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第十一章〜血に濡れた教会〜③

「ベル!部屋全体に雨を降らせて!」


フィールの声が響くと同時に、ベルは頷いた。


「ウンディーネ、お願い。もっと……水を!!」


その言葉のすぐあとに、空気中の湿気が凝縮し、天井に霧が立ち込めた。

やがてそれは雨雲のような気配となり、ぽつ、ぽつ……と水滴が落ち始めたのだ。

次の瞬間には部屋の中が大雨の状態となり、マモンの身体が音をたてて濡れていく。


「ギャアアアアア!!」


水に濡れたマモンは、全身が重そうに沈んでいく。

そして、逃げようと考えたのか壁へと飛びかかろうとしたその瞬間―――


「逃がさないよ!!」


フィールが叫ぶと同時に風がうねり、巨大な竜巻が部屋の中に生じた。

天井まで伸びたそれはマモンの進路を塞ぎ、左右にも逃げ道を与えない。

ただでさえ雨で鈍った身体に風の障壁が重くのしかかったマモンは、焦りと怒りで半狂乱となり―――


「ヤメロォォオオ!!」


凄まじい絶叫とともに羽根を展開させようとするものの、ウンディーネの雨が容赦なく叩きつけた。

雨は体温をも奪い、マモンは成すすべもなく膝をつく。


「ギ……ギィィ……ッ!」


干からびた皮膚は冷気に震え、赤黒い眼窩の奥で揺らめく光はくすみを帯びていた。

焦りと怒りと恐怖が入り混じったその表情は、もはや悪魔ではなく―――ただ一匹の打ちのめされた鳥にすぎない。

そこにライナスが一歩前に出た。


「……終わらせる」


そう低く呟くとライナスはミョルニルを肩に担ぎ上げ、雷を纏わせた。

雷光がミョルニルを伝ってほとばしり、空間を焼くような音が部屋に響く。


「ヤメロ……ヤメロ……ッ」


一歩、また一歩とマモンへと近づくたび、床では水飛沫が跳ねる。

ぽた、と水が跳ねるたび、マモンは『死の足音』に聞こえていったのだ。


「喰らええええッ!!」


雷鎚が振り下ろされた瞬間、雷が炸裂し、爆音と閃光が部屋を満たした。

床が軋み、空気が揺れ、すべての音がかき消えるほどの轟きが響き渡ったのだ。


マモンの頭部は砕け、干からびた羽根が吹き飛び、赤黒い霧が四方に舞った。

その身体は崩れ落ち、残されたのは悪意の残滓すら感じさせない静寂だけだ。


「終わった……」


悪魔の気配は完全に断たれ、空間を覆っていた圧力も胸の奥を締めつけていた緊張も、すべてが霧散していく。


「マリア!イーネ!無事か!?」


エルクが振り返り、濡れた床を踏みしめて駆け寄る。

その声に、マリアがはっと顔を上げ、イーネをかばうようにして頷いた。


「私たちは……大丈夫」


震える声ながらもはっきりとした返答に、エルクはほっと胸を撫でおろした。

イーネも息をつきながらエルクたちの姿を見つめ、小さく、何度も頷く。


「よかった……」


その刹那、エルクとライナスの表情が強張った。

そして二人の視線が教会の奥―――ロイドとともに対峙した空間へと鋭く向けられる。


「戻るぞ、ライナス!」

「あぁ!」


二人は濡れた床を蹴り、部屋を飛び出た。

足音が廊下に反響するなか一気に駆け進み、先ほどの廊下の先に視線を向ける。


だが―――そこには衝撃的な光景が広がっていた。


ロイドはあお向けに倒れており、その腹には一本の腕が刺さっている。

赤い髪をなびかせ、滑らかに引き抜かれたその手からは赤黒い血がぽたぽたと滴っていた。


まるで祈りでも捧げるかのようにロイドの上にまたがっていたその男は、背筋を伸ばしながら、ゆっくりと振り返る。


「……遅かったね」


男からその言葉が発せられたのと、エルクたちが目を見開くのは同時のことだった。

その顔には、まるで芝居の幕開けを楽しむ役者の如く、淡い笑みが貼りつけられている。


「次はキミたちと遊ぶのかな?」


その一言で、空気が凍りついた。

教会最強の男で、最高神のサマナーである人間が―――殺されてしまったのだ。

その事実が、二人の心に深い絶望を突き刺す。


「ふざけるなァァッ!!」


エルクは叫び、剣を構えて地を蹴った。

怒りが先に出てしまっている彼を押さえようと、あとから追いついてきたフィールが声を上げる。


「待って、エルク!!」


しかし、エルクの視線は赤髪の男しか捉えておらず、その声は届かない。

そんな光景に赤髪の男はにやにやと笑ったまま、首をわずかに傾けた。


「うーん、短気だねぇ……じゃ、お返しだよ」


その瞬間、男は虫を繰り出しエルクを襲った。


「っ―――!」


波状で襲いかかってくる大量の虫に、エルクは咄嗟に身を翻して避ける。

だが、遅れた一閃が頬をかすめ、血が飛び散った。


「おやおや、次は気をつけないと死ぬよ?―――あの男みたいにさ」

「!!」


その言葉にエルクは歯を食いしばった。

剣を握る手は無意識のうちに力が入り、柄に食い込んでいく。

楽しげな調子の男を鋭く睨みつけると、その男は虫たちを周囲に侍らせながらこう言ったのだ。


「さて、自己紹介がまだだったね。僕の名は―――ベルゼブブ。七つの大罪『暴食』を司る悪魔だよ」

「なっ―――!?」


その名を聞いた瞬間、空気が変わった。

マモンに続き、教会がもっとも警戒していた存在の一柱がここにもいたのだ。


「今日はね、天使たちを迎えに来たんだ。マモンと一緒に計画を立てたんだけど……」


ベルゼブブは、その視線をエルクたちの向こう―――廊下のさらに奥へとやった。

そこは、マリアとイーネがいる空間だ。


「失敗しちゃったみたいだね。あーあー、マモンがやれるとは思ってなかったんだけどなー」


寂しげに目を伏せるような仕草を見せたベルゼブブは、次の瞬間にはもう笑顔に戻っていた。

その顔には、一片の憐れみもない。


「じゃ、仕切り直しといこうか!」


その言葉と同時に、宙に待機していた虫たちが一斉に羽音をたててうねり、暴風のようにエルクたちへと襲いかかった。


「くっ―――!」


その攻撃に、フィールは咄嗟に風の壁を展開し、虫たちの攻撃を逸らす。

続けてベルも水を巻き上げ、空気中の湿気を圧縮して薄い水の膜を張った。

エルクとライナスも虫を切り裂くものの、その量は圧倒的だった。

次々と沸き出てくる群れに、みなの顔が険しくなっていく。


「ちっ……キリがねぇ!」


羽音は濁流のように押し寄せ、視界も聴覚も感覚すらも飲み込もうとする。

次第にフィールとベルの風と水も限界が近づき、壁は少しずつ、確実に削り取られていった。


「防ぎきれないわ……!」


ベルが震える声で呟いたその瞬間、『それ』はまるで空気を裂くように現れた。

音もなく伸びてきた影が、まっすぐにベルゼブブの肩を貫いたのだ。


「……ッが……!」


突然の攻撃にベルゼブブの身体が揺れ、彼は膝をついた。

虫たちの羽音が一瞬止まり、エルクたちは呆然とその光景を見つめる。


「おまっ……孤独から救ってやったのに……裏切ったのか……っ!」


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