、元気いっぱいの声が響いたのだ。
次の瞬間、小さな足音が地面を駆け抜け、エルクの背中に勢いよく飛び込む。
「うおっ……!」
ふらつきながらもエルクは体勢を保ち、振り返る。
するとそこに、満面の笑みを浮かべた息子の姿があったのだ。
ツンツンと跳ねた短髪は闇夜のように漆黒で、前髪の一部だけが陽にきらめくような淡い金色に染まっている。
「ねえねえ、おなかすいたー!はやくかえろーよー!」
「こーら、『花をあげる』って約束だったろ?」
「じゃあ、あとで『けん』おしえてくれる?おれも『すーききょー』になるんだっ!」
「はいはい」
エルクは背中の子をくるっと回転させ、墓前の前に立たせた。
そして、マリアが一輪の白い花を手渡すと、きょとんとした顔をみせたのだ。
「えっと……じいじ、これ……おれのぶんね!」
小さな手でそっと花を置き、ぺこりと頭を下げる。
そのとき、またしても小さな足音が、草をかき分けるように近づいてきたのだ。
「にいに、まって~!」
駆けてきたのは、淡い金の髪をふわふわと揺らす幼い少女だった。
くるくると動く瞳は母親そっくりで、白いワンピースの裾をひらひらさせながら一生懸命走る姿は、小さな天使にも見える。
「にいに、おいていかないでぇ……!」
大きな瞳を潤ませ、今にも声を上げて泣き出しそうな顔で兄の背中にしがみつく。
それを見たマリアが、優しく微笑みながらこう言った。
「ほら、あなたもお花をお供えして?」
マリアが一輪の白い花を差し出すと、女の子は潤んだ瞳でそれを見つめた。
そして、少しだけ唇を尖らせながらも、そっと受け取る。
「……じいじ、これ、わたしの」
そう言うと、女の子は墓前に歩み寄った。
小さな手で丁寧に花を置き、手を合わせて祈りを捧げる。
その姿は、まだ幼いながらも不思議な気高さを纏っていた。
「……蛙の子は蛙―――ってとこだな」
エルクがぽつりと呟いた声には、照れと誇らしさが混じっていた。
「ほんと。誰に教わったわけでもないのに、あの子、祈るときだけ空気が変わるのよね」
女の子は、祈りを終えると立ち上がり、兄の手を取った。
ふたりでもう一度頭を下げるその姿に、エルクの胸がじんわりと熱くなる。
「さ、帰ろうか」
あの日―――あの長い戦いのなかで世界は変わった。
終わりなき闇に、誰もが光を……希望を信じ続けたのだ。
激闘とよべる戦いで無数の命が交差し、数えきれないほど涙が零れたことは、誰の胸にも残っている。
そのたびに誓いが立てられ、強くあろうと踏ん張った。
幾度倒れても、何度迷っても立ち上がり、前を見て手を伸ばし続けたことで得られた目の前の景色を、エルクは確かにその瞳に映している。
運命に選ばれた少年は、もう運命にすがるだけの存在ではない。
彼は今、自らの手でその運命を切り開いたのだ。
仲間たちと共に―――……




