第十七章〜終わりの始まり〜④
こうして三人がジンのもとへ向かったころ、ジンは三つ目の分身体と対峙していた。
「……潮の匂い、感じるか?」
ジンは、短く呟くと契約する神『ニョルズ』の力を解放する。
すると周囲の空気が一変し、重く湿り気を帯びた風が吹き始めたのだ。
徐々に潮の香りが濃くなり、塩分を含んだ風が吹きすさぶ。
「ただの風じゃねーぞ……腐る風だ」
その言葉に、三体目のアスモデウスはジンを睨みつけた。
鋭く吹き抜ける潮風が身体をかすめ、皮膚の一部が白い粉をふくようにひび割れる。
「潮……塩かァ?」
アスモデウスは低く唸りながら、ひび割れた箇所に目をやった。
そこには乾いてささくれた皮膚と、かすかな斑点がある。
まるで―――カビでも生えたかのような痕に、ぴくりと眉が動く。
「さぁて、この風を浴び続けたらどうなるか……それくらい悪魔でもわかるよな?」
「……ッ!!」
アスモデウスの顔が、初めて明確に歪んだ。
冗談のように笑っていた口元が、真一文字に結ばれる。
「チッ……!この腐れ野郎がァ!!」
「おぉ、誉め言葉だな」
ジンは肩眉を上げ、潮風をさらに強めた。
重く湿った空気が中庭に渦巻き、まるで海辺の嵐のように石畳を濡らしていく。
「ぐゥっ……!」
その風を防ぐよう、アスモデウスは腕で顔を覆いながら後退する。
目を細めて状況をうかがっていると、自身の腕が白い粉をふき始めたのだ。
それは先ほどよりも範囲が広く、ひび割れた皮膚の奥から黒ずんだ液が見える。
「はァ!?お、俺の肉が腐ってんのかァ!?」
その言葉に、ジンの口元がにやりと歪んだ。
「『酸化』って知ってるか?鉄でも皮でも臓器でも―――空気と塩気に晒せば時間とともに腐ってボロボロになる。……お前のその身体も―――な」
「―――ッ!!」
潮風の勢いが強まり、アスモデウスの肌から白い粉がはらはらとこぼれ落ちる。
明らかな肉体の劣化の兆しに、アスモデウスは距離を取るように飛び退いた。
「逃げたって無駄だ!俺の目の届く範囲なら、どこまでもその風が追いかけるぞ!!」
ジンの声を背に、アスモデウスは中庭を駆ける。
腐食し始めた皮膚を抱えるようにしながら、何かを求めるようにして地を這うように走ったのだ。
「おまェから逃げるんじゃねェ!!俺は……俺はァ!!」
そのときだった。
中庭の奥から二体のアスモデウスが現れたのだ。
「……待たせたなァ、俺?」
「ちゃっちゃとやっちまおうぜェ?」
先ほどまでジンと対峙していたアスモデウスは、不敵な笑みを浮かべる。
「……戻るぜ、『俺』」
三体のアスモデウスは、自然と互いへ引き寄せられるように歩み寄る。
そして、肉体がぐにゃりと溶けあったあと、渦を巻くように融合を始めたのだ。
崩れていた皮膚はたちまち再生され、ルーインやフィールたちによって貫かれた肉体も元通りになっていく。
「これであいつらは仕舞いだなァ……ククク」
分裂していたときよりも巨大に、より禍々しくなっていくアスモデウス。
そこに、ルーインとフィール、ベルも駆けつけてきた。
「……ひとつに戻ってしまいましたか」
「うわっ……前よりでかくなってる……」
「嫌な感じね……」
三人はアスモデウスの前に立ちふさがり、再び陣形を整える。
その禍々しい悪魔を見据えながらも、一歩も引かぬ覚悟を見せたのだ。
そして―――
「ま、こっちも四人だ」
重たい足音とともに、潮の香りを纏ってジンが追いついてきた。
肩越しに潮風をなびかせながら、ルーインたちの背中へと並び立つ。
「―――畳みかけるぞ!」
雷鳴が轟き、雨脚が強まるなか―――再び戦場の幕が上がったのだった。




