第十一章〜血に濡れた教会〜①
その場にいる三人のものではない低い声が、夜の静寂を切り裂いた。
彼らが一斉に振り返ると、廊下の奥―――月明かりが届かぬ闇の向こうに、黒いフードをかぶった男が静かに立っていたのだ。
その隙間から覗くのは、血のように赤く長い前髪。
「っ……!」
エルクはすぐさま腰元から剣を引き抜く。
そして、ロイドとライナスも同時に構えた。
しかし、次の瞬間―――
「来るよ―――虫たち」
男がすっと手をかざしたその瞬間、廊下の壁や天井の隙間から這い出してくる音が響き始めた。
無数の虫が次々と溢れ出し、羽音や脚の音、湿った羽ばたきが闇に混じって空気がざわめく。
「来るぞッ!!」
エルクはレーヴァティンを構え、その刃を虫の群れに向けた。
ライナスはミョルニルを肩に担ぎ、雷を纏わせて一撃に備える。
ロイドもまた、グングニルをその手に現し三人は咄嗟に防御の陣を敷く。
だが、男が繰り出した虫の群れは、まるで意志を持ったかのように波状で襲いかかってきたのだ。
「エルク、うしろだ!!」
「ライナス、右上!」
互いに声を掛け合いながら迎撃する三人。
しかし、虫の勢いは収まる気配すらなく、さらには男の口元に笑みが浮かんでいたのだ。
(くっ……!この奥にはマリアたちの部屋がある……!どうにかして行かないと……!)
そう考えたエルクに、男はまるで見透かすようににやりと笑った。
「自分たちの心配しなよ?このままだと―――食べちゃうよ」
その一言と同時に、男の身体が残像を残して宙を裂いた。
気づいたときにはロイドの懐まで迫っており、ロイドは咄嗟に防御の姿勢を取る。
だが間に合わず、男の膝がロイドの腹に鋭く突き刺さったのだ。
「ぐっ……!」
ロイドは苦悶の声とともに後方へ吹き飛ばされ、強化の柱を背に倒れ込んでしまった。
すかさずエルクとライナスが駆け寄ろうとするものの、視界を遮るように虫の群れが再び襲いかかってくる。
「邪魔なんだよっ!!」
エルクが吼えるようにレーヴァティンを振るうと、刃の周囲に重力が凝縮された。
空間を捻じ曲げるような一閃が虫の波を断ち割り、その瞬間、ライナスがミョルニルを叩きつける。
「くらえ!!」
轟音とともに青白い稲妻が奔り、焼き払うように虫の群れを消し飛ばした。
だが、男は寸前で攻撃を避け、煙のなかからふわりと現れたのだ。
「わぁー……こわいこわい」
その声に、ロイドは血を吐き捨て、ゆっくりと立ち上がった。
手にあるグングニルを握りなおし、彼は呟いた。
「遊びは終わりだ」
その言葉と同時に、ロイドの背後に重厚な雷鳴が轟いた。
空気が震え、教会の天井から一本の光柱が降り注ぐ。
「来い……『オーディン』!!」
ロイドの声に呼応するように、雷とともに深緑のローブを翻す男が現れた。
無精髭のある口元は引き結ばれ、まるですべてを見ていたかのように、ロイドを蹴り飛ばした男を見据えていた。
「へぇ……『本気』ってことかい?」
赤髪の男は軽く口笛を吹いた。
その瞬間、虫たちがざわりと空間を舞い、場の空気が殺気を帯びる。
「ロキ!来い!!」
エルクがレーヴァティンを構えなおしながら、そう呼びかけた。
だが―――ロキの気配はまたしても感じられなかったのだ。
「……ロキ!?おい!応えろ、ロキ!!」
何度呼びかけても、何の反応も返ってこなかった。
ただ虚しく、エルクの声だけが空気に溶けていく。
「おやぁ?契約神に見限られたのかねぇ?」
言葉は軽いものの、確実にエルクの心を刺していた。
「黙れっ……!!」
そのとき、エルクが叫ぶのと同時に轟音が廊下を揺るがせた。
オーディンの雷が、空を裂いて赤髪の男めがけて放たれたのだ。
その閃光に、一瞬だけ視界が白く染まり、続く爆風で虫たちが吹き飛んでいった。
「エルク!ライナス!マリアたちのもとへ向かえ!俺とオーディンでここは抑える!」
「でも―――っ!」
「行け!!奴の狙いはお前たちじゃない、あの子たちだ!」
その言葉に、エルクとライナスは刹那の迷いを振り払うように視線を交わした。
「わかった……!任せたからな!?」
「ああ……!」
ロイドが頷いた瞬間、無数の虫が一斉に襲いかかってきた。
だが、ロイドはそれをグングニルで薙ぎ払う。
「通さん……この一歩たりともな!!」
ロイドの怒声とともに、オーディンが再び雷を撃ちおろす。
地に轟くような雷鳴が炸裂し、放たれた雷の奔流が廊下を埋め尽くしていった。
迫る虫の群れは黒く焦げ、ぼたぼたと床に落ちていく。
「今だ、行けッ!!」
ロイドの一喝に背を押されるように、エルクとライナスは振り返らずに走り出した。
廊下の床を蹴る音が響くなか、二人はマリアたちの部屋へと駆けていく。
「頼む……!無事でいてくれ……!」
そう祈りながら部屋の扉を視界に捉えたとき、倒れている人影を見つけたのだ。
「あれって……!」
ライナスが駆け寄ると、それは先ほど護衛を交代したばかりの教会員だったのだ。
壁にもたれるようにして崩れ、肩口からは血が滲んでいた。
「す、すみません……急に襲われて……!」
その瞬間、マリアたちの部屋の中からドォン!!と、衝撃音が響いた。
鈍い衝突音や金属弾ける音、そして―――楽しげな笑い声も聞こえてくる。
「行くぞ、ライナス!」
「あぁ!」
二人が部屋の中に飛び込むと、そこには無数の黒い羽根が舞い散らかっていた。
家具は破壊され、壁布は切り裂かれている。
部屋の端にはフィールとベルの姿があり、その背後に隠すようにしてマリアとイーネがいた。
その四人の視線は、対角上のある人物を見据えている。
その人物は―――
「……マモン……!!」
エルクの声に、男は口角を上げたような声を漏らした。




