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第十九章〜終刻〜④

「次―――ベルゼブブ」


サタンの冷たい声が響いた瞬間、大量の虫が這い出してきたのだ。

天井や壁、床のあらゆる隙間から、黒く光る虫の群れが迫ってくる。


「囲まれるぞ……!」


黒い波と化す虫に、ジンとユーリが一歩前に出た。


「ここは俺たちがやる」

「すべてを焼き尽くすわ」


ジンの足元から潮風が吹き上がり、それはやがて塩分を帯びた重い湿気の旋風となって広がっていく。

それらが虫たちに触れると、甲羅の表面が白く濁り始めたのだ。


「お前らは関節がいっぱいだろ?そこに塩が入り込むと―――どうなる?」


ジンの声と同時に、塩の結晶が細かな関節に食い込み動きを鈍らせていく。

節の可動を制限された虫たちは、まるで錆びついた歯車のように軋む音を立てた。


「ユーリ、今だ!」


ジンの声に応えるように、ユーリは一歩前に出た。

そして、祈りを込めるように手を掲げる。


「ミカエル……お願い、すべての虫を焼き尽くして!」


掲げられた掌に、淡く金色の光が灯る。

その輝きは次第に力を増し、やがて浄化の業火となって膨れ上がっていったのだ。

放たれた炎は、虫たちの甲殻を焼いていく。


「ここは私とジンさんに任せてください!!サタンはまだ―――」


ユーリが振り返って叫んだと同時に、再びサタンの声が大聖堂に響いた。


「次は―――アスモデウスだ」


声が落ちた瞬間、大聖堂の空間がねじれたように歪む。

そして、サタンの身体から黒い靄がふわりと抜け出したのだ。

それはみるみるうちに人の形を成し始め、やがてサタンと同じ顔をした影が二体、静かに浮かび上がったのだ。


「くそっ……!分裂か……!」


次の瞬間、その三体のサタンは狙いを定めると一瞬で間合いを詰めてきたのだ。

一体は、片腕を失っているバール。

もう一体は、ルーイン。

そして、最後の一体は―――ゴードンだ。


「なっ……!?」

「くっ……!」

「……次は私の番か!」


三人は一斉に散り、それぞれが距離を取る。

バールは片腕ながらも剣に炎を纏わせ、身を低く落とした。


「片腕だからって……舐めんなよ?」


猛然と踏み込んだバールは、床を蹴り砕いてサタンの懐へと飛び込んだ。

その刹那、剣に纏わせた炎が唸りを上げる。


「うおおおおっ!!」


剣を振り抜いた瞬間、爆ぜるように広がった火炎がサタンの身体を飲み込む。

だが―――


「その剣、重みが足りんな」


サタンはそう言うと、炎の中から腕をぬるりと伸ばした。

そして、瞬く間にバールの剣を掴みにきたのだ。


「チィッ……!」


バールは咄嗟に剣を引こうとするが、すでにその手は刃を捉えている。

鉄をも砕くような力が、剣と腕にのしかかる。


(くそっ……!)


このまま力任せに押し切られれば、剣を奪われるどころか身体ごと吹き飛ばされる。

だが、バールの目に迷いはなかった。


「ならば―――剣にある炎を一気に爆発させるまで!!」


バールは剣を強く握りしめ、全身に力を込めた。

炎の強さが怒りとともに膨れ上がり、重く力強い気迫を放つ。


「燃えろ……燃えろ……!燃え尽きろ!!」


剣に宿した炎は、サタンの身体を握った腕ごと包み込んだ。

まるで生き物のようにうねる炎が、刃の根元から一気に噴き出す。


「ぐ……やはり分裂には負荷がかかるな……」


バールと対峙するサタンが顔を歪めたとき、もう一体のサタンはルーインに詰め寄られていた。


「何度その分裂を見ていることか……。分裂をすると力が半減することくらい、もうお見通しですよ」


ルーインの声には、冷静さと確信が滲んでいた。

その眼は鋭くサタンを射抜き、手にした剣の柄を強く握る。


「小賢しい」


次の瞬間、サタンは地を滑るようにルーインに接近した。

右に左にと、蛇のように揺れる動きでルーインの死角を狙ってくる。

だが―――


「見えてますよ。次は―――真上!!」


ルーインが叫んだ瞬間、真上からサタンの腕が振り下ろされた。

すでに剣を構えていたルーインは、それを受け止め左に流す。


「次は下段ですね?それも―――蹴り」

「―――っ!」


ノルンの力を使ったルーインは、腰を捻りながら後退する。

そして、次に襲いかかってきたサタンの蹴りを紙一重で避けたのだ。

ルーインに避けられたサタンは、じっと自身の拳を見つめた。

その後、ゆっくりとルーインを見据え、ふっと鼻で笑う。


「……ふん」

「ここで戦力をひとつ、削がせてもらいましょうか」


ルーインとサタンがにらみ合っているとき、三体目のサタンはゴードンを見据えていた。

その眼には、獲物を前にした捕食者のような冷たい輝きが宿っている。


「貴様は……ほかの連中とは違うな」


サタンの声が低く響くなか、ゴードンは何も答えなかった。

沈黙のなかで、ゴードンの足元に薄氷が走る。


「ウル……来い」


その声は静寂を引き裂き、空気が凍るほどの緊張が場を包む。


「ほう……。氷か」


温度が激変し、吐く息が白く凍りつく。

天井のステンドグラスが内側から霜で曇り、壁に氷の亀裂が走った。

鈍い音とともに上空が裂け、その裂け目から重々しい足音が降りてくる。

それは銀と蒼の甲冑を身にまとい、胸には雪の結晶を模した紋章をつけていた。

顔は兜に隠されているものの、存在するだけで空間が沈黙する。


「氷の騎士……いや、王か」

「ここで―――永遠に凍っていてもらおうか」


ゴードンの声とともに、ウルの力が牙をむく。

空間がひび割れ、冷気の奔流がサタンを包囲するように迫った。

壁も床も凍てつき、世界は白銀へと変貌する。


「厄介な……」

「ならば、ここで凍て果てよ」


サタンの足元から順に、まるで獲物を味わうように冷たい結晶が肉体を飲み込んでいく。

徐々にサタンの動きは鈍り、凍結が核心に達しようとした、そのとき―――


「……ルシファー」


囁くように、サタンがその名を呟いたのだった。


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