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第一章 〜人喰い商都〜①

夢をみていた。

また、あの日の―――悪夢を。


雷鳴、崩れる地、歪む笑み。


「……ライナス」


目を開けた瞬間、揺れる汽車の天井が目に入った。

息は荒く、額には冷や汗をかいていた。

膝の上で拳を握りしめ、そのままエルクは小さく息を吐いた。


「……また…か」


窓の外は灰色の雲に覆われ、時おり雨が叩きつけていた。

その奥には、巨大な湖と運河が交差する街の影が見える。


「エルク、ラインバーグに着くよ。準備して」


そう声をかけたのは、向かいに座るのは幼馴染のフィール=フォールだ。

冷静そうに見えるその瞳には、微かに疲れの色が滲んでいた。


「……もう、着くのか」


エルクは浅く息を吐く。

夢の残滓がまだ胸に残るなか、ゆっくりと体を起こした。

あの夜の音と匂いは、3年たっても消えることはない。


エルクはそれを振り払うように首を振った。

スピードを落とし始める汽車からは、ひときわ大きな湖が見える。

その周囲には石造りの建物が建ち並び、運河が走っていた。

古い灯台のようなものも見え、旅人の目を楽しませる美しい街並み―――のはずだった。


「…静かだな。まるで人が住んでいないみたいだ」

「昔はすごく賑わっていたって記録にはあったんだけどね」


フィールはそう言いながら、窓越しに街を眺めた。

彼の眼差しには、微かに哀しみの色が混じっている。


湖畔のほとりには、かつて観光客を乗せていたであろう小舟がいくつかあった。

ロープに繋がれたまま、誰にも使われずに浮かんでいる。


「水の商都と呼ばれていたはずなのに、今はもう別物だな」


汽車はブレーキ音と共にホームに滑り込んでいった。

雨のしずくが窓を流れ、外の景色をにじませる。

ホームの人影はまばらで、活気のあった観光地の面影はどこにもない。


「……静かだね」


フィールがつぶやくと、エルクは頷きながら駅の外に視線を向けた。

かつては多くの旅人が集ったこの街は、水の音しか響いていない。


「ここが『事件の街』か」


駅前には小さな噴水があったが、水は濁り苔に覆われていた。

整備されていたであろう花壇は、どこか寂れた印象がある。


「とりあえず宿を探そうか。聞き込みはそれからだ」


フィールがそう言って地図を開こうとした。

そのときだった。


「おや?旅の方かね?」


そう声をかけてきたのは、小さな喫茶店の店主らしき老人だ。

灰色の髭に眼鏡をかけ、古びたエプロンを身に着けている。


「観光かい?珍しいねぇ……」

「いえ、観光じゃありません。教会の者です。少しこの街で調査を」

「あぁ…そうかい。教会の人……」


その老人は、どこか安心したように表情を緩めた。


「何かありましたか?少し様子が……」


フィールが問いかけると、老人は辺りを見回した。

そして、誰にも聞かれないようにか、声を潜めてこう話し始めたのだ。


「いや、こんなことを教会の人に言っても……」


そう言い淀む老人は、踵を返そうとした。

しかしそれを、フィールが止める。


「お話だけでも聞かせてください。もしかすると、お役に立てるかもしれませんし」

「……」


踵を返そうとした老人は、足をピタリと止めた。

そして顔を上げ、エルクとフィールを交互に見る。


「……おかしなことが起こり始めたんだ。最初は…市長の奥さんと娘さんだった」


老人は、街全体を眺めるようにして語り始めた。


「ある晩、急に姿を消してな…みなで探し回ったんだ」


街全体で夜通し探し続けたものの、見つかったときには二人の息はなかったという老人。

その後、観光客まで行方不明になり、白骨の状態で見つかるという事件が相次ぐ。


「警備隊や教会の調査は?」


フィールが問うと、老人は肩をすくめた。


「来たさ。だがな、何も掴めなかったらしい。結局何も…な」

「じゃあ観光客は減りますよね?そのあとは?」

「街の住民たちが行方不明になっていった。老人から順番に…まるで何かに喰われるように消えていったんだ」


その言葉に、空気が重くなったのを感じた。

街全体に、目に見えない何かが張り付いているようだ。


「市長は?奥さんも娘さんも死んだ今、引きこもってるとか?」


エルクが問うと、老人は笑顔を見せた。


「いやいや、彼は街のために尽力してくれてますよ」

「へぇー……」

「よかったら市長会われますか?おそらく近くで安全確認をしていると思うので……」

「おじちゃん案内してくれ」


エルクの言い方に怪訝な顔を見せる老人だったが、彼はそのまま二人を市長のもとへ案内した。

老人の言う通り、市長は各家々を尋ね歩き、安否の確認を取っていたのだ。


「みなさん、無事ですか?しっかり鍵をかけてくださいね」

「あぁ、いつも気にかけてくれてありがとう、市長」

「いえ、私が不甲斐ないばかりに…申し訳ありません」


そんな様子をエルクとフィールは少し遠巻きに見ていた。

妻と娘を失ったうえ、街がこんなことになっているにもかかわらず、住民のために尽くす市長の姿はまさに鏡そのもの。

しかし、エルクはどこか違和感を感じていた。


「おや?旅のお方…ですか?」


二人の姿に気がついた市長は、申し訳なさそうな笑顔を見せながら近づいてきた。


「俺はエルク、こっちはフィール。教会から来た」

「教会…?調査…とかですか?」

「そうだ。話を聞かせてくれないか?」


無骨にもストレートに聞くエルクに、怪訝な顔を見せた市長。

しかし、市長である手前、邪険に扱うことなどできない。


「…もちろんです。どうぞ、我が家でお話を」


市長の案内で歩き始めた二人は、街の様子を見ていた。

窓越しに見える人の影が多く、外に出ることに恐怖感を抱いているようだ。


「申し訳ありませんね、こんな状況で…」


そう言う市長と共に雨の中を歩いていくと、市街地の端に白い石造りの家が見えてきた。

ほかの建物と比べてやや大きく、かつての繁栄を思わせる佇まいを残している。


「どうぞ」


そう言われ、二人は足を踏みいれた。

なかは温かい灯りと香ばしいハーブの香りが出迎えてくれ、壁には家族写真がある。

その中央には幼い女の子がいて、優しく微笑んでいる女性が側にいた。


「…奥さまとお嬢さん…ですか?」

「えぇ、最愛の…家族でした」


笑顔を見せてそういう市長だったが、その笑みはどこか影があった。

そのとき、エルクはふと、家の奥から漂う微かな鉄のにおいに気づく。

血のような、錆びた金属のようなにおいに、目を細めた。

そしてもう一つ、誰かに『見られている』ような感覚が背筋を這う。


(なんだ……この感じ…)


居心地の悪さが胸の奥で膨らむなか、市長は奥の部屋に向けて手を差し出した。


「どうぞ、こちらへ。お茶を淹れますので」


そう言われ、二人は部屋のソファーに腰を下ろした。


「どうしたの?エルク。じっと一点を見つめてるけど…」


フィールの言葉に、エルクは視線を外すことなく答える。


「…ちょっとな」

「?」


そのとき、市長がお茶を持って部屋に戻ってきた。


「お待たせいたしました。どうぞ」

「ありがとうございます」


お茶をテーブルに置いた市長は、二人の向かいに腰を下ろす。


「…改めまして、私はこの街ラインバーグの市長をしておりますトム=レイヴンです。」

「俺はエルク=フリードマン。」

「僕はフィール=フォールです。早速ですが、お話を聞かせてください」


フィールがそう言うと、市長のトムは目を伏せて手を結んだ。


「……さて、何からお話すればよいやら…」


トムはしばらくの時間を無言で過ごし、決意したかのように口を開いた。


「この街に異変が起き始めたのは、一年ほど前からです。最初に失われたのは……私の家族でした」


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