プロローグ
それはまるで、世界の終わりのような光景だった。
空は怒り狂うようにうねりをあげ、漆黒の雲が頭上を覆いつくしている。
雲からこぼれ落ちる雨は、恨みでもあるかのように勢いを増して落ち、地を叩きつけていたのだ。
そして、ただの水が木々を裂き、建物を破壊したとき雷鳴が咆哮した。
土砂が崩れ、すべてを押し流す音が空気を裂く。
そんな埃と雨が入り交じるなか、エルク=フリードマンは走っていた。
肩で息をしながら、押し寄せる木々や土砂を手でかき分け走っていたのだ。
「母さん…っ!ライナスっ…!」
しかし、誰の返事もない。
そして、誰の声も聞こえない。
耳をつんざく雷の音が、絶望感をかき立てる。
「何かがおかしい…!どうしてこんな天気に‥‥」
そう疑問に思ったとき、彼の目に村の裏手にある祠の姿が映った。
その祠はこの狂気的な雨の中、不気味な光を放っている。
「あれは、村の奥に隠されていた祠…?」
その祠は、天変地異が起こらないように封じられた祠だった。
だから誰も近づくことはしなかったし、奥に隠されていた。
なのに――――
そこには黒衣を纏った集団がいたのだ。
その中心には、彼が探していた弟ライナスの姿がある。
「え……?」
ライナスは恐怖を感じているのか顔を歪め、涙を流している。
なぜ彼がここにいるのか、なぜ彼が涙を流しているのかわからないエルクは、呆然と見ていた。
が、その瞬間、不気味な光の強さが増した。
思わず目を閉じてしまうくらいの強い光に、エルクは思わず自身の腕で目を覆う。
それと同時に、一瞬だけ空気がねじれたような嫌な感覚が身を包んだ。
熱いのか冷たいのかもわからない。
ただ、胸の奥を鋭い爪でかきむしられるような不快な感覚だ。
そんななか、エルクは光の中へ視線を向けた。
そして―――
彼は見てしまった。
先ほどまで顔を歪めていたライナスが、まるで知らない人のように笑っていたのだ。
口元を引きつらせるような笑みに、今度はエルクが恐怖を覚える。
「…ライ……ナス…?」
いつも呼んでるはずの弟の名前を口に出した瞬間、声が震えた。
目の前の存在が、本当に弟なのだろうか。
その問いすら、口にすることが怖い。
しかし、エルクの細い声は、ライナスに届いていた。
その場から動かず、ただうっすらと口元をつり上げ、その目でエルクを見ている。
その直後、再び雷鳴が轟き、地が裂け始めた。
崩れ行く村を、洪水が飲み込んでいく。
人の悲鳴も家の形も、何もかも―――。
「うわぁぁぁあっ……!!あぁぁっ…!」
泥のように重たい決意が、胸の奥に沈む。
それは、怒りでも悲しみでもなかった。
ただ、あの笑みがすべてを決定づけていた。
村を壊したのは―――ライナスだ。
あの封印を解いたのは、ほかならぬ弟だったのだ。
それを見てしまったエルクは、目を背けることができない。
いや、背けてはならないのだ。
ただ、生き残ってしまった自分に課された…『責務』だ。
この日、少年はすべてを失った。
それと同時に、彼は『運命に選ばれた存在』となる。