第五章 〜東の果ての攻防戦〜⑤
教会の分署にある応接室に入った五人は、丸い机を囲むようにして座った。
そして、少しの時間を置いてリン=ユナも混ざり、彼女はエルクたちが無事に戻ったことに安堵の息を漏らす。
バールは机に肘をつき、少しだけ表情を硬くして静かに切り出した。
「―――まずは、よく無事で戻った。だが、これで終わりじゃないことはわかってるよな?」
その言葉に、部屋の空気がわずかに引き締まる。
「エルク、フィール、ライナス、ヴァン、…そしてリン=ユナ。お前たちは今回の件で『崇拝教』と深く関わってしまった。それはお前たちが望んだことじゃないかもしれないがな」
エルクの瞳がわずかに揺れる。
同じくしてフィールも息を呑み、ライナスは黙って視線を落とした。
そんな彼らを見ながらも、バールは続ける。
「そんなお前たちに知っておいてもらいたいことがある―――いや、知っておかなければならない」
重く、そして低い声音に彼らは視線を上げた。
「エルクたちは知ってる部分も多いだろうが、もう一度最初から説明するぞ」
そう言うとバールは、アストリアの歴史や大罪の悪魔、7人の話を始めた。
それらの話はリンも知っており、頷く。
だが―――
「これには続きがある」
「続き?」
首を傾げるフィールに、バールはこう続けた。
「天使たちによって悪魔たちは封印された。ところがだ、一体だけ完全な封印を免れた悪魔がいたんだ」
封印を逃れた悪魔は、全盛の力をもって地上を蹂躙―――するはずだった。
しかし、天使たちの最後の力によって、逃げ延びたその悪魔は本来の力を消失。
存在だけをかろうじて残し、この世界のどこかにさまよい続けているという。
「その後、悪魔たちを封じた天使たちは地上に降り立ち、選ばれし者たちと契約。そしてその力と意志を継承してきたのだ」
天使たちと契約をしたサマナーたちは、封印の維持において極めて重要な存在とされてきた。
だが―――
「その均衡は五年前に崩壊した。『節制のカシエル』と契約したサマナーが突如として消息を絶ったのだ。それもただの消息ではなく―――」
「誰かの仕業……とか…?」
エルクが問うと、バールは頷いた。
「何者かによって殺されていた」
「―――っ」
「そして、その日を境にアストリア各地で不可解な怪事件や異常気象が起き始めた。それは―――封印が少しずつ緩んでいる証拠だろう」
「!!」
バールの声が一層低くなり、重々しいその言葉に部屋の空気がまたひとつ沈む。
「じゃあ…今もどこかで封印が……」
「そうだ。徐々に…崩れ始めている」
誰もが言葉を失うなか、ライナスはじっと黙り込んでいた。
自身が巻き込まれた過去と、この話が無関係ではないことを直感していたのだ。
「今回、リンが襲われたのは『美徳の天使』を狙った動きだろう」
「『美徳の天使』?」
「七つの大罪に対抗する七つの美徳だ。神はその均衡の象徴として七人の天使に七つの美徳を与えた。それが今もサマナーとの契約によって地上に存在している。だが、その数が崩れれば―――」
―――悪魔が優勢になる。
その答えに、誰もが辿り着く。
ヴァンは無言で天井を見つめ、ライナスは拳を握りしめていた。
フィールも唇を引き結ぶなか、エルクだけが静かにバールを見据える。
「リンが契約しているのは『勤勉のガブリエル』。美徳の天使の一柱だ。だから奴らは彼女を狙ったのだろう」
この言葉に、エルクたちはある可能性を考えた。
それは美徳の天使と契約したサマナーたちが、次の標的になり得ること。
そして、その均衡を崩させないためにできることは何かということだ。
「それと…だな、もう一つ重要なことがある」
バールの声が応接室に響く。
そして続けて―――
「エルク、フィール、ライナス…お前たちの村に封じられていた悪魔―――それは『サタン』だった可能性が高い」
「……!」
バールの言う『憤怒のサタン』は、七つの大罪のなかでももっとも強力な存在だ。
天候鎮めや信仰の象徴としての祠がサタンを封じるための『枷』であった事実に、三人は驚きを隠せない。
言葉を失う三人に、バールはライナスに視線を送った。
「そしてライナス。今のお前の姿はサタンの本来の姿を入れ替わった可能性がある」
その言葉に、ライナスの思考は停止する。
しかし、固く握られた拳は震えており、感情は溢れ出していた。
「あいつらは、なぜリンを直接殺さなかったんですか?僕たちに『連れてこい』なんて言わなくても、あの強さなら造作もないはず…」
フィールの問いは、もっともなことだった。
戦闘系ではないリンを、三人がかりで襲えば確実に仕留めることはできただろう。
「それには理由がある。大罪の悪魔たちは美徳の天使に対して直接手を下すことはできない。天使の持つ強大な抑制力が、それを許さないんだ」
「じゃあどうやって……?」
純粋な質問に、バールは一瞬言葉を詰まらせた。
すぐに答えることができなかったのだ。
バールはふと視線を落とし、拳を握る。
その姿はただ強き戦士ではなく、「言うべきか隠すべきか」を迷う大人のそれだった。
やがて、苦くかすれるような声がバールから落ちる。
「……人を使うんだ」
そのひとことが、空気を変えた。
「やつらは、自分では手を出せない。だから人間の悪意を焚きつけ、唆し、利用するんだ」
エルクの瞳が揺れた。
それはただ深く沈む感情で、背筋を冷たくなぞる悪寒とともにエルクの中に沈み込んでいく。
「人を使って…人を殺させるのか…」
そうつぶやいたのは、フィールだった。
信じがたい現実に言葉は震え、声にすら力がこもっていない。
「そんなの…そんなのあっていいわけがないだろ……ッ!」
珍しく声を荒げたヴァンは、その幼さの残る目に怒りの色を滲ませる。
そんな三人を、バールは黙って見つめていた。
彼らが未成年であるからこそ、「こんな事実は背負わせたくない」と、心のどこかで思っていたのだ。
だが―――
(もうお前たちは…子どもじゃあない。命を懸けて誰かを守ろうとし、闇の中に身を投じてきた)
目を伏せたバールは、苦い思いを押し込めるように短く息を吐く。
そして―――
「だからこそ伝える。知る覚悟があるなら、背負う覚悟もあるはずだ」
その声に、誰も言葉を返さない。
そんななか、エルクがゆっくりと前を向いた。
拳を握り、ただ真っ直ぐにバールを見据えて静かに―――しかし確かな意志を込めて言った。
「やってやるよ。俺が…俺たちが崇拝教をぶっ潰してやる…!」
同調するようにフィールもライナスもヴァンも頷く。
それぞれの目には決意の色が灯っており、それをバールは無言で見つめていた。
そしてゆっくりと目を伏せ、今度はリンに視線を向ける。
「君を巻き込んでしまって本当にすまない。命を狙われるような役回りをさせてしまって、申し訳ないと思ってる」
その謝罪にリンは驚き、目を見開いたがすぐに首を横に振った。
「いえっ…!私、国のためになるなら…がんばりますっ…!」
静まり返った部屋で、リンの勇気が真っ直ぐに響く。
「…中央教会で君を保護しよう。これからは、我々の目が届くところで守る」
バールの言葉に、リンは頷いた。
その表情に、まだ不安の色は拭い切れていないものの覚悟があったのだった。
かくしてその夜、一行は分署で一晩を過ごすことに。
騒がしかった数日の出来事がようやくひと段落し、久しぶりに訪れた穏やかな空気をそれぞれが噛みしめる。
しかし―――
その静けさをよそに、ある場所で闇がうごめきだそうとしていた。
「また失敗したの?」
険しい山脈の奥深くにある巨大な洞窟で、その声は響いた。
岩肌に覆われた空間の中央―――ぽっかりと穿たれた大穴がまるで底なしの奈落のように開いている。
その穴の奥で響いた声の主は年齢不詳の男だ。
軽薄な笑みを浮かべ、芝居がかった所作で肩をすくめている。
彼の目の前には三人の男女。
それはクロスと女、そしてペストマスクの男がいる。
「仕方ないじゃん、枢機卿が出てきたんだよ?」
女は不満げに口を尖らせ、ぶすっとした声で続けた。
「まだ『完全体』じゃない私たちじゃ、どうしようもなかったんだからさ」
その言葉に対し、ペストマスクの男が静かに呟く。
「…一刻も早く『対応する天使』を殺さないとね」
冷たく反響する言葉に、年齢不詳の男がゆっくりと歩み寄る。
「やれやれ、せっかちだなぁ。でも、焦りは禁物だよ?僕たちの計画は、まだ始まったばかりなんだから」
芝居がかった身振りで、今度はクロスに視線を向ける。
しかし、クロスは何も言わない。
ただ静かに、男を見返していた。
「ほら、僕もクロスくんも、力は十分に仕えるようになってきた。…ね?」
その言葉に、クロスは無言のままだ。
だが、その手のひらはわずかに震えている。
「…そろそろ『一番の獲物』も動き出すころだ」
男はくるりと踵を返し、洞窟の奥に立つもう一人の人物に視線を送った。
それは、エルクに酷似した顔立ちの少年。
彼はニヤニヤと口角をつり上げ、何も言わずにただ頷いた。
「アズラエルの居場所―――次は北かな?」
男の言葉に、誰も否とは言わない。
不気味な沈黙のなか、男とクロス、女、ペストマスクの男、そしてエルクと酷似した少年は出発したのだった。




