第87話 全ては想定済み
「やれやれ……勇ましく啖呵を切っておいて、その程度とはな。正直言って、期待外れも良い所だ」
床に倒れたギースを見て、ザガートが失望の色をあらわにする。事前に聞いた評判と違って大した成果を上げられない男の戦いぶりに大きく落胆し、残念そうにため息を漏らす。少しは楽しめそうだという期待は裏切られ、テンションが一気に下がる。
「下らん茶番は終わりにしよう……一撃で終わらせてやるッ!」
そう叫ぶや否や、敵に向かって猛然とダッシュする。倒れた男の前に立つと、心臓めがけて右手による貫手を放つ。魔王はこれで勝敗が決したと、そう確信した。
……剣のように研ぎ澄まされた指先が届きかけた瞬間、男の体がワープしたようにフッと消える。ザガートは誰もいない床を指で突いてしまい、ドガッと大きな音が鳴って大地に右手がめり込む。
「何ッ!?」
攻撃をかわされた事に魔王が慌てふためく。完全に想定外の事象が起こった事に驚きを隠せない。
魔王は一切手加減しなかった。男を殺すつもりで放った渾身の一撃だ。それが空振りに終わるなどとは想像もしなかった。
いくら十倍の速さになったとはいえ、傭兵は魔王の拳を紙一重で避けたのだ。それは真に驚嘆すべき事だ。
魔王が数メートル先に目をやると、ギースが平然と立っている。腰に手を当てて余裕ありげなドヤ顔を浮かべてニヤニヤする。汗をかいて息が上がっていた男の姿とはとても思えない。
(全て演技だったのか……?)
傭兵の元気な姿を見て魔王が激しく訝る。腹に一撃を食らわせたのに、その事実が無かったかのような健在ぶりに動揺せずにいられない。今まで男がやられたふりしたのは全部嘘だったのではないか、一杯食わされたんじゃないかという考えが頭をよぎり、胸がざわついた。
物思いに耽るように立ち尽くす魔王を見て、ギースがほくそ笑む。
(クククッ……そうだ。驚け……驚いて、冷静さを失うがいい。効かない攻撃を何発も当てた事、わざと膝蹴りを食らって大袈裟に痛がってみせた事、自信満々にとどめを刺しに掛かる事……脳内シミュレートで予測済みだ)
これまでの流れが全て計算通りだったと頭の中で語る。想定通りに事が運んだ喜びのあまりテンションが上がりだす。
「やいザガート! テメエお得意の魔法とやらを、俺様にぶつけてみやがれ! どんな魔法が来ようと、防いでやるぜ! たとえそれがバハムートを殺した最強魔法だろうとなッ!!」
呆気に取られた魔王に畳み掛けるように挑発的な言葉を浴びせる。どれほど高威力の魔法だろうと防いでみせると豪語する。まるで相手にわざと最強魔法を撃たせようとするかのように煽る。
「……良かろう」
しばらく考え事に没頭していた魔王が、男の言葉に反応して振り返る。傭兵の方をじっと見ながら、これから取るべき行動を模索する。
挑発を無視するのは簡単だが、それでは気持ちが収まらない。戦いを楽しみたい身として、相手の挑戦から逃げてしまっては興が削がれる。
無論男に考えがあるのは読めていた。これまでの戦いぶりからして、彼が何の計算も無い行動を取るとは考えにくいからだ。
ザガートは相手の挑発通りに最強魔法を使おうと一瞬考えたが、万が一に備えて、それよりランクの落ちる魔法を使う事を思い立つ。
「ゲヘナの火に焼かれて、消し炭となれ……火炎光弾ッ!!」
敵に手のひらを向けて呪文の詠唱を行う。魔王の手のひらから煌々と燃えさかる梨くらいの大きさの火球が、傭兵めがけて放たれた。
最強魔法でないとはいえ、アスタロトを一撃死させた必殺の炎だ。直撃すれば死は免れない。
期待通り魔王が魔法を唱えてくれた事にギースがニヤリと笑う。
「ファクトの鏡よッ! 魔法を反射せよ!!」
背中の袋から一枚の手鏡を取り出して、正面に向ける。火球は手鏡に激突すると、飛んできた方向へと跳ね返された。手鏡は力を使い果たしたように粉々に割れる。
魔王は自身へと跳ね返された火球を避けきれず食らってしまう。巨大な爆発に呑まれ、一瞬にして火だるまになる。
「なッ……うおおおおおおおおッ!!」
突然の出来事に思わず驚きの言葉を上げる。流石に致命傷にはなっておらず炎はすぐに鎮火したものの、服があちこち焼け焦げており、ブスブスと音を立てて白煙を立ち上らせた。髪はチリチリになっており、色男が台無しだ。皮膚も微かにだが焦げている。そこからヒリヒリと痛みが湧く。
……それは彼がこの世界に来てから受けた攻撃の中で一番の威力だった。
(危なかった……もし唱えたのが火炎光弾でなく絶対圧縮爆裂だったら、俺は今頃全身の皮膚が爆裂して死んでいただろう)
命を失う危険性があった事に魔王が肝を冷やす。敢えて相手の挑発に乗って最強呪文を唱えなかった自身の用心深さに感謝の念すら湧く。
敵を舐めすぎたのではないか、もっと本気で殺しに掛かるべきだったのではないかと後悔する思いに駆られた。彼はこの世界に来てから今までどの敵にも味あわされた事の無い、『恐怖』という感情を覚えた。
……ザガートがふと顔を上げると、ギースがすぐ目の前に迫っていた。魔王が動揺している間に一気に距離を詰めたのだ。その手にはトゲの付いた金属製の棍棒が握られている。
「ティタンのメイスだッ! 食らいやがれ!!」
そう叫ぶや否や、メイスを横薙ぎに振るう。メイスは魔王の横っ腹にドグオッと音を立ててめり込む。
大した痛みは無いと油断したのも束の間、魔王の体が突然フワリと宙に浮く。山のように大きな巨人に指でつままれたかの如く、目に見えない力で何処かへと運ばれてゆく。
(何ッ!? これは……)
正体が掴めない力に魔王が困惑する。どうにかして運ばれるのを阻止しようとしたが、手の施しようがない。
それは殴った相手を任意の場所へと運ぶ『ティタンのメイス』の魔力によるものだが、魔王には知る由もない。結局何の手も打てないまま運ばれて、床にストンと落とされる。
魔王が落とされた床には何の罠も施されていない。魔王は何か仕掛けがあるんじゃないかと慌てて周囲を見回したが、それらしいものは見当たらない。逆に目に付いたもの全てが怪しく思えてくる。
不規則に散らばった瓦礫、視界を遮る、崩れかけた神殿の壁、階段を上った段差にある、頭が吹き飛んだ女神像、草地にある枯れかけた木……どれも疑いたくなるが、狙いを一つに絞れず、焦りばかりが募りだす。
予期せぬ出来事が続いて精神的に追い込まれた事が、辺り一帯を吹き飛ばすという考えを浮かばなくしていた。
……足元にある床のタイルにナイフで×印に傷が付けられていた事に、魔王は気付きもしない。




