第二章 〜港町の略奪者〜③
あっけらかんと自白した彼女に、二人は時が止まったかのように動きをとめた。
「認めるのか?」
「えぇ。」
「お前、名前は?」
「ベル。ベル=ユーリスよ」
悪びれもしないベルに、二人はどう言葉を返していいのか戸惑った。
しかし、彼女は自嘲気味に笑っていたのだ。
「盗ったからってなに?あんたたちには関係ないでしょ?」
「そんなわけないだろ。俺たちは『教会』の指示できたんだから」
その瞬間、ベルはぎょっとした顔を見せた。
エルクの言った『教会』という言葉に反応したのだ。
「あんたたち…教会の人間……!?」
「?……そうだが…」
「!!」
エルクが答えたと同時に、ベルは走り出していた。
まるで彼らから逃げるかのように、一目散に走っていく。
「あっ!!」
エルクはすぐに反応した。
「ちょ…!なんで逃げんだよ、コラッ!!」
エルクは地面を蹴り、即座に追いかける。
その後ろ姿に、フィールが少し遅れて声を上げた。
「え、えぇ!?待ってよエルクーっ!!」
ベルは風を切るように駆けて行った。
通りをすり抜け、建物のあいだを走り抜ける足取りは、一般人とは思えないほどだ。
(えっ!?こっちは二人もいるのに撒かれる!?)
フィールがそう思ったとき、彼は足を止めた。
そして、小さく息を整え、
「…風よ、僕に力を―――」
その瞬間、フィールの指先に風が集い始めた。
空気の流れが変わり、フィールの体が宙に浮く。
「よしっ!」
エルクが地を蹴るのと同じように風を蹴り、フィールは跳躍する。
そして、回り道などする必要のない最短ルートを跳び、屋根の上から飛び降りた。
その場所は、ベルが角を曲がった真正面だ。
「きゃあ!?」
「待って!!お願いだから…話を聞いて?」
急に目の前に現れたフィールに驚いたベルは、彼の言葉など耳に入っていなかった。
踵を返そうも、急な切り替えに体はついてこず、勢い余ってそのまま地面に尻もちをついてしまったのだ。
「うぅぅっ……!」
そこへ遅れて駆けつけたエルクも合流する。
「はぁ、はぁ…逃げるからだろ。ったく………。話を聞かせてもらうからな」
二人に囲まれ、ベルは悔しそうに歯を食いしばった。
だが、その瞳にはわずかな迷いと―――深い恐怖の色が宿っている。
その様子を悟ったフィールは、声のトーンを優しくして問いかけた。
「どうして逃げたの?…教会が怖い?」
すると、ベルは目を伏せて沈黙してしまったのだ。
しかし、少しの時間を置いて…ぽつりとつぶやいた。
「だって…盗んだのは一応神器だし?まさか教会の人が来るなんて思ってもみなかったし…」
ベルは、もごもごしながら言い訳をしようとしたが、何かを決意したかのように話し始めた。
「父さんが…帰ってこないんだ」
彼女は地面に座ったまま、膝を抱えるようにして手を組む。
その姿はまるで、いじけた子どものよう。
「きっと…クラーケンの領海に入っちまったんだと思う。それもこれも、エーギルのせいなんだ…!あいつは船を破壊するって聞いた。守り神のくせにそんなことをするからクラーケンが現れるんだ!!約束したのに…っ!」
その話を聞いたエルクとフィールに、ある疑問が浮き出てきた。
それは、彼女がいったい『どこでその話を聞いたのか』だ。
「その話は言い伝えか何かなの?」
フィールが問うと、ベルは首を横に振る。
「いいや?ちょっと前に街に来た旅人がそう教えてくれて……」
「旅人?」
「ちょっと変わった格好の…なんだか不思議な人だった。その人があたしにヴァレファールとの契約を―――」
その瞬間、エルクはぎょっとした。
「は!?ヴァレファール!?それ、悪魔の名前だぞ!?」
エルクの声が鋭く跳ね上がる。
そしてフィールも同じくして反射的に眉をひそめた。
「ベル、それ…本当に契約したのか?」
「え?う…うん…。力が手に入るって言われて…それで…」
ベルの視線は足元へ落ち、唇が小刻みに震え始めた。
「神器を盗んで『捧げ物』にしろって言われたの…そしたら父さんが帰ってくるって…」
涙を堪えるようにして声が詰まるベル。
その姿に、エルクは苛立ちと同時に何かがこみ上げてくるのを感じた。
「ふ…ざけんなよ!そんなもんに乗せられて神器を盗むなんて…!」
「でもあたしは―――!」
ベルが叫ぶように言い返そうとした、その瞬間―――
ゴゴゴ…ゴォ……
低く、どこか遠くで唸るような音が街に響いた。
それはまるで、何かが目を覚ましたかのような、冷たい振動だ。
「なんだ…!?」
「エルク!風の流れが変わってる…!」
港のほうから、黒い雲がゆっくりと広がる。
空が歪み、海の気配が一気に不穏なものへと変化したのを二人は感じていた。
「まさか…」
「え?なに?クラーケンが出たの…?」
音と振動に怯えるベルに、エルクは詰め寄った。
「ベル!!神器はどこだ!?どこにある!?」
「え…?それは旅の…」
「渡したのか!?」
「だってそうしろって言われたから……」
「チッ……!」
広がる暗雲を見つめ、どう動くかを考えているエルクの側で、フィールが膝をついた。
そして、しっかりとベルの目を見つめてこう言ったのだ。
「ベル、よく聞いて?クラーケンは確認されたことがないんだ。それは、迷信なんだよ。そして…お父さんの船は、おそらく…難破したんだと思う」
「え……?」
「それだけ長い期間帰ってこないってことは、ベルももうわかってたんじゃない?神器もなく、風もないんじゃもう……」
「!!」
「…僕たちがもっと早くにこの状態を知っていたら変わったかもしれないけど…ごめん」
その言葉に、ベルは自分がすべきことを誤ったことに気がついた。
どこの馬の骨とも知らない旅人の言葉を信じるのではなく、ほかの…ちゃんと信用できるところに相談すべきだったことを。
「いやあぁぁぁぁああ!!」
泣き崩れるベルを背後に感じながら、エルクは腰元から大剣を取り出した。
虚空から闇が伸び、彼は見えない鞘から抜刀する。
「泣いてたって何も解決しないぞ!!できるだけ遠くに逃げろ!!今すぐだ!!」
その瞬間、突如空気が裂けるような音が鳴り響いた。
地面がひび割れ、その中心から黒い瘴気が噴き出したのだ。
「ヴァレファール……っ!」