第十章〜天使と悪魔〜③
エルクたちがマリアとイーネの護衛について数日後の朝。
まだ朝の光が斜めに差し込む時間帯に、エルクは礼拝堂にいた。
白い光が大理石の床を淡く照らし、爽やかな空気が鼻を抜ける。
その扉近くに立っていたエルクは、ただ一点を見つめていた。
視線の先にいるのは―――マリアだ。
静かに膝をつき、目を閉じて祈りを捧げる彼女の姿は、どこか透き通るような静謐さを帯びている。
(ここにいれば―――きっと大丈夫だ)
そんな確信を持つものの、油断はできない。
『護衛』という任務は、対象者の命を守ることが仕事なのだから。
(今日の予定は、このあと食堂で飯だろ?で、清掃に奉仕活動、それから―――)
エルクがマリアの予定を確認していると、背後から足音が静かに近づいてきた。
振り返るとそこに、バールの姿がある。
「エルク、すまないがすぐに来てくれ。全員を集めて『会議室』に。……話がある」
その声色は、いつも以上に慎重なものだった。
何かを悟らせる気配もあることから、エルクは真剣な眼差しで頷く。
「……わかった」
エルクは短く答え、マリアのほうを振り返る。
すると、彼女はまだ祈りの途中だったにもかかわらず、エルクの気配に気づいてこちらを見ていたのだ。
そして、微笑を浮かべて小さく頷いている。
その後、エルクとマリアは礼拝堂をあとにし、フィール、ライナス、ベル、イーネと合流。
一同は、中央回廊の奥にある会議室の扉の前に立ち、深く息を吸った。
「よし、行くぞ」
エルクが重厚な木製の扉をノックすると、バールの低い声が中から返る。
「入れ」
キィ……と、微かに軋んだ音とともに開かれた扉の向こうには、地図と書類が並べられた机と、椅子に腰かけて待つバールの姿がある。
「……クロスのことで話がある。全員座ってくれ」
一同が順番に腰を下ろすとバールは一度息を吐き、そして、静かに話し始めた。
「クロスが口を開いた。崇拝教の拠点と構成に関わる話を聞き出せた」
その言葉に、部屋の空気が緊張に包まれる。
「まず、ライナスが見たと言っていた赤髪の男。そいつは大罪の悪魔『暴食のベルゼブブ』だった」
バールの低い声が部屋に響くなか、新たな悪魔の名に一同は息を呑む。
そして、彼は続けて―――
「そのベルゼブブを中心に動いているのが、例のペストマスク―――『強欲のマモン』、そして、お前たちが倒した『嫉妬のレヴィアタン』。崇拝教は、この三柱を中心に組織を維持しているらしい」
と、語った。
その内容をエルクたちは無言で聞き入るが、バールはふと口を止め、もうひとつの姿を告げた。
「そしてもうひとり。根城に居座っている『少年』がいるらしい。クロスはそいつを見てこう言った―――『エルクにそっくりだった』と」
「……え?」
エルクが小さく零したと同時に、ライナスがバールを見据える。
そして……声を微かに震わせながら―――
「それ……俺の身体じゃ……」
と、静まり返る会議室にぽつりと呟いたのだ。
その言葉に、空気が凍りつく。
「クロスの証言と照らし合わせれば、可能性は限りなく高いだろう。少年の姿をしているが、その動きや態度は肉体に合わぬ異様なものだったそうだ。―――つまり、そこに入っているのはおそらく……」
「『憤怒のサタン』……」
フィールが答えると、ライナスは無意識に自分の胸を押さえた。
今そこにある『自分』という存在が、どこか薄れたような気がしたのだ。
そんななか、エルクがふいに顔を上げ、拳を握った。
「じゃあ、希望はあるってことだな。そいつを捕まえれば、ライナスの身体を取り戻せる」
その声には、迷いも怯えもなかった。
決意の光を宿した眼差しで、まっすぐにバールを見る。
「場所は?その根城に行かないと」
するとバールは無言で地図を広げ始めた。
その地図はアストリア全土の地図で、彼は南東部の一か所を指でさしたのだ。
「この山脈地帯だ。『グリース山脈』と呼ばれるところで、東の荒地と南の気候変動がぶつかる未踏の地。巨大な大穴があり、崇拝教はそこに潜んでいるとクロスは語った」
そこまで聞くとエルクは立ち上がり、勢いよく声を上げた。
「なら、すぐに出発だ。準備をして―――」
「落ち着け、エルク」
バールの声に、エルクの言葉は途中で途切れた。
「ここは枢機卿四人とエクソシストの主戦部隊が出る。戦力さも地形の危険度も、これまでとは比にならん」
「でも―――!」
思わず食い下がろうとしたエルクだったが、彼の視界の端にマリアの姿が映る。
その瞬間、自身に課せられた任務―――『護衛』の重みがエルクの胸にずしりとのしかかったのだ。
(―――俺がここを離れるわけにはいかない……)
マリアは何も言わず、ただ静かにエルクを見ていた。
「……わかった。俺たちはここでマリアとイーネを守る」
その言葉に、バールはわずかに口角を上げて頷く。
そして翌朝、枢機卿四人を含む教会の主力部隊は、エクソシストたちと合流し、グリース山脈へと静かに旅立っていったのだった。




