第八章〜惨劇の都〜⑤
その声と同時に光は強まり、マモンとクロスの影を圧倒する。
そして、バレンシアの声に反応してベルがすぐさま手を掲げた。
「ウンディーネ……!お願い!!」
部屋中の空気に含まれる水分が集まり、クロスの身体に絡みつくように襲いかかる。
その水は高圧で螺旋を描きながら、彼の身体を縛るように巻きついていったのだ。
ウリエルの力により、マモンの視界も一瞬怯む。
「ぐうっ……!」
「今だ!ロキ!!」
「了解」
ロキが指を宙に舞わすと同時に、空間が大きくぐにゃりと歪んだ。
重力が、マモンの身体を見えない鎖で押しつぶすように拘束していく。
「なっ……!が、ふっ……!」
強まったロキの重力をまともにくらったマモンは、動きが目に見えて鈍った。
その隙をエルクは見逃さない。
「喰らえ―――ッ!!」
エルクは大剣レーヴァティンを肩に構え、一直線に駆け抜ける。
そして、大きく振りかぶった刃が風を裂き、マモンの腹を深々と貫いた。
黒い羽根が舞い散り、マモンの身体はずるりと崩れ落ちていく。
「……っふ、はは……まさかこんなにも簡単に……」
マモンの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
だがその目には光がない。
一方でクロスもまた、ベルによるウンディーネの力で四肢を縛り上げられていた。
水のせいで全身が濡れ、呼吸が荒くなっている。
「知ってるか?水と雷は、意外と相性がいいんだぜ?」
ライナスは、そう言うと雷を纏ったミョルニルを高く掲げた。
すると、大気が唸りをあげ、稲光がその頭上に収束し始める。
「喰らえぇッ!!」
ミョルニルが振り下ろされた瞬間、落雷のような轟音が響き、クロスの身体を直撃した。
電撃が水と共鳴して爆ぜ、紫電が部屋中を白く染める。
「……っ……ぐ、あああ……」
クロスの声はかすれ、そして水しぶきを跳ねて彼の身体は床に崩れ落ちた。
嵐が去ったあとのような静けさが、部屋に満ちていく。
そんななか、誰もが息をひそめ、次の瞬間を待つかのように沈黙した。
「終わった……のか…?」
エルクがぽつりと呟いた。
大剣を握る手にはまだ熱が残り、傷ついた身体からは蒸気のように汗が立ちのぼっている。
「クロスの身柄をどうするか考えないと―――」
フィールが呟いたその瞬間―――
「……ッあああああッ!!!」
突如、背後から悲鳴が響いたのだ。
全員が反射的に振り向いた先には、バレンシアの姿がある。
だが、その姿は目を疑うような惨状だった。
彼女の服には血が滲み、腹からグールの腕が突き出ていたのだ。
その腕は肉を裂き、骨を砕いて内側から彼女の身体を貫通している。
「バレンシアさん!!」
ベルが叫びながら駆け寄るが、グールはなおも腕を突き刺したまま、じりじりと引き裂くように身体を捻っていた。
耳障りな肉の裂ける音とともに血が噴き出し、バレンシアの口からはごぼっと赤黒い液体が溢れ出る。
「ぐっ……あ……」
その声は、まるで遠くで誰かが囁くような細さだった。
瞳は焦点を失い、膝が崩れてグールの腕にぶら下がるように身体が折れる。
「やめろおおおおおっ!!」
ライナスがミョルニルを振りぬき、雷光とともにグールの頭部を吹き飛ばす。
エルクはその瞬発力で素早く駆け寄ると、バレンシアの倒れゆく身体を両腕で支えた。
血に濡れた彼女の服が重みを増し、温かいはずのその体温は、すでに冷たさを帯びている。
「バレンシアさん!……しっかり……!」
その言葉に応えるように、彼女の唇がわずかに震える。
赤黒い血に濡れたままのその口が、かすかに動く。
「……あ、あなたたちと話せて……よかったわ……」
バレンシアの瞳がゆるやかに揺れ、空を見上げるように遠くを見つめる。
そして、胸元のロザリオがかすかに光を放ったのだ。
―――まるで、彼女の命とリンクしていたかのように……
「お願い……まだ話してほしいことが……!」
ベルが涙をこらえながらバレンシアの手を握る。
だが、その指はすでに力を失っていた。
バレンシアはほんの少しだけ微笑み、最後の息を吐きながらそのまま動かなくなってしまったのだ。
「……ッ」
エルクは歯を食いしばり、顔を伏せた。
「―――こんな形で終わらせるために、力を授かったわけじゃないのに……」
フィールがそう呟き、静かに膝をつくとバレンシアの目元をそっと閉じた。
まだ戦いの余韻が残る部屋には、焦げた空気や血の臭いが充満している。
だが、そのすべてがバレンシアの死の前では色を失ってしまっているようだった。
ただ静かに、ただ重く、時間だけが過ぎていく。
「絶対に……無駄にしない。あなたの命も、願いも―――すべて俺たちが……継ぐ」
エルクはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、涙の代わりに宿った意志の光がある。
刹那―――
ゴロォォンーーーッ……!!
窓の外、東の空にひときわ鋭い閃光が走り、すぐさま天地を揺るがすような雷鳴が轟いた。
雷の音は大地に響き渡り、家全体がわずかに震える。
「……雷?」
ベルが小さく呟き、顔を上げた。
皆が一斉に窓に目をやると、そこには黒雲が重く垂れ込め、雷光が何かの予兆のように明滅を繰り返している。
「バレンシアさんの最期に……何かが応えたのかもしれないな」
ヴァンがぼそりと呟くものの、エルクの瞳は違う色を灯していた。
「いや、違う。あれは―――これから始まる何かの……『警鐘』だ」
彼の手は、再びレーヴァティンの柄を握っている。
バレンシアの死は終わりでなく―――序章にすぎない。




