第61話 アーリマンの誤算
グラナダの町にやって来たザガート達一行は執事グスタフに会い、領主の館へと案内される。館を訪れた彼らが目にしたもの……それは『死の宣告』を掛けられて余命いくばくもない少女の姿だった。領主ハウザーの娘に魔族が呪いを掛けたのだという。
ザガートがあれこれ考えていると、部屋の隅から敵の気配がする。
魔王が咄嗟に鉛筆を投げ付けると、それをキャッチして何者かが姿を表す。
「俺はアスタロト様の忠実な僕にして、即死魔法のスペシャリスト……アーリマン!!」
漆黒の法衣を纏った老人が自ら素性を明かす。
その怪しげな爺こそ、少女に呪いを掛けた張本人に他ならない。
「ああ、お前はッ! まさか……今までずっと、この部屋に潜んでいたというのか!?」
男の姿を見てハウザーが狼狽する。表情は一瞬にして青ざめて、背筋が凍ったように歯をガタガタと震わせた。
無理もない。事もあろうに、呪いを掛けた張本人が娘の部屋にいたのだから。もし他に誰もいない二人きりの時があったのだとしたら、いつでも首を絞めて殺せたし、猥褻な行為を働いても誰にも気付かれない事になる。その可能性を考えただけで領主は吐き気を催した。
「クククッ……安心しな。俺様だって、ずっと部屋にいるほど暇じゃねえ。娘に変な事もしちゃいねえ。ただたまに屋敷を訪れて、テメエらが嘆き悲しむ姿を見て面白がっていただけさ」
ハウザーの疑問に男が笑いながら答える。慌てふためく領主の姿を見て、心の底から楽しそうにニヤつく。
「さて、ハウザーさんよ……改めて聞くぜ。魔族の要求に従う気になったか? もしこのまま従わねえってんなら、アンタの娘はオダブツだぜ。全身の穴という穴から血を吹いて、体が焼けるような激痛に苛まれて、もがき苦しみながら死ぬのさ。おっと、治そうだなんて無駄な考えはやめるんだな。この呪いは一旦発動したが最後、どんな術を使ったって解けやしねえんだからな……ヒッヒッヒッ……ヒャァーーーッハッハッハァッ!!」
領主に改めて問いかける。要求を呑まなければ娘が残酷な死に方をするのだと、生々しい表現で忠告する。呪いの効果に絶対の自信を抱きながら邪悪に高笑いした。
「ああっ、ルカ……」
悲しみに打ちひしがれたノーラが、床に膝をついて泣き崩れる。両手で顔を覆ったままボロボロと大粒の涙を溢れさせた。ウッウッという泣き声がよりいっそう悲壮感を増す。
ハウザーは悲しむ妻の肩に手を掛けたものの慰めの言葉が見つからず、下を向いたまま無念そうに目を瞑る事しか出来ない。グスタフは苦しむルカの汗をタオルで拭いたものの、病状は悪化するばかりで、手の施しようがない。
ルシル達三人は何も出来ず、ただ状況を見守るしかない。レジーナはもどかしさのあまり、血が出るほど強く下唇を噛む。
少女の生存を絶望視する雰囲気が辺りに漂って、場の空気がどんよりと重くなる。部屋に吹き抜ける風が濁ったように汚れた心地がして、呼吸しただけで吐きそうになる。
誰もがルカは助からないのだと確信を抱く。
……一人の男を除いては。
「呪いが解けないかどうか……試してみるか?」
ザガートはそう口にすると、ベッドに向かってズカズカと歩く。今にも命が尽きようとする少女を眺めながら、何やら考え込んでいたが……。
「我、魔王の名において命じる……呪いよ消え去れッ! 解呪魔法ッ!!」
右手を少女の頭上にかざして魔法の言葉を唱える。するとルカの体が金色の眩い光に包まれた。
時計の幻覚が少女の頭上に浮かび上がった後、蜃気楼のように薄れて消えていき、それに伴い少女の呼吸が落ち着く。「ウーッ、ウーッ」とうなされていたのが、「スゥ……スゥ……」と安らかになる。
熱が急激に下がったのか肌の火照りが治まり、滝のように流れていた汗が止まる。苦しみが緩和されたのか、表情がだいぶ楽になる。
やがて全身を覆っていた光が消えた時……。
「ん……パパ、ママ……?」
ルカがゆっくりと目を開ける。上半身を起こして眠たそうに瞼を擦った後、つぶらな瞳をパチクリさせながら周囲を見回す。一週間眠ったままであったせいか、すぐには状況を把握できない。
少女は単に意識が目覚めただけでなく、消耗したはずの体力も全快していた。魔王が掛けた術は呪いを解くのみならず、スタミナまでも回復させたようだ。
「ああ……ルカ……ルカぁぁぁぁああああああーーーーーーっっ!!」
「おお我が娘よッ! よくぞ……よくぞ元気になってくれた!!」
ノーラとハウザーが感激の言葉を漏らす。娘の呪いが解けた喜びのあまり胸がはち切れそうになり、思わず大声で叫びながらベッドへ駆け出す。もう絶対に離さんとする勢いで二人してルカを強く抱き締めた。
「むぐぐ……パパ、ママ……苦しい」
両親にぎゅうっと抱き締められて、ルカがジタバタと暴れる。だが最後は抵抗をやめて二人の抱擁を受け入れた。目覚めた直後こそ事態を理解しなかったものの、親の反応を見て、自分を心配してくれた事を察する。
夫婦がウッウッと嬉し涙を流し、娘は二人を優しく抱き返す。
親子三人が抱き合う姿を、他の者は安心したように見つめていたが……。
「なななっ……何故だぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
アーリマンが突如大きな声で叫ぶ。少女の呪いが解けた事がよほどショックだったのか、この世の終わりが訪れたように顔面蒼白になる。額からはとめどなく汗が流れ出し、わなわなと体の震えが止まらなくなる。終いには涙と鼻水が顔中から溢れ出す。
「何故だッ! 何故だッ! 何故なんだッ! どうしてだ! こんなのありえない! 絶対ありえない! これは何かの間違いだッ! こんな事、絶対に起こる筈がないんだぁぁぁぁぁあぼびゃろれらぁぁぁぁぁぁああああああああーーーーーーーーっっ!!」
発狂したように喚きながら、両手で頭を激しく掻き毟る。「何故だ、何故だ」とうわ言のように口にする。最後は呂律が回らなくなり、言葉にならない奇声を発する。
完全に想定外の事態が起こったあまり、正気を失いかけた。
それは彼にとって、決してあってはならない事だった。たとえ天地がひっくり返ろうとも破られる事など無いと確信したはずの術が、いともたやすく破られたのだ。しかも伝説の薬草を採りに山に登ったり、高名な賢者を呼んだりした訳ではなく、ただの風邪を治すような感覚で治されたのだから。




