第十三章〜怠惰の顕現〜⑤
ベルフェゴールは顔をしかめて飛び退くものの、着地と同時に雷が再び走った。
進路を阻むような鋭い閃光が地を割り、焼け焦げた煙が立ちのぼる。
「……っ、ぬかりないねぇ」
ベルフェゴールは煙の向こうに立つライナスを睨んだ。
足元には焦げ跡、前方には風の渦、背後には追撃の気配がある。
「早く迎えが来ないかなぁ……まだ不完全なんだけどなー……」
そう呟きながらも、動きに未熟さはない。
だが、その『余裕』も、徐々に崩れ始める。
「エルク!ベルフェゴールは次、左に!」
ルーインが叫んだと同時に、エルクは左に跳んだ。
『運命の神ノルン』と契約している彼女は、その力を使って数秒先の未来をよんだのだ。
「な……っ!?」
驚いたベルフェゴールは、目を見開いた。
狙いすましたエルクの一撃が、ベルフェゴールの回避先を正確に撃つ。
「くっ……!」
その寸前で身体を捻り、エルクの刃を紙一重でかわしたベルフェゴールは、反射的に斜め上方に跳びあがった。
しかし、その跳躍の先には―――
「ここですね!」
ルーインがすでに待ち構えていたのだ。
飛び込んでくるのを待っていたかのように、剣を大きく振り上げる。
「しまっ―――!」
ベルフェゴールは息を呑み、態勢を無理やり崩す。
余裕に満ちた動きは消え去り、獣じみた本能だけで回避したのだ。
ルーインの剣はベルフェゴールの肩口をかすめ、わずかな血が宙に舞う。
「……っ、惜しい!」
それでも、逃げ場はほとんど残されていなかった。
地上ではエルクが大剣を持って待ち構え、地はライナスの電撃が走ってくる。
上空にはフィールの風が壁のように渦巻き、動きをよむルーインがじっとベルフェゴールを見据えているのだ。
「……ふぅ、ずいぶんと手際がいいじゃないか」
ベルフェゴールは、苛立ちの滲む声でそう呟いた。
呼吸もわずかに乱れており、追い詰められているのは明らかだ。
「そろそろ迎えも来そうだ。―――ここらで一旦、幕引きといこうか」
その言葉と同時に、ベルフェゴールの喉奥から低い濁音が響き始めた。
それは、さきほどまでとは異なる、不快で粘つくような異音だ。
「一体何を……」
ルーインが警戒の声を上げた瞬間―――
倒れていたはずの村人たちが突如として立ち上がり始めたのだ。
その動きはどこか操られるようにぎこちなく、それでいて着実に歩み寄ってくる。
「ロキの力が切れたのか……!」
エルクは歯を食いしばり、剣を握りなおした。
ロキの力が解けた今、村人たちは完全にベルフェゴールの意のままだ。
「避けますよ!攻撃は当てないで!」
オリヴィアの声に、一同は動きを迷う。
刃を振るえば命を奪いかねず、契約神たちの力も、加減しきれる保証はない。
ライナスも電撃の光を弱めながら、呟いた。
「迂闊に攻撃できない……!」
「でも、このままじゃ何もできないよ!?」
フィールも風を使って進行を押し返そうとするが、村人たちはひるむことなくじりじりと間合いを詰めてくる。
防御と回避に徹しなければならない状況に、ベルフェゴールは不気味な笑みを浮かべた。
「いい光景だなぁ、お前らの『正しさ』が自分の首を絞めてる」
「くっ……!」
焦燥感が一同を包み込むなか、ベルフェゴールはふと後方を見上げた。
その口元には、ますます歪んだ笑みが浮かぶ。
「―――もっと面白くしてやろう」
その言葉と同時に、どこからともなく羽音が鳴り響き始めた。
ベルフェゴールが見つめる空の端―――そこにはじわじわと黒い影が広がり始めていたのだ。
「まさか……」
その瞬間、無数の羽虫が空一面を覆い、黒い雨のように降り注いだのだ。
「うわぁっ……!」
羽虫は目に、鼻に、口にまとわりつき、呼吸を塞ぐ。
皮膚を這い回り、耳奥にまで入り込もうとするその執拗さに、一同は思わず動きを鈍らせた。
「くそっ……!」
「視界が……!」
フィールの風が虫を弾き飛ばそうと渦巻き、ライナスの電撃が一帯を走り抜ける。
だが、数は減らずにむしろ、次々と沸き続けたのだ。
「はは……いいねぇぇ……混沌だよ、これこそが」
羽音にかき消されそうなほど小さく、ベルフェゴールの笑い声が響いた。
そして―――
「遅いですよ」
その囁きを最後に、彼の気配が消えてしまったのだ。
その後、虫たちは徐々に散っていき、静寂が戻ったころにはベルフェゴールの姿はどこにもなかった。
ただ、荒れ果てた大地と倒れ伏した村人たちが残されていたのだ。
「……ベルフェゴールが……復活してしまった……」
オリヴィアが、震える声で呟いた。
新たな脅威を迎え入れてしまい、誰もがその言葉の重みに沈黙するしかないのだった。




