第四章 〜影に蠢く者達〜④
宿舎のベッドに腰を下ろした三人は、部屋で揺れるろうそくの灯りを見つめていた。
誰一人として気の抜けた様子はなく、まだ重々しい空気が漂っている。
そんななかエルクが口を開いた。
「まさか枢機卿の連中まで出てくる話になるとはな…」
「敵の規模が想像以上だったね…」
呻くようにフィールが応じると、エルクは自身の腕を前に出し、拳を握った。
「けどよ、ライナスの身体を取り戻す道筋が見えたんだ。それだけでもでかい」
その言葉に、ライナスが目を細める。
「本気で…そう思ってくれるのか…?」
毛むくじゃらの手を出し、自身の姿を強調するように見せる。
しかし、そんな行動にエルクが動じるはずもなく…
「お前が信じろよ、自分の兄貴をな」
憎まれ口を叩きながらも優しい声に、ライナスは視線を落とす。
そんな彼にふっと息を漏らすものの、すぐに鋭い眼差しに変わった。
「…とはいえ、崇拝教がどこにいるのかはわからない。まずは情報収集ってとこだな」
三人は目を合わせ、頷く。
そのとき、ライナスが立ち上がった。
「なぁ、ちょっと外の空気に当たってくる。こんな姿だし、夜じゃねぇと出歩けねぇし」
「気をつけろよ」
「おぅ」
ライナスは自身の姿を隠すため、慎重にコートを羽織った。
フードを深くかぶり、袖から腕が出ないように調整して部屋を出た数分後―――
宿舎の外からけたたましい喧騒が響く。
「―――っ!」
エルクとフィールは顔を見合わせ、即座に立ち上がった。
「まさか…!」
二人は部屋を飛び出し、夜の闇を駆ける。
そして、喧騒の音がした教会裏の路地へと駆けこむと、そこには―――
「ライナス!!」
巨体のライナスが黒ずくめの男に地面へとねじ伏せられていたのだ。
男は無表情。
だがその力は異様なほどに強く、まるでライナスの体を『知っている』かのように急所を的確に抑え込んでいた。
「てめぇ、誰だっ!」
エルクが大声で叫ぶも、男は答えない。
それどころか更に力を強め、ライナスの体に圧をくわえる。
「ぐっ…が、がはっ……!」
ライナスの呻き声に、エルクの血の気が引く。
「フィール、あいつ…ただ者じゃねぇ……!」
「そんなのわかってるよっ」
フィールは風を集めつつも、エルクの言う通り相手のただならぬ気配に動けずにいた。
そのとき――――――
「―――動くな」
路地裏に響く低い声。
まるで重い沈黙を破るかのように、影の中から聞こえた。
その瞬間、エルクとフィールの背後にいつの間にか男と女が立っていたのだ。
気配すらなかったその登場に、二人は息を呑む。
「…弟くん、いただいていくね」
柔らかい女の声に、エルクの背筋が凍る。
そして、女の言葉と同時にライナスを押さえつけていた黒ずくめの男の手元から、じわじわと闇が広がり始めた。
まるで地面から湧き上がるように漆黒の影が渦を巻き、ライナスの体を包み込んでいく。
「くっ…!ロキッ!!来いッ!!」
エルクは、ライナスを奪われまいとすかさず叫んだ。
しかし―――応答がない。
まるでこちらの呼びかけを遮断するかのように、空間が閉じていたのだ。
「なっ…ロキッ!!…ロキ!?」
一方、ライナスは呻き声を上げながらも身体を起こそうと必死に抵抗していた。
闇に呑まれまいと、力の限り抵抗する。
だが、男の掌がゆっくりと上がり、指先がひとつ動いただけでライナスの全身は闇の中に引きずり込まれていった。
「ライナス!!」
エルクが手を伸ばす間もなく、闇は波紋のように閉じてしまった。
そして、そこにあったハズの巨体は―――消えていた。
「―――ちくしょうっ!!」
怒りに拳を打ち下ろしたエルクの耳に、どこからともなく声が響く。
「弟くんを返してほしければ―――『ラムダル』においで」
その声の主は、女だった。
辺りを見回すも、姿は見えない。
ただ、その言葉だけが夜の冷たい風に乗ってやってきたようだ。
「そこで待ってるよ」
そう言い残して、声は途切れた。
「ラムダルって…まさか『東のスラム』の…?」
ラムダルは、アストリアの闇の最深部だ。
治安が悪く、普通の人は近寄らない。
だが―――選択肢はなかった。
「…行くぞ」
すぐに教会へと戻ったエルクとフィールは、ライナスがさらわれた一部始終をロイドとバールに伝えた。
「ラムダルだと…!?あそこはお前たちが行くには危険すぎる…!」
バールの声は厳しかった。
それに同調するようにロイドも首を縦に振る。
「今は待て。こちらで対策を―――」
だが、その言葉は聞き届けられる前にエルクが静かに言い放つ。
「これは、俺と弟の問題だ。誰が何と言おうと…行く」
フィールもまた、エルクの隣で頷く。
「僕も行きます。ライナスは僕の大切な友達でもあるので」
そう言うと二人は踵を返し、教会をあとにした。
その足で向かったのは、アストリア東部に繋がる寝台汽車の駅だ。
夜のプラットフォームに、汽笛が長く…そして低く鳴り響く。
二人は無言で列車に乗り込み、再び闇の中に入っていった。
ライナスを―――取り返すために。
そして、扉が閉まると寝台汽車はガタン、と静かに走り出す。
エルクとフィールは空いていたコンパートメントの一室に腰を下ろす。
「ふぅ…ほんとに急な展開過ぎるよ…」
フィールがそうため息をついたそのとき、駅のプラットフォームを駆ける少年の姿が目に入った。
その少年はエルクとフィールに向かって何かを叫んでいる。
「おい待て!!俺も行く!!」
「は…!?ヴァン!?」
その声に、二人が同時に立ち上がった。
ヴァンは、走り出した汽車に並走するようにプラットフォームを全力で駆けていく。
コートの裾をはためかせ、風を切って進む足取りはまさに無謀の一歩手前。
「無理だって!もう出てる!―――ヴァン!
「うるせぇ!行くってきめてんだよ!!」
金属の手すりがきらりと光り、汽車の乗り口―――最後尾の車両へと差し掛かったヴァンはわずかに浮いた鉄のステップに飛び乗った。
一瞬身体がよろけるもののすぐに手すりを掴み、ぐっと引き上げて自身を車内へと押し込む。
「うぉっ…!あっぶね……!」
荒い息をつきながらも不敵に笑うヴァン。
エルクとフィールがヴァンのもとへ駆けつける。
「バカじゃねぇのかお前!?」
「ちょっ…エルク落ち着いて!」
「落ち着いてられるか!転落してたらどーするんだ!」
呆れたように頭をかかえるエルクに、ヴァンはにやりと笑ってみせる。
「はっ…!でも乗れたじゃねーか。それで十分だろ?」
肩で息をするヴァンにフィールが手を差し伸べる。
「ちゃんと駅から乗ればよかったのに…」
「お前らが速すぎるのが悪いんだろ?走らされた俺の足に謝れよ」
「どんな理屈…!」
エルクはため息を吐きながらも、ヴァンの方をぽんと叩いた。
その手にはほんのわずかに安堵の力がこもっている。
「で、まさかとは思うけど―――ラムダルまでついて来る気か?」
「当然だろ?街で見張りしてたらお前らが変な奴らに襲われたのが見えてな。何があったのか気になって…追ってきた」
「そうか…」
エルクは少し迷ったが、車内で落ち着いたところでこれまでの事情をすべて話すことにした。
ライナスが連れ去られたことや謎の集団の影、そして二人が向かう先が『ラムダル』であることも―――。
話を聞き終えたヴァンは、真剣な顔つきになる。
「だったら…なおさら俺もいく。放っとけるわけないだろ?」
その言葉に、エルクは窓の外に目を向けた。
「ラムダルまでは遠い。おそらく…明け方に到着する。すぐに戦えるように今は少しでも体力を温存しろ」
「わーってるよ」
三人は静かに座席に身を沈め、暗い夜を進む汽車の中でそれぞれの思いを胸に眠りについた。
窓の外を流れる風景は黒一色。
そんななか、車輪の響きだけが夜を刻んでいったのだった。




