第93話 鬼姫、術を使う。
「我が魔力……とくとその目に焼き付けるがいい!!」
鬼姫はそう口にすると両手を組んで人差し指を垂直に立てて、呪文のような言葉を唱えだす。魔法を発動させる準備動作なのか、彼女の全身がメラメラと赤く燃える炎のオーラに包まれる。下から風が吹いたように着物がバサバサと揺れる。
「我が力よ……炎の龍となりて全てを焼き尽くせ! 火炎龍嵐ッ!!」
魔法の言葉を叫ぶと、彼女の全身を覆ったオーラが正面へと集まっていき、凝縮されて炎の塊になる。それは一匹の巨大な龍へと姿を変えて、魔王に向かって飛んでいく。
全身が炎で出来た龍は蛇のように巻き付いて、相手を焼き尽くそうとする。ゴブリンなら触れれば一瞬で火だるまになって焼死する超高熱の火炎だ。
「フンッ!」
ザガートは喝を入れるように一声発すると、右手をサッと横に振る。すると炎の龍は一瞬にしてバラバラに砕け散り、小さな炎となって消えていく。
魔王は間違いなく炎に触れられたはずだが、全くの無傷だ。まるで何事も無かったかのように平然と立っている。
「炎が得意な俺に炎の魔法で立ち向かおうなどとは、勘違いも甚だしい……お前の力とやらはこんなものか?」
皮肉めいた言葉を吐く。効かない魔法をぶつけてきた相手に侮蔑の眼差しを向ける。
「グッ……ならばこれはどうじゃ!」
鬼姫は一瞬悔しげに下唇を噛んだ後、すぐに次の動作へと移る。両手で印を結ぶと新たな呪文の詠唱を行う。
「風の精霊よ、古の盟約に基づき、千の刃となりて敵を切り裂け……真空切断ッ!!」
彼女が魔法の言葉を唱えると、かまいたちのような真空の刃が、ヒュンヒュンッと風を切る音を鳴らしながら飛んでくる。およそ二十枚ほどあるように見えたそれは、ザガートを取り囲むように配置すると、一斉に彼へと襲いかかる。
鬼姫が勝利を確信したようにニヤリと笑う。
魔王は四方八方から迫り来る真空の刃になす術なくズバズバと切り裂かれた……ように見えた。
あくまで見えただけだ。風のカッターが直撃しても、魔王は掠り傷すら負わない。本来鋭い切れ味を持つ刃を受けたにも関わらず、そよ風が通り抜けたように服がヒラヒラと動くだけだ。
「どうした……それで終わりか? その程度の攻撃、俺には通用せんぞ」
ザガートが腕組みしたまま余裕の表情で相手を見下ろす。攻撃を受けた事実など無かったかのようにピンピンしている。
風の魔法を受けた時、魔王は一切回避行動を取らなかった。防御結界を張り巡らす事なく、相手の好きなようにさせた。
にも関わらず鬼姫の術は、魔王に深手を負わせる事が出来なかった。男は素の肉体の打たれ強さだけで、相手の攻撃を無傷で凌いだのだ。それは歴然とした力の差がある事実を否応なく分からせた。
「ええい、まだじゃ! まだなのじゃ!!」
鬼姫が大きな声で叫ぶ。表情に焦りの色が浮かび、額から汗が流れても、必死に食い下がろうとする。
自身の中に湧き上がった『敗北』の二文字を打ち消そうと躍起になる。圧倒的な力の差を見せられても、頑なに認めようとしない。まだ勝機があるはずだと自分に言い聞かせる。
「青き光よ、雷撃となりて我が敵を薙ぎ払え! 雷撃龍嵐ッ!!」
正面に右手をかざして攻撃呪文を唱える。彼女の手のひらがバチバチッと音を立ててスパークすると、そこから青く光る一筋の雷が放たれた。
雷は目にも止まらぬ速さで魔王めがけて一直線に飛んでいく。並みの人間なら打たれれば感電死する、落雷と同じ威力の雷撃だ。
「汝より放たれし力、呪詛となりて汝へと還らん……魔法反射ッ!!」
ザガートが両手で印を結んで魔法の言葉を唱える。半透明に青く光るカーテンのようなバリアが彼の正面に展開する。
雷撃はバリアに触れると、飛んできた方向へと跳ね返された。そのまま術の唱え主である鬼姫に命中する。
「あびゃぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
高圧電流にその身を焼かれた女が激しく悶える。青い光に呑まれてガクガク震えながら、今まで聞いた事も無いような奇声を発する。やがて雷撃が彼女の身体を通り抜けると、全身グッタリさせたままブスブスと白煙を立ち上らせた。
致命傷には至らなかったものの、皮膚はあちこち焦げており、衣服はボロボロだ。鬼族の面目は丸潰れだ。
「魔法戦は俺の十八番だ……その俺に魔法勝負を挑んだのが、そもそもの間違いだったのだ」
ザガートがフフンッと得意げに鼻息を吹かす。魔法が自らの本分である事を教えて、相手の得意分野に勝負を持ち込んだ女の判断ミスを指摘する。
「鬼姫、もうやめにしないか……お前がどうあがこうと、俺に勝てる見込みは無い。お前の種馬になってやる気も無い。一族の再興など諦めて、とっとと故郷に帰れ」
憐れみの言葉を掛けて、勝負の打ち切りを提案する。ボロボロになった女の姿を見て同情の念が湧いたのか、諭すような口調で話しかける。
彼女を深く傷付ける事は魔王の本意ではない。大人しく矛を収めてくれるなら、それに越した事は無い。
「……もうよい」
鬼姫がボソッと小声で呟く。下を向いていたため表情は読み取れなかったが、怒っているのが一目で分かる。両肩をプルプル震わせて、興奮した猛牛のように「フーッ、フーッ」と鼻息が荒くなる。こめかみに血管がビキビキと浮き出て、今にもブチ切れそうだ。
「……一族の再興も、貴様を婿にする事も、もうどうでもよい! ここまでコケにされて引き下がるくらいなら、いっそ死んだ方がマシじゃ! 何としても貴様に痛い目を見せてやらねば、我の気が収まらぬのじゃ!!」
顔を上げて目をグワッと開いた阿修羅のような表情になると、胸の内に湧き上がった怒りを声に出してブチまけた。もはや魔王の子種を孕む事などどうでもよくなり、目の前にいる敵を殺さなければ腹の虫が収まらないのだという。
完全に頭に血が上って怒りで我を忘れている。魔王は龍の逆鱗に触れてしまったようだ。
鬼姫は再び武器を使う戦術に切り替えたように、一旦は大地に刺していた刀を手で引き抜く。それを魔王に向けて構える。
「我を怒らせた事、後悔しながらあの世へ行くがいい!!」




