第89話 ケセフの弟、カフカ
轟轟と燃えさかる炎を前にザガートが立ち尽くしていると……。
「ホッホッホッ……やはり彼では駄目だったようですねぇ」
一人の男がそう言いながら、炎の中から姿を現す。
その者はトランプのジョーカーのようなピエロの格好をしていた。声も、顔も、口調も、仕草も、何もかもケセフに瓜二つだ。ただし着ている服の色が違う。
ケセフが赤い服を着ていたのに対して、彼は緑色の服を着ていた。それで別人だと分かる。
「貴様……何者だ」
ザガートが敵視するような目で相手を睨む。まず間違いなく魔族の手先であろうと思われる人物を前にして警戒せずにいられない。
「ホッホッホッ……お初お目に掛かります、異世界の魔王。私はカフカ……貴方に殺されたケセフの弟にして、魔王軍十二将の一人。大方想像が付くでしょうが、私がギースに貴方の抹殺を依頼しました」
道化師が自らの素性を明かす。ケセフと血の繋がりがある事、魔王軍の幹部だという事、ギースの依頼主である事実……それらを包み隠さず教える。
「ギースは素晴らしい戦士でした。それは認めましょう。ですが彼の力を以てしても、貴方を殺せなかった……何とも惜しい話です」
傭兵の実力に一定の評価を下して、魔王を仕留められなかった事を深く残念がる。
期待通りの成果が出なかった事を罵ったりはしない。先の戦いをこの目で見て、「彼は十分よくやった」という思いに駆られたようだ。
彼に殺せない相手なら、他の誰を雇っても殺せはしない……そう感じさせる結果となった。
「それで頼みの綱のギースが死んで、お前はどうするつもりだ? すいません、参りましたと土下座して謝りにでも来たか」
ザガートが小馬鹿にするように問う。本気でそうする訳がないと分かった上で、わざと煽るような言葉をぶつける。
「ホッホッホッ……ご冗談を。手札は常に複数枚用意しておくものです。兄もそうしたでしょう? 私も同じですよ。貴方を殺す手段は一つだけではないという事です」
魔王のジョークをカフカが笑い飛ばす。相手の挑発に乗せられてマジギレしたりしない。ギース以外にも魔王にぶつけるカードを用意していた事を告げる。
「暗黒魔獣よ……出てきなさいッ!」
そう言いながら合図を送るように指をパチンと鳴らす。
「……グルルルゥゥゥ」
道化師の合図を受けて、炎の中から巨大な何かが唸り声を発しながら姿を現す。
……それは大人のライオンより一回り大きな、黒いチーターの化け物だった。全身の筋肉は引き締まっており、見るからに俊敏そうな体躯をしている。瞳は不気味に赤く光り、前足の爪は剣のように鋭い。魔王を睨み付けたまま「ウウーーッ」と言葉を発して敵意を剥き出しにする。
黒い大きな獣が四足歩行する姿は、かつてのケルベロスを彷彿とさせる。
「恐るべき魔界の獣……その名も『黒の追跡者』ッ! 性格は獰猛にして残忍、一度狙った獲物を殺すまで永久に追いかけ回す事から、そう名付けられました。魔王軍の幹部ではありませんが、戦闘能力は生前のケルベロスに引けを取りませんよ」
カフカが魔獣の詳しい説明を行う。以前ザガート達が戦った三つ首の獣と同等の強さを持つ事を雄弁に語る。
「さあ、我が忠実な僕よッ! そこにいる異世界の魔王を八つ裂きにしてしまいなさい!!」
「グルルゥゥゥゥァァァァアアアアアアーーーーーーーーッ!」
魔王を指差して処刑を命じる。カフカの命を受けて、チーターの化け物がけたたましい咆哮を上げながら脱兎の如く走りだす。五メートルほど離れた間合いに立つと、大きく口を開けて高く飛び上がり、魔王めがけて急降下する。そのまま相手の喉笛に噛み付こうとした。
「ゲヘナの火に焼かれて、消し炭となれ……火炎光弾ッ!!」
魔王が敵に手のひらを向けて攻撃魔法を唱える。魔王の手のひらから煌々と燃えさかる梨くらいの大きさの火球が放たれてチーターを直撃する。
「ウギャアアアアアアアアッ!!」
一瞬にして地獄の炎に包まれたチーターが、この世の終わりと思えるほどの絶叫を発する。火球が激突した衝撃で後ろに吹き飛ばされて地面に叩き付けられると、痛みから逃れようとするように体をのたうち回らせたが、数秒と経たないうちに黒焦げの焼死体になる。
死体は完全に炭化しており、ボロボロと崩れ落ちて灰になる。一陣の突風が吹き抜けると風に飛ばされて散っていった。
ザガートは敵が跡形もなく消えた光景をじっと眺めた後、カフカの方へと振り返る。
「ケルベロスに引けを取らないから……何だと言うのだ?」
ゴミを見るような目で相手を見ながら、冷たい口調で言い放つ。大した強さじゃない敵を差し向けてきた道化師を心から蔑むような態度だ。
魔王は三つ首獣に苦戦などしていない。その三つ首獣と同じ強さだと言われても、彼にとっては何でもない話だった。
魔王に正論をぶつけられて、反論できず押し黙るカフカだったが……。
「……クソが」
そんな言葉が口を衝いて出た。下を向いて両肩をプルプル震わせながら、顔がみるみるうちに紅潮する。額に血管がビキビキ浮き出ており、今にもブチ切れそうになる。配下の魔物を瞬殺された事がよほど腹に据えかねたようだ。
「よくも……よくも俺様をコケにしてくれたなぁっ! 許さねえ……絶対許さねえぞッ! このすかしたイケメン野郎がッ! お前ら全員、皆殺しにしてやる! 二度と生意気な口が聞けないよう、じわじわとなぶり殺してやる! 万が一ギースが失敗した時のために取っておいた、真の切り札でなッ!!」
顔を上げてグワッと目を見開いた阿修羅のような顔になると、聞くに堪えない罵詈雑言を早口で喚き散らす。頭に血が上って冷静さを失ったあまり、口から大量の唾が飛ぶ。これまであった余裕は失われて、完全にチンピラの物言いになる。
最後の手札を残してあった事を告げると、懐から黒いガラス球のような球体を取り出す。
「この中には恐ろしい悪魔が封印されている! アスタロトを超える力を持つ、日本の妖怪を統べる邪悪な魔王がなッ! 今からそいつの封印を解き放つ! お前らはここで死ぬんだッ! そいつに殺されてな! ヒャァーーーッハッハッハァッ!!」
黒い球体が何なのかを詳細に明かす。凶悪な魔神が封印されている事を伝えて、それをザガート達にぶつけるつもりでいた事を教える。彼らが残忍に殺される姿を想像して、心の底から嬉しそうに高笑いした。
話を終えるとカフカは球体を勢いよく地面に叩き付ける。球体がガラスのような音を立てて割れた瞬間、カッと眩い光が放たれて辺り一帯が見えなくなる。光が収まって視界が開けてくると、球体が割れた場所に『何か』がいた。
「なん……だと!?」
目に入り込んだ光景にザガートが驚きの言葉を発する。予想外の展開に動揺を隠しきれない。
そこに一人の若い少女……いや大人の女性が寝そべっていた。




