第十四章〜多相の男〜①
ベルフェゴールを逃がしてしまった一同は、急いで周囲を探し回った。
だが、時はすでに遅く、気配すら残っていない。
「くそっ……!」
エルクは悔しげに唇を噛む。
完全に逃げられてしまい、重い敗北感が滲んでいく。
そのころ、地に倒れていた村人たちは、ゆっくりと意識を取り戻し始めていた。
ベルフェゴールが去ったことで、洗脳が解けたようだ。
だが―――
「ここは……?どうして俺らは……」
「な、何が起きていたんだ……?」
と、彼らの目には困惑と恐怖が浮かんでいたのだ。
一同が状況を聞くも、返ってくるのはみな、要領を得ない答えばかり。
「記憶が……抜け落ちているみたいですね」
自分たちが何をしていたのか、まるで覚えていない村人たちの様子に、オリヴィアが困惑の表情で呟いた。
疲労と混乱に包まれたまま時間だけが過ぎていき、やがて空が赤紫へと変化する。
あっという間に村に夜の帳が下り、一同は村人たちとともに集落に向けて歩き始めた。
そんななか、ひとりの老人がオリヴィアにこう話しかけたのだ。
「今夜はうちに泊まってくれんかの」
その声には、まだどこか不安げな響きが混じっていた。
それでも、オリヴィアをはじめとするエルクたち一行を歓迎する意志は、はっきりと感じられたのだ。
「ありがとうございます、助かります」
こうして一同はその老人の家に身を寄せることとなった。
やがて夜も更け、落ち着きを取り戻したころに囲炉裏の前で老人が語り始める。
「……わしはこの村の村長じゃ。長いこと村を治めてきたが……今回のようなことは初めてじゃった」
火の揺らめきが村長のしわだらけの顔を照らす。
その表情には、まだ整理のつかぬ困惑が滲んでいた。
「異変が始まったのは、あの大雨の晩じゃった。雷鳴が轟く中で、黒いローブを纏った四人組の男が村を訪ねてきたんじゃよ」
「四人……?」
村長の言葉に、ライナスが小さく反応した。
「うむ。その男たちは、村にある『大岩の場所』を教えてくれと言ってきてな……あそこは村の古い禁足地なこともあって、止めたんじゃ。……だが、『大丈夫だ』と言ってそのまま向かってしまったんじゃよ」
エルクたちは無言で耳を傾けた。
村長は囲炉裏の火をじっと見つめたまま、続ける。
「その日を境に……村はおかしくなり始めたんじゃ。外に出る人の数が減り、村人たちは次第に家から出なくなっていった。その光景に、『おかしい』と思ったんじゃが―――わしの記憶もいつの間にか途切れておった」
村長は目を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。
何か言いづらそうに、唇を噛みしめる。
「あのとき……何とかせねばと思ったんじゃ。みなの様子が日に日におかしくなっていくのを見て、原因を突き止めようと……。じゃが、わしの記憶も途切れてしまい、気づけば―――」
後悔の滲む声が、静かに囲炉裏に溶けていく。
責めることのできない状況に、オリヴィアがゆっくりと口を開く。
「……村長さん、思い出しづらいかもしれませんが……その男たちの顔、覚えておられますか?」
その言葉に、村長は苦しげに眉を寄せた。
「それが……何度思い出そうとしても、まるで霞がかかっておるように思い出せんのじゃ……」
ぎゅっと拳を握りしめる村長の手が、悔しさを滲ませていた。
記憶はある。
しかし、肝心な部分がどうしても掴めないことに、胸の奥底から湧き上がる苛立ちと虚しさを隠せないようだった。
「では村長さん、最後にもうひとつだけ……その男たちが訪れた日はわかりますか?」
オリヴィアの言葉に、村長はしばし目を細め、遠くを見つめるように記憶を辿った。
そして、確かな声でこう言ったのだ。
「……日にちは覚えとる。大雨が降った日じゃったからな」
そう言うと、村長は指を折りながら日にちを辿り始めた。
「確か―――あの日の三日ほど前に、教会の北支部で大きな事故があったと村人たちが話しておった。だからあれは……」
村長の言葉に、エルクははっと目を見開いた。
「北支部の事故って……レヴィアタンと対峙したときか……!?」
その瞬間、フィールも思わず声を上げる。
「四人組の男が来たのは……まさかバレンシアさんが殺された翌日……!?」
一同のあいだに緊張が走ると囲炉裏の火がぱちりと小さく爆ぜ、重苦しい沈黙を破る。
「―――つまり、一連の動きは計画の一部ってことだ」
ライナスが低く呟き、険しい表情で続ける。
「北支部でレヴィアタン、ラインバーグでバレンシアさんを殺害、ココル村でアスモデウスの顕現、そしてベルフェゴールを解放するために、この村にやってきた」
「計画的……だったわけですね」
ルーインが静かに頷くと、オリヴィアは少し顔を曇らせていた。
「でも、クロスの話では『アスモデウス』『ベルゼブブ』『サタン』の三人が柱になっているはず。四人組ということは、もうひとりいる……」
「……つまり、俺たちがまだ知らない『誰か』が動いている」
ライナスが唸るように言うと、エルクも続けた。
「悪魔側の別の幹部か、もしくは―――こちら側の裏切者だな」
その言葉に、重たい空気が部屋を支配する。
どちらの可能性も否定できないことから、誰もが黙り込んでしまったのだ。
揺れる囲炉裏の火を一同が見つめるなか、ふと村長がこう漏らした。
「……終末の日―――……」
一同の視線が、一斉に村長へと向く。
「村長さん、その言葉は……?」
オリヴィアがそっと問いかけると、村長は火の揺らめぎを見つめながらゆっくりと語り始めた。
「長い……夢を見ていた気がするんじゃ。わしの記憶が途切れているあいだじゃと思う……。どこかもわからん闇の中で、男の声が繰り返し響いておったのじゃ」
村長の声は、わずかに震えていた。
そして―――
「『終末の日は近い』……その言葉が耳の奥に残っておる」
と、目を見開いて言った。
まるで今も耳にこびりついて離れないかのような、不気味な怯えが滲んでいる。
「その言葉、崇拝教の連中も言ってた。ルシファーも……」
ライナスが低く呟いた。
「つまり、終末の日こそが崇拝教の本当の目的というわけですね」
オリヴィアが苦しげに言うと、ルーインも静かに続けた。
「ですが、それが『いつ』で『何を意味している』のかはわかりません」
「だが、やつらは着実に準備を進めている」
「放っておけば、世界そのものが破滅するかもしれない」
エルクとフィールも続き、ライナスがこう締めくくった。
「突き止めるしかない。崇拝教の企みを……そして、『終末の日』の正体を」
その決意のこもった声に、一同は静かに頷く。
更ける夜に、一同は重たい思いを胸に眠りにつくが―――残る不安に誰ひとりとして安眠できる者はいないのだった。




