第74話 ただ一人の生存者
「いっ……いやぁぁぁあああああっ! 誰か、誰か助けてぇぇぇぇええええええーーーーーーっっ!!」
絶望に打ちひしがれた少女が、藁にもすがる思いで助けを呼んだ瞬間……。
「ウッ……ウギャァァァアアアアアアッッ!!」
彼女に襲いかかろうとした盗賊の一人が、突如声に出して苦しみ出す。
地べたに転がってミミズのようにのたうち回りながら、両手の指で体中を激しく掻き毟る。口からブクブクと泡を噴いて、白目を剥いて、全身をピクピクさせた。
少女も、他の盗賊連中も、状況を把握できない。
何が起こったのか全く分からないまま、男が苦しむ様を眺めるしかない。
(こっ……これはまさか!?)
ガンビーノの脳裏を恐ろしい想像がよぎった、その時。
男の体がボンッ! と音を立てて破裂する。肉も内蔵も一瞬で吹き飛び、真っ赤な血に染まった大地にバラバラの骨だけが残る。
「ギャアアアアアッ!」
「ウギャアアアアアアアッ!」
「ボグアアアアアアアアッ!!」
他の盗賊達が後に続くように苦しみ出す。悲鳴を上げてのたうち回った後、叫んだ順番にボンッボンッと音を立てて爆発する。まるで彼らの体内に小型爆弾が仕掛けられており、それを一斉に起爆させたかのようだ。
「お頭……助け……て……」
最後に残った二人のうち一人が、苦悶に満ちた言葉を吐きながら弾け飛ぶ。死の間際に見せた表情は、無責任な言動で部下を死に追いやった首領を恨んでいるように見えた。
「あああっ……」
ガンビーノの表情が一瞬にして青ざめた。部下が全員死んで自分だけが残った状況に、何が起こったかを即座に理解する。
むろん部下が死んだとなれば、次は彼の番だ。逃れられる道理は無い。今更後悔しても、もう取り返しが付かない。
「い、いやだ……俺は死にたくねえ! 死にたくねえよぉぉぉぉおおおおおおーーーーーーーっっ!!」
何かから逃げるように大声で叫びながら何処かに向かって走り出したものの、それで助かる筈もなく、男の体が針を刺した風船のように割れて粉々に吹き飛ぶ。
かくして盗賊達は最初の一人が襲いかかろうとした瞬間から一分と経たないうちに全滅する。後に残されたのは十人分の骨と、鉄臭いニオイを漂わせたトマトジュースだけだ。
「………」
少女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔して、ポカンと口を開ける。あまりに突拍子も無さすぎて、凄惨な光景を目の当たりにしたのに、恐怖の感情すら湧かない。
男達が死んだのは魔王の術の効果が発動したからだが、それを知らない彼女からすれば、全く以て理解不能だ。夢でも見ているんじゃないかとさえ疑う。
神の奇跡か、はたまた悪魔の仕業か……ただいずれにせよ、少女が助かった事実に変わりは無い。その事にまずはホッと一安心する。
たとえ悪魔の仕業だったとしても、屈強な男達の慰みものになるより幾分マシという考えがあった。
「……!?」
少女が助かった事に安堵したのも束の間、ドスンッドスンッと大きな地響きが鳴り、辺り一帯の大地が激しく揺れた。何かとてつもなく巨大なものが近付いているのが容易に分かり、少女は新たな危機が訪れた事を予感する。
このままではいけないと思い、周囲を見回すと、少し離れた場所に人一人が身を隠すのにちょうど良い大きさの岩があった。彼女はそれを天恵だと思い、ササッと岩陰に隠れる。
それから数秒が経過した後、足音の主である巨大な何かが山を駆け上がってくる。それは平地に辿り着くと、男達の死体があった場所へ向かう。
少女が岩陰から顔を出して覗き見すると、巨大な何かは大人のライオンより二回りほど大きな、黒い犬の化け物だった。一つの胴体に三つの頭を持つそれは、ケルベロスという名で知られた魔獣だ。
彼は上司から命を受けて、ザガートを追ってここまでやって来ていた。その途中で血の臭いに引かれて寄り道したという訳だ。
ケルベロスは堪能するように血の臭いを嗅いだ後、大きく口を開ける。すると白骨死体から白い靄のようなものが立ち上り、魔獣の口に吸い込まれていく。それが口の中に入ると、魔獣は咀嚼するようにモグモグ動かす。
(魂を……食らってる!!)
一連の光景を目にして、少女が深く戦慄した。断定できる根拠は無いが、彼女にはそう思えて仕方がない。
生者の肉を食らうだけでは飽き足らず、死者の魂までも食らう魔獣の貪欲さに、背筋が凍る思いがした。魔獣の餌食になれば、死後の安息すら得られはしないのだ。
魔獣は男達の魂を食い終えると、岩のある方角に向かって歩き出す。聞き耳を立てたり、クンクンと鼻を動かして風の匂いを嗅いだりして、人の気配を探ろうとする。もし少女の存在に気付けば、襲いかかる事は明白だ。
(おじいちゃん、助けて……ッ!!)
少女は再び岩陰に隠れると、ペンダントを強く握り締めながら、祖父に言われた言葉を思い出す。
ナージャや……そのペンダントはワシが行き倒れたエルフを助けた時、お礼として貰ったものじゃ。
それを身に付けていれば、魔族に気配を悟られず安全に旅が出来るという。
それをお前にやる。その身に危険が迫った時、ペンダントがお前を守るじゃろう。
祖父の言葉……それは少女の身に付けたペンダントが、魔獣の襲撃から身を守るというものだった。
祖父の言葉を信じて、少女がペンダントを強く握る。目を瞑ったまま、念を送るように青い宝石に祈りを捧げる。すると願いを聞き届けたのか、宝石が眩く輝き出す。邪悪な力から守ろうとするように、少女の体を青い光で包み込む。
ケルベロスは遂に少女の真横まで来たが、そのまま何事も無かったかのように通り過ぎる。周囲をキョロキョロ見回したり、少女のいる方角をじっと見たが、全く反応しない。
明らかに視界に入った角度だというのに、人の存在に気付いた様子が無い。
少女の姿も、少女を包み込んだ光も、全く見えてないようだ。それどころか彼女から届くはずの匂いも、微かな呼吸音も、魔獣には探知できていない。
少女の存在に気付くために必要な情報、その全てがペンダントの力によって遮断されていた。魔獣にとってそこには『誰もいない』のだ。
しばらくその場に留まっていたケルベロスだったが、突然何かに反応したようにビクッと動いて振り返る。山頂のある方角を、物思いに耽たようにじっと眺める。
「ウォォォオオオオオーーーーーーーーンッ」
天に向かって一吠えすると、山の斜面を猛ダッシュで駆け上がる。山道へと登ると、そのまま山頂を目指して一直線に走っていった。
魔獣が向かった方角、それは魔王がいた場所だ。彼は風に乗って流れてきた微かな匂いを感じ取り、本来の獲物を仕留めようと思い立ったのだ。
「助か……った」
魔獣が去った後、少女がガクッと地べたにへたり込む。緊張感が解けて脱力しきってしまい、しばらく立ち上がれそうにない。それでも今はようやく訪れた安心感に浸ろうと考える。もう彼女を脅かす存在など、何もありはしないのだから。
ふと空を見上げると、数羽の小鳥が飛んでいる。そのうち一羽が少女の肩に留まり、チュンチュンと鳴く。それは平和の到来を象徴するかのようだった。
かくしてナージャという少女は、この惨劇におけるただ一人の生存者となった。




