第三章 〜再会の森〜⑤
その言葉に、エルクは思わず目を見開いた。
「まさか……」
胸に走るざらついた感覚。
それは、かつて聞いた声の奥にある『何か』が呼び起された瞬間だった。
「兄貴……?」
今度はハッキリと聞こえた怪物の声。
凍りつく空気に、フィールも目を見開いていた。
ヴァンの手の中でリボルバーの弾倉がカラリ…と小さく音をたてたとき、エルクが一歩、無意識にあとずさる。
「…話を聞かせろ」
その言葉は、剣を振るうよりも重かった。
その後、怪物を取り囲んでいた稲光がふっと収まり、その巨体を震わせる。
そして…低く、確かな言葉で怪物はこう言ったのだ。
「俺は…ライナスだ」
「―――っ!」
その名を聞いた瞬間、胸の奥にしまい込んでいた感情の蓋がきしむような音をたてた。
思い出すのはあの夜―――村を襲った大洪水の日だ。
家々が流され、何もかもに絶望したあの惨劇の中心に立っていた弟の姿が鮮明に思い出される。
「ふざけるな……っ!俺は……信じない…!」
エルクの瞳には、怒りと混乱が宿っていた。
「ライナス」だと言われても、その事実を受け止めるにはあまりにも痛みが深すぎたのだ。
「そんなはずはない!お前が…お前がライナスなんて……」
「信じてくれ!!俺は…俺は……っ!」
目の前にいるのは怪物だ。
それも獣のような姿で手足も長い。
エルクの知っている弟とは、似ても似つかないその姿に、認められるはずはなかった。
しかし―――
「エルク、もう少し詳しく話を聞いてみようよ」
フィールにたしなめられ、エルクは吐き出しかけた言葉を飲み込む。
「そこまで言うのなら…何か証拠があるんだろうな」
そう聞くと、怪物―――ライナスと名乗る存在は、ゆっくりと語り始めた。
それは、二人にしか知り得ない、故郷の村での日常の断片だった。
「兄貴が薪割りしてるあいだ、俺がこっそり木の実盗んで食ったことあったよな。…で、結局バレた…母さんに」
「!!」
エルクは歯を噛んだ。
その話は誰にも話していない、小さな懐かしい記憶だ。
「あとは…そうだ、あのときのことを覚えてるか?村の裏山に隠れ家作って…雨の日はそこでよく遊んだよな。木で組んで作ったあの小屋…壁には―――」
「……二人で描いた絵を飾っていた」
エルクがそう言うと、ライナスと名乗る存在は、
「―――へったくそだったけどな、兄貴の絵」
「うるせぇ!」
そう言うと、ライナスと名乗る存在はぽつりぽつりと3年前のことを語り始めた。
「兄貴…あの日、3年前のあのとき…俺は何もしていないんだ。あれは―――」
その言葉に、エルクの瞳が強張る。
「なら、洪水を引き起こしたのは誰だっていうんだよ!!お前以外にいないだろ!?」
「俺じゃない!信じてくれ!俺は…封印の場所にいただけなんだ!あの日あの夜…俺は物音で目を覚ました。それと同時に誰かに口を塞がれて…そのまま封印の祠に連れていかれたんだ…!そしたら封印がいつのまにか…」
「そんなわけあるか!!」
「本当なんだよ!!」
大剣を持つエルクの手が震える。
信じるには事足りる昔話にくわえ、その状況が起こる可能性がゼロではないからだ。
(まさか…本当に…?)
「俺は、あいつらに捕まってただけだった、何もしてない。…気づいたときにはもう嵐が起きてて、村が…」
その瞳に浮かぶ苦悶と後悔が、嘘ではないことを示していた。
「祠を壊したのは、黒いローブの集団だった。何人もいた。でも、奴らの目的が何なのかわからなかった。ただ…アイツらの中で『サタンの復活』と『大罪の悪魔』って言葉が聞こえたんだ」
その名に、エルクとフィールの表情が一瞬固まった。
しかし、ライナスは続ける。
「俺はそのあと怪物になっちまってた。そのあとはただただ逃げたんだ。人に見られるのが怖くて…ここに辿り着いてからは人目を盗んで生きてきた。霧の夜を選んで村の倉庫に忍び込んでは食料を…それだけが生きる術だったんだ」
沈黙のなか、エルクは視線を落としていた。
あの日から憎み続けた相手が、ただ『被害者だった』という現実に、心の置き場が見つからない。
「じゃあ…なんで黙ってたんだ…?どうして言わない…?俺を…あの村を置いて……」
消え入りそうな声に、ライナスは歯をぐっと食いしばる。
「俺だって助けたかった…。でも…俺の姿は怪物だ。誰も信じてくれないだろ…?」
その言葉に、今度はフィールが前に出た。
「ライナス、じゃあ聞くよ。『気がついたらその姿になってた』って言ってたけど、何か覚えてない?些細なことでもいいんだ」
「……」
フィールに言われ、ライナスは地面を見つめた。
「わからない…わからないんだ…」
「……」
「この森に来て、この洞窟を見つけて…何度も考えた。人間に戻る方法はないのかって。―――でも」
ライナスはハッと思い出し、大鎚に視線を移す。
「声が…聞こえたんだ」
「……『声』?」
「『ライナス、その武器を手に取り、我と契約をせよ。されば我が守護神となろうぞ』」
「それって…」
「誰かと契約をしていることは間違いなさそうだな」
エルクたちは、ライナスの側にある大鎚を見つめた。
ライナスがその武器を側に置いてる時点で、契約は結ばれていると考えたのだ。
そこまで話を聞いたとき、ヴァンがリボルバーに手をかけた。
その手をフィールがそっと下ろさせ、首を横に振る。
そのとき、高みの見物をしていたロキが口を開いた。
「やっと真実がわかったのかい?あまりにも時間かかってるから、昼寝しちゃおうかと思ったよ」
ロキの言葉に、エルクは驚いたと同時に彼を睨みつける。
「はぁ!?おまっ…知ってたのか!?」
「もちろん」
「だったら最初に言えよ!!」
「えー?だってエルク、キレてたしー。そんなエルクがおもしろかったしー?」
「ふざけんな……!」
険しい顔をしたまま、エルクは拳を握るが―――そのまま力を抜いた。
「……チッ。明日、こいつを教会に連れて行く。経過観察と…何か答えが得られるかもしれない」
その言葉に、ライナスが反応する。
「それって…」
「人に戻れる可能性が、ゼロじゃないってことだ」
「!!」
ライナスの顔が緩むなか、ヴァンは最後までリボルバーに手をかけていた。
その目はライナスとエルクを行き来している。
「ヴァン、もう大丈夫だ。こいつは―――敵じゃない」
すると、ヴァンはしぶしぶながらに銃をしまう。
こうして彼らは静かに夜を超え、彼らの旅はまた新たな局面を迎えるのだった。




