7
その日クライド・オルコットは、相変わらずルイーズ・ハンプトンに付きまとわれていた。
授業が終わり、さあキャロルと一緒に帰ろうとウキウキしていたところに、ルイーズが突撃してきたのである。
彼女は両手に何やらかわいらしいデザインの包みを持っていた。
嫌な予感がするとクライドは直感的に察知した。
「ねぇ、クライド! これ、私が作ってみたのよ。食べてみてくれない? 感想が欲しいわ」
そう言ってルイーズはその包みを差し出して来た。案の定である。
たぶんクライドがキャロルから差し入れを貰っているのを、どこかで見たのだろう。
「悪いけど、これからキャロルと待ち合わせなんだ。感想は他の人からもらって」
クライドはすげなくそう断ると、サッと立ち上がって教室を出た。
こういう時に、騎士になるための訓練で培われた回避力と脚力が生かされる。
ルイーズの「あっ」という言葉が届くより早く、クライドは教室前の廊下から離れた。
「おーい、クライド」
そんな彼を後ろから呼び掛けながら、駆け寄って来る人物がいた。
この声は幼馴染のチャーリーだ。彼はクライドに追いつくと、並んで歩き出す。
「今のあれはどうなってるの? 彼女が貢ぐなんて、どういう心境の変化?」
「知らないよ。突然持って来られるようになって迷惑している」
ルイーズは貢ぐよりは貢がれたいタイプのはずだ。
彼女に恋心を抱いている数人の男が、こぞって贈り物をしているのを何度か見かけた事がある。
ただまぁ、この辺りはキャロルを前にすると自分もそうなるので、とやかくは言えないが。
「ま、キャロルちゃんに張り合ってるんだろうけどなぁ。いやぁ、愛の力は偉大だねぇ」
「嬉しくない偉大さをどうも」
「ハハハ。それでだ、親友。キャロルちゃんのカレーパンはどうだった?」
チャーリーは笑いながら、そう聞いて来る。
そのワードに、ぴくり、とクライドは反応した。
そして胸に手を当てる目を閉じる。頭の中に、あの時のカレーパンが浮かぶ。
「……最高だった。今まで食べたカレーの中で一番だ」
しみじみと言えばチャーリーが楽しそうに笑う。
「ハハ、良かったな~」
「今度、チャーリーの分も作って来てくれるそうだ。丁重にお断りしておいた」
「何でだよ! 俺も食べたいよ!」
「キャロルの手料理を食べられる男は、俺と彼女の家族だけで良い」
「微妙に体裁を考えていやがる、この野郎……」
真顔で言い切ったクライドに、チャーリーが今度は半眼になる。
これでも十分譲歩したのにとクライドは肩をすくめた。
クライドにだって、キャロルの手料理を食べるのは自分だけが良い、なんて気持ちはある。もちろんある。
けれども、そんなわがままなんて言ってしまったならば、家族仲の良いキャロルからの心証が悪くなってしまう。
それにクライドはアップルヤード家の家族の事は好きだ。穏やかで、お人好しで、陽だまりみたいに温かい。
出来れば仲良くして行きたいと思ったから、少々ドロドロした気持ちを飲み込んでいるのである。
そしてこれはキャロルには絶対に知られないようにしなければ、とも思っている。
「それにしても、ルイーズ・ハンプトンは、なぜあんなに積極的になったんだ? 今までも絡まれたし、押しは強かったが、あそこまでじゃなかったよ」
「ああ。俺も気になって調べたんだけど、どうやら色々とお見合いをさせられているらしいよ」
「お見合い?」
「ルイーズさんの素行に頭を抱えたご両親が、早めに婚約させて落ち着かせたいと思っているんだと」
チャーリーは軽く手を開いてそう言った。
確かに彼女の言動は気になる部分が多い。幼い頃はそれでも何とかなっていたかもしれないが、成人年齢が近付けばそうも言っていられない。
ハンプトン家は彼女の兄が継ぐので、ルイーズはいずれ家を出る事になるだろう。しかしあの状態で嫁げば、相手の家族と上手く行かないのは目に見えて分かる。
だから早めに何とかしてやりたいという親心なのだろうなとクライドは思った。
「それで、早く婚約しろって言うなら、元々好きなお前が良いって思ったんじゃない?」
好きでもない相手と婚約しなければならない事は、さすがにルイーズ相手でも多少は同情してしまう。
けれども、それはそれ、これはこれだ。
クライドはキャロル以外と婚約も結婚もするつもりはない。万が一、キャロルに嫌われたとしても、絶対に手放したくない。
もしもそんな日が来たのなら、目の前からいなくなってしまうくらいなら、自分しか知らないどこかにキャロルを閉じ込めて……。
「いやお前、顔が怖ぇよ。無表情から悪化してるからそれやめろ」
「む、それはまずいな」
うっかり悪い方へ思考が行きかけてしまった。チャーリーに声を掛けられ、ハッとしたクライドは、手で顔をぐにぐにと揉み解す。
ついでにチャーリーには呆れ顔で「お前は本当にキャロルちゃんが好きだな」とも言われてしまった。
言われずとも大好きである。
「だが、助かった。理由が分かって良かったよ」
「いやいや。代わりにカレーパンの件、ちゃんと撤回しといて」
冗談混じりに言うチャーリーに、ぐっ、とクライドは言葉に詰まる。
それからたっぷり時間をかけて頷いた。
「……………………分かった」
「めちゃめちゃ渋るじゃん」
「だってキャロルが俺のために料理を作ってくれたのに。それを他の男に食べさせたくなかったから……」
「心が狭い男は嫌がられるぞ」
「うっ」
嫌われても手放すつもりはないが、面と向かって嫌われるぞと言われると、動揺はしてしまう。
その辺りはクライドも自覚もしているので、ぐうの音も出ない。
そんなクライドを見てチャーリーは苦笑した。
「まぁ、キャロルちゃんが他の男に目移りする事は、絶対無いんだから大丈夫だって」
「ああ。それは分かる。……毎日実感している」
「だろ? むしろ逆を心配するべきだよ」
「逆? 何かあるのか?」
「近い内に隣国から留学生が来るんだ。ほら、イリス王子。評判を聞いた事ないか?」
「ああ……」
イリス・クラウン・オアーゼ。オアーゼの第六王子だ。評判というか、悪い意味での噂話はクライドも聞いた事がある。
簡単に言うと、イリス王子はとんでもないタラシなのだ。
老若男女問わず誘惑する趣味があるらしい。そのせいであちこちでトラブルを起こし過ぎて、オアーゼの国王夫妻によって戒律の厳しい修道院へ入れられて、しばらく俗世から離れて修行させられていたとか。
一応、修行の成果があって改心はしたらしい。
修道院から戻って来た後、国王夫妻は数か月様子を見て、特に問題行動を起こさなかったため最後の試験として、うちの国に留学させたのだそうだ。
ここで問題を起こさなければ、国に戻ってから王族の一人として仕事を任せるという話になっているらしい。
――と言う話をクライドは騎士団の副団長である父から聞いた。
しかし、それを聞いた時にクライドは自分の耳を疑った。
そう言う面倒事は、他国を巻き込まず自国だけで済ませてもらいたいものだ。
(まぁ、押し付けられたのだろうな……)
アストラの国王と、オアーゼの国王は親友同士だ。
どうしてもと頼まれて断り切れなかったのだろう。
ついでに留学が上手く行けば、後々イリスを外交官として、アストラに派遣しようなんて思惑もあるのかもしれない。
「多少はマシになったかもしれないけどさ、ああいうのはなかなか治らないよ。上手く隠せるようになっていたら、よりまずい。気を付けるに越した事はないと思うぜ」
「なるほど……気を付けるよ、ありがとう」
「おう。……俺もメイさんに手を出されないように気を付けないと」
そう言ってチャーリーは、ハァ、とため息を吐いた。
彼は学園に入学した時にキャロルの親友のメイに一目惚れしたのだそうだ。
チャーリーは普段なら男女問わず気さくに話しかけに行くタイプなのに、メイに対してはガッチガチで、なかなか上手く行かないらしい。
一年かけてようやく面と向かって話せるようになったくらいだ。
「いい加減、告白したらどうだ?」
「出来るもんなら俺もそうしたいよ! だけど本人を前にすると、どうしても緊張しちゃうんだよな……」
ぐう、と唸るチャーリーに、クライドは思わず噴き出した。
「分かるよ。俺もキャロルを好きになった時はそうだったからさ」
そして、昔を懐かしみながらそう言うと、チャーリーは少し驚いたように目を丸くして、
「そっか。……なら俺も何とか頑張るわ」
なんて笑って言ったのだった。