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第94話 鬼姫、必殺技を使う。

「我の正真正銘、最大の奥義……受けきれるものなら、受けてみよ!」


 鬼姫はそう叫ぶと、右手に持った刀を頭上に掲げてプロペラのようにクルクル回した後、今度はつかを握ったまま大地に突き立てる。


「鬼龍剣奥義……影鰐かげわにッ!!」


 技名らしき言葉を口にすると、刃が刺さった地面から黒い影のようなものがみょーーんと伸びていく。それは魔王の真下に来るとみるみる大きくなっていき、半径五メートルほどの大きな丸い影となる。さながら黒い沼が出現したかのようだ。


 直後魔王の真下にある影から、巨大な『何か』が顔を出す。

 それは体長十メートルを超す、竜のように大きなイリエワニだった。体は漆黒に染まっており、技名通り影のワニである事を思わせる。

 彼は地中を掘り進んできた訳ではなく、文字通り影の中からワープしたように出てきたのだ。


「グァァァァアアアアアアーーーーーーーーッッ!!」


 ワニの化け物が大きく口を開けて魔王に襲いかかる。魔王は一切抵抗しようとせず、棒立ちのまま巨大なワニに頭から丸みにされてしまう。

 ワニは魔王をゴクリと呑み込んで満腹になったようにゲップを吐くと、影の中へと戻っていく。いつまでっても出てこない。


「………」


 魔王が丸呑みにされた光景を、三人の少女達が黙って見ていた。一瞬何が起こったのか全く分からず、茫然ぼうぜん自失になる。ルシルも、なずみも、レジーナも、一言も発しない。はとが豆鉄砲を食らったようにポカンと口を開けるだけだ。


「クククッ……」


 呆気あっけに取られた少女達を眺めながら、鬼姫が声に出して笑う。自らの勝利を確信した喜びで満面の笑顔になる。


「フフフ……ハハハッ……ハァーーーッハッハッハァッ! 見たか! これぞ我の究極奥義……その名も影鰐かげわにッ! わらわの忠実なしもべである影の魔獣に相手を食わせる、見た目通りの一撃必殺じゃ! 今までこれを受けて生き延びられた者は一人もおらぬ! モモタロウとて、我にこれを使わせぬよう術を封じた上で勝負を決めたほどじゃ!!」


 いかにもな悪党らしい三段笑いをした後、技の性能について口を開く。影の魔獣が自らのしもべだった事、これまで耐えた者がいない渾身の大技だった事、桃太郎すらも恐れさせた事……それらの事実を雄弁に語ってみせた。


「魔王は死んだッ! わらわが殺してやった! 今頃はワニの腹の中で消化されておるじゃろう! 地上最強とうたわれた異世界の魔王を、妾が討ち取ったのじゃ! あーーーっはっはっはぁっ!!」


 敵を倒した事を声高に宣言して、心の底から満足したように高笑いした。

 これまで胸に抱えていたモヤモヤが晴れてスッキリしたような、晴れやかな表情になる。全身の血管が沸き立つほど憎んだ相手を殺せた事に、便秘が解消されたような爽快な気分になる。解放感のあまり鼻歌をうたいながらスキップして踊りだす。


 勝利の喜びにひたる鬼姫だったが……。


「……ん?」


 ある異変に気付く。ワニの出現口である丸い大きな影が、いつまでっても消えない。戦いが終わった後もずっと残り続けている。


「はて、おかしいのう。ワニが異空間に戻れば、影は消失するはずじゃが……」


 女が首をかしげながら、数歩前に進んだ時……。


「グッ……ウギャァァァァァァアアアアアアアアッッ!!」


 影から突然けたたましい絶叫が発せられた。あまりの声の大きさに女が一瞬驚いて、慌てて後ろに下がる。

 化け物の断末魔の悲鳴と思しきそれが聞こえた後、影から人のようなものがぴょーーんとジャンプしながら出てくる。すると影がだんだん小さくなっていき、最後は跡形もなく消える。


 影から出てきた人はスタッと着地すると、女の方へと振り返る。右手には巨大な黒いかたまりを持っている。


「なかなか面白い技だった……食らったのが俺でなければ死んでいただろう」


 男がそう口にしてニッコリ笑う。その人物こそワニに呑み込まれて死んだはずの魔王に他ならない。魔獣の腹の中に入ったのに、消化された形跡が全く無い。胃酸に触れられた事実など無かったかのようにピンピンしている。


 にわかには信じがたい事だ。女は一瞬夢でも見ているんじゃないかと疑った。


「そらっ、鬼姫。お前にプレゼントだ」


 ザガートはそう言うと、手に持っていた黒い塊のようなものを鬼姫に向かってポイッと放り投げる。それはクルクル横回転しながら飛んでいき、鬼姫のすぐ横にある地面にドシャッと音を立てて墜落する。明らかに無機物ではない、ナマモノの質感だ。


「……ひっ!!」


 自分の真横に投げ付けられた物体を目にして、女が顔面蒼白そうはくになる。


 ……それはザガートに襲いかかったワニの生首だった。首から下が力ずくでじ切られており、傷口から真っ赤な血が流れている。激痛にもがき苦しんだように大きく口を開けて目を血走らせた形相のまま絶命している。

 魔王が圧倒的な力でワニを返り討ちにして生還した事は一目瞭然だ。


「あああっ……あっ……」


 手下の魔獣を殺された事に、鬼姫が声に出してうろたえる。表情がみるみる絶望の色に染まっていき、目にうっすらと涙が浮かんで今にも泣きそうになる。恐怖のあまり腰を抜かしてしまい、地べたに尻餅しりもちをついたまま立てなくなる。


「い、嫌じゃ……我、死にとうない……死にとうない」


 おびえの言葉を口にする。相手から逃げるようにズルズルと尻を引きずって後退する。鬼族のおさとしての誇りは完全に失われて、蛇ににらまれたカエルとなる。

 影鰐を破られた事に相当ショックを受けたようだ。もはや彼女の中に魔王に立ち向かう気力は一ミリも残っていない。


 魔王が無言のままズカズカと女に向かって歩いていく。侮蔑するような眼差しで相手を見下ろす。軽くおどすようにキッと睨んだだけで、女がビクッと驚いて、全身をプルプル震わせる。完全に格上の相手に凄まれた猫のそれだ。


「わ……我が悪かった! これまでの非礼は全てびる! 許してくれるなら、何でも言う事を聞く! だから、どうか……どうか命だけは取らないでたもれ! 後生じゃ!!」


 鬼姫が土下座して許しをう。地べたにひたいこすり付けて何度も謝りながら、命令に従う事を誓う。この場を生き延びるためならどんな手段でも使おうと必死になる。


「ほう……何でも言う事を聞く……か」


 女の言葉を聞いて、ザガートがニヤリと笑う。良からぬたくらみをした、悪魔のような表情になる。


「ならば鬼姫よ……俺の部下になれ。これから一生、忠実な手足としてこき使ってやる。それがめるなら、生かしてやってもいい」


 命を取らない条件として、自分の配下に加わるよう命じる。


「わ、分かったのじゃ……もう二度と逆らうようなマネはせぬ! 今後一生かけてお主に尽くさせてもらう! 身の回りの雑用でもパシリでも、何なら夜の世話でも、好きなだけこき使うがよい!!」


 鬼姫が即座に顔を上げてウンウンうなずく。魔王の部下になる事を二つ返事で了承し、生涯の忠誠を誓う。決してかなわない相手だと悟り、こびを売る事に決めたようだ。


「では最初の命令だ……そこで隠れて見物しているカフカを殺せ!!」


 ザガートは崩れかけた神殿の壁を指差し、魔王軍の幹部の抹殺を命じる。


「ひっ……ひぃぃぃぃいいいいいいっ!!」


 物陰からひょっこり顔を出して一部始終を眺めていたカフカが、情けない悲鳴を漏らしながら飛び出す。一行に背を向けて、慌てて走り去ろうとした。


「逃がさぬッ!」


 鬼姫は地面に刺さっていた刀を手で引き抜くと、道化師めがけて投げ付ける。ヘリコプターのローターのように横回転しながら飛んでいった刀は、カフカの首をスパーーンとねて、女の手元へと戻っていく。


「……ッ!!」


 首を撥ねられたカフカは断末魔の悲鳴を発する間もなく、傷口から真っ赤な血を噴いて倒れる。首から下の胴体はピクリとも動かず、地面に転がった頭は恐怖に染まった表情のまま固まっている。わずか一瞬で絶命したようだ。


 男が息絶えると、彼の頭上にある空に青い光が集まっていく。それはやがて一つの宝玉へと変わっていき、ゆっくり降下していって魔王の手元に収まる。

 まばゆい光を放つガラスのような半透明の球体に、獅子座の紋章が刻まれていた。それは大魔王の城に行くために必要な十二の宝玉の一つだ。今回五つめを入手した事になる。


「どうじゃ? 魔王よ……わらわの初仕事は見事であったじゃろう?」


 鬼姫がそそくさと魔王の元へ向かい、上目遣いで相手のご機嫌をうかがう。役に立った事を認めてもらいたそうにモジモジしている。


「ああ、よくやった。上出来だ。これからも俺のために尽くしてくれ」


 ザガートが穏やかな眼差しを向けながら、女の頭を優しくでる。今後も自分のために働くよう命じる。

 鬼姫は仕事ぶりをめられた事に心から満足したようにニコニコ笑う。ほほを真っ赤にして照れくさそうな表情を浮かべながら腰をクネクネさせた。すっかり野性の牙を抜かれて、飼い主になついた猫になってしまった。


(おい、大丈夫か!? こんな性悪しょうわる女、いつ裏切るか分かったものじゃないぞ!!)


 レジーナがげんそうな顔をしながら、魔王にそっと耳打ちする。一度は命を狙った相手をそばに仕えさせる事に、いずれ謀反を起こされるのではないかと懸念を抱く。


(安心しろ……少しでも裏切る素振りを見せたら、即座に首をじ切ってやる)


 ザガートが王女の疑問に小声で答える。女が裏切ったら容赦なく殺す方針である事を伝える。

 二人の会話は鬼姫に聞こえており、彼女はゾワッと背筋が凍る思いがした。この先何があろうと、魔王を裏切る事はすまい……そう決意を固くするのだった。




 魔王は戦いの終わりを確信し、ふと思い出したようにギースが死んだ場所に目をやる。自爆時に噴き上がった炎は沈下しており、地面に焦げ跡が残っているだけだ。それが一抹いちまつさびしさを感じさせた。


(一匹の毒蛇を逃がし、代わりにひょうを得る……それもまたしかり)


 そう心の中でつぶやく。ギースを仲間に出来なかった事に後ろ髪を引かれる思いをしつつ、それを仕方のない事だと自分に言い聞かせた。

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