第70話 捨て駒にされた男
「グヌヌ……」
アスタロトがギリギリと音を立てて歯軋りする。眉間に皺を寄せた阿修羅のような顔をして、見るからに悔しそうにする。
彼からすれば魔王の言葉は侮辱でしかない。殺すつもりで渾身の技を放ったのに、殺すどころか感謝された。それは魔界大公爵のプライドを傷付けるに十分だった。
「……おのれザガートッ! 氷結監獄葬を破ったからといって、調子に乗るなぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
胸の内に湧き上がる憤激を声に出してぶちまけた。感情的になって我を忘れたあまり、完全に冷静さを失う。いつもの紳士然とした態度をあさっての方向にぶん投げて、チンピラのようにいきり立つ。
もはや少女達を手ごめにする事などどうでも良くなり、相手のはらわたを引きずり出さねば怒りが収まらない気持ちにすらなる。
「ザガート、ゲヘナの火に焼かれて消し炭となるがいい! 火炎光弾ッ!!」
すぐさま相手に手のひらを向けて攻撃魔法を唱える。男の手のひらから煌々と燃えさかる梨くらいの大きさの火球が放たれて、魔王めがけて飛んでいく。一度相殺された技だが、別段威力が増したようには見えない。本当に頭に血が上って破れかぶれになったようだ。
「ゲヘナの火に焼かれて消し炭となれ……火炎光弾ッ!!」
ザガートも数秒遅れて攻撃魔法を唱える。同じように手のひらから火球が放たれる。
二つの火球は空中で衝突して大きな爆発を起こす。天まで届かんばかりの巨大な炎が吹き上がり、周囲に火の粉を撒き散らす。飛び散った火の粉が草に燃え移ったものの、火事にはならずすぐに鎮火する。
また相討ちか……アスタロトも、三人の少女達も、誰もがそう感じた。
だが……。
モクモクと立ち込める黒煙の中から、一つの火球が姿を現す。それはアスタロトめがけてまっすぐ飛んでいく。ザガートの唱えた魔法である事は明らかだ。
二つの火球がぶつかり合った時、消えたのはアスタロトのものだけだ。ザガートが放った魔法は消える事なく飛び続けた。それは勝負に一方的に打ち勝った事を意味する。
「ばっ、馬鹿な……ぐぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーっっ!!」
驚くあまり咄嗟の判断が遅れたアスタロトは避ける間もなく火球の餌食となる。火球が触れた途端全身が炎に包まれて、一瞬にして火だるまになる。体が焼ける痛みに悲鳴を上げてのたうち回る。地面に倒れたままゴロゴロ横向きに転がったり、手足をバタつかせて悶える。これまで人生で味わった事の無い激痛の苦しさに意識を失いかけた。
「ウウッ……ウッ……」
やがて男が暴れるのをやめたと同時に炎が鎮火する。服はボロボロになっており、全身の皮膚は黒く焼け焦げていて、ブスブスと肉が焼けるニオイを立ち上らせた。角は片方折れていて、髪はチリチリだ。華やかだったはずの容姿は見る影も無い。
男は大の字に寝転がったままピクリとも動かない。指の一本動かす力さえ残っていないのか、ただ呻き声を漏らしながら寝ているだけだ。致命傷を負った事は一目瞭然だった。
「お前の火炎光弾は一度この身に受けたのでな……どの程度の威力かは分かっていた。最初の勝負ではそれに合わせて、わざと同じ威力の魔法を撃った。だが二度目は違う。これが俺の全力を込めた、本来の威力の火炎光弾……という訳だ」
ザガートが腕組みして勝ち誇ったドヤ顔になりながら言う。一度目と二度目で異なる結果になった理由を、さも当然と言いたげに説明する。
少女達は、ザガートとアスタロトの魔力量はほぼ同じだと見ていた。最初の火球の衝突が彼女達にそう思わせた。
それはアスタロトにとっても同様だ。両者の実力は拮抗しており、勝機は十分にあると判断した。
だが真実は違った。
ザガートは最初から本気など出しておらず、相手の実力を量るためにわざと力をセーブしていたのだ。彼が本気を出せば一瞬で決着が付いた戦いだった。
アスタロトは魔王の手のひらで踊らされていたに過ぎない。
「………」
男の死にゆく姿を無言で眺めていたザガートだが、やがて思い立ったようにズカズカと歩く。男の側に来てしゃがむと、顔を覗き込んで話しかける。
「最後に一つだけ聞かせろ……お前をこの世界に呼んだ神とは、一体何者だ?」
彼を異世界転生させた人物の名を問う。
「ヤハ……ヴェ」
アスタロトはたった一言そう口にすると、ガクッと力尽きて息絶えた。
彼をこの世界に呼んだのが、ザガートが元いた世界の神ゼウスではなく、この世界の神ヤハヴェである事が明白となった。
(ヤハヴェが転生させた男……その男が、魔王軍の手先に成り下がっていた。ただの偶然か? それとも……)
男の言葉を聞いて、ザガートがしばし物思いに耽る。顎に手を当てて眉間に皺を寄せて気難しい表情になる。これまで得た情報を頭の中で整理して、この世界の神が何を企んでるか、意図を探ろうとした。
あれこれ推論が浮かび上がったものの、どれも確証を得るには至っておらず、旅を続けるしか真実を確かめる方法は無いという結論に至る。
魔王がふと目をやると、男の体が何度か発光した後、手足の指先からキラキラした光の粒子となって分解されていく。全身くまなく光の塵になった後、一陣の突風が吹き抜けて、風に飛ばされて空に散っていく。後には髪の毛一本すら残らない、ただの地面があるだけだ。
直後、空中のある一点に魔力と思しき青い光が集まっていく。やがて光が凝縮されて一つの宝玉が生まれると、ゆっくりと落下していってザガートの手元に収まる。眩い光を放つガラスのような半透明の球体に、双子座の紋章が刻まれていた。
それは大魔王の城に行くために必要な十二の宝玉のうちの一つだ。今回三つめを入手した事になる。
(アスタロト……憎むべき敵ではあったが、思えば哀れな男だ。神に大きな力を与えられず、捨て駒のように扱われたのだからな)
宝玉を手にしながら、ザガートが物憂げな表情になる。同じ転生者でありながら、異なる末路を迎える事となった男の死に様を見届けて、彼の境遇を深く憐れむ。
もし彼が自分と同等の力を与えられたら、無惨な死に方はしなかっただろう……そう思いを抱く。
彼を最初から軽んじていたのだろうとヤハヴェの思惑を推測し、言い知れぬ怒りが湧き上がりながら、宝玉を懐にしまうのだった。
◇ ◇ ◇
アスタロトを倒した日の翌朝……太陽が昇って周囲が明るくなり始めた頃。
グラナダの町を囲む城壁、その唯一の入口である門の所に、出発の準備を終えたザガート達が立つ。彼らを見送るべく、領主ハウザー、ハウザーの妻ノーラ、二人の娘ルカ、街の住人や兵士達がいる。更に兵士達の後ろに、三体の毒巨人がいる。
敵であったはずの毒巨人は終始ニコニコしており、満面の笑みを浮かべている。かつて戦った時の邪気はすっかり消え失せており、表情はとても穏やかだ。生命創造によって復活したであろう事が容易に読み取れた。
「毒巨人達は置いていく……この先どんな敵が攻めて来ようと、彼らが町を守ってゆくだろう」
ザガートが巨人を町の守りに就かせる方針を伝える。自分が居ない間、町の安全を彼らに託そうという試みだ。
「ザガートの兄貴、任せて下せえ! 俺ら猛毒巨人族三兄弟、この命に替えても町を守らせて頂きやす!!」
魔王の言葉を聞いて、三兄弟の長男が頼もしい台詞を吐きながら、心臓のある左胸を握り拳でドンッと叩く。何としても主君から与えられた使命を全うするのだと鼻息を荒くする。テンションが高まったあまり、特に意味も無いのに『不思議な踊り』をグルグル踊りだす。
「……俺の前で許可なく踊るのを禁止する」
ザガートが少し不快そうな顔をしながら命じる。
「そ、そんなぁーーーっ」
三人がとても悲しそうな表情をして、情けない声を漏らしながらズッコケた。体の大きな巨人が豪快に尻餅をつく滑稽な姿を見て、街の住人達が大笑いする。魔王の配下となった彼らに対する恐れのような感情は無い。
「何から何まで町のために良くして頂いて、感謝の念に堪えません……もし困った事があれば何なりとおっしゃって下さい。我々に出来る事でしたら、何でも力になりましょう」
ハウザー卿が深く頭を下げて礼を言う。娘の病気を治したのみならず、町の平和を脅かした悪魔を討伐し、防衛用の戦力まで残してくれた事に心から感激する。恩義に報いるために今後の助力を約束する。
「ああ……そうさせてもらう」
ザガートも彼の申し出を快く受け入れて、固い友情で結ばれたようにガッチリ握手を交わす。
「魔王様、町を救ってくれてありがとう! 私、大きくなったら魔王様と結婚するっ!」
ハウザーの娘ルカが唐突にそんな事を言い出す。彼女の発言に街の住人達が俄かにどよめき、少女の両親は「アワワ……」と声に出してうろたえる。レジーナは、またもかよわい少女が魔王の毒牙に掛かるのではないかと懸念を抱く。
十二歳の少女の発言を冗談と受け取るのは簡単だが、彼女は至って真剣だ。よほど命を救ってくれた魔王に感激したのか、本気で彼と結婚するつもりでいる。既に魔王が女を三人連れている事は理解していたが、一夫多妻でも構わないと思ったようだ。
「……その思いが十年経っても変わらなければ、前向きに考えよう」
ザガートが本気とも冗談とも付かない言葉を口にして、少女の頭を優しく撫でた。まずはこの場を凌ぎながらも、本気の恋であったなら向き合おうと、そう受け取れる態度だ。
「うん、約束だよ! 私、絶対忘れないからっ!」
少女が魔王の言葉に満足してニッコリ笑う。十年後の再会を約束して、元気に手を振る。
一行は少女達に笑顔で見送られながら、町の外へ出るのだった。
◇ ◇ ◇
「全く……今回ばかりはヒヤヒヤしたぞ。お前があの親子のどっちかに手を出すんじゃないかと、ずっと不安だった。何しろお前はいいオンナを見たら犯さずにはいられない、破廉恥スケベ大魔王だからな」
城壁が見えなくなるほど遠く離れた頃、レジーナが唐突に口を開く。領主の妻と子がジャンボフランクの餌食にならなかった事に深く安堵のため息を漏らす。領主が妻を寝取られるのではないかという懸念が胸の内にあり、それが杞憂に終わった事を心から喜ぶ。
「オイラてっきり、師匠があの子とヤるんじゃないかと思ったッス」
なずみが王女の後に続くように言う。自分が魔王と体を重ねたからこそ、自分と同じ十二歳であるルカもまた、同じ目に遭うのではないかと考えたようだ。
「……お前らは一体俺を何だと思っている」
二人の発言に魔王が心底呆れる。とてもめんどくさそうな表情しながら、頭を手でボリボリ掻く。言葉を並べ立てて反論しないものの、自分はそんな男ではないと軽くたしなめる。
ルシルは三人のやりとりを聞いてクスクスと笑う。王女達のように心配する発言はしない。魔王なら親子に手を出さないと最初から分かっていたか、もしくは手を出したとしてもしょうがないと受け入れる覚悟をしたかのどちらかだろう。
一行はそうして微笑ましく言葉を交わしながら、新たな目的地へと向かうのだった。




