第57話 魔王軍の新たな刺客
周囲を暗雲に覆われて、太陽の光が一切届かない空間……そこに魔王城はあった。外壁は血のような赤色に染まり、有刺鉄線のような茨がびっしり巻き付く。侵入者を見張る悪魔の彫像があちこちに飾られており、目が不気味に赤く光る。見るからに禍々しい外観は悪魔の居城らしさを漂わせる。
時折雷がゴロゴロと鳴って城全体を明るく照らす。地面にはこれまで倒してきた冒険者のものか、大量の人骨が無造作に転がっている。
骨にへばり付いた肉を食べようと、数羽のカラスが群がっている。ゴキブリやムカデがカササッと床を這っており、コウモリが捕まえて食べる。
城の最新部にある玉座の間……大魔王アザトホースが眠るように目を閉じたまま宙に浮かんでいると、何者かが駆け込んできて大扉を開ける。
「陛下、瞑想中の所失礼を致しますッ!」
そう言って入ってきたのは一人のオークだった。フルプレートの鎧に身を固めて槍で武装しており、他の個体よりも体が大きい。背丈は三メートルほどある。
鎧の左胸には階級を表すらしき星の紋章が刻まれており、城の警備隊長であろうと思われた。
「ご報告申し上げますッ! デス・スライム様が異世界の魔王にお敗れになられましたッ!!」
大魔王の前まで来て膝をつくと、魔王軍の幹部が倒された事を手短に報告する。
「ンンンンッ……」
アザトホースが突如唸り声を発する。部下の報告を聞いて目を覚ましたようにも、最初から起きていて、考え事をしていたようにも受け取れる。
「ヌゥゥゥウウウウウ……ヨクモ……ヨクモ我ノ部下ヲ……許サン……絶対ニ許サンゾ、異世界ノ魔王ォォォォオオオオオオーーーーーーーーッッ!!」
それまで閉じていた何十個とある目が全て開かれると、大地が割れんばかりの怒号を発する。大魔王の怒りの叫びは城全体に響き渡るほど大きく、床が激しく揺れて、空気がビリビリと振動する。それだけで並みの攻撃魔法に匹敵する破壊力だった。
「ひぃぃぃぃいいいいいいっ!!」
オークが情けない悲鳴を発する。主君が激怒した姿を目の当たりにして、オシッコを漏らしかねないほど驚く。恐怖のあまり腰を抜かしてしまい、地べたに尻餅をついたまま立てなくなる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
大きな声を出し過ぎて疲れたのか、大魔王の息が上がる。体を上下に揺らしながら、何処にあるか分からない口で激しく息をする。疲れた事を表すように触手がグッタリする。
「オークロードヨ……ヤツヲ……魔界大公爵アスタロトヲ、ココニ呼ベッ!」
やがて呼吸を落ち着けると、部下らしき者の名を口にして、謁見の間に連れてくるよう命じる。
「はっ!」
オークロードはすぐに正気を取り戻して立ち上がると、謁見の間から早足で出ていく。
◇ ◇ ◇
豚頭が出ていって数分が経過した頃……一人の男が部屋へと入ってくる。
その者はザガートと同様に、人の姿をした悪魔……上級悪魔だった。頭には角を生やしており、ファンタジーの魔術師が着るような裾の長い衣をダークブルーに染めたものを身に纏う。
彼と大きく異なるのは西洋人のような白い肌をしていた事、ウェーブが掛かった紫色の髪をしていた事だ。衣服に宝石を散りばめた豪華な装飾をしており、より貴族らしさを強調した見た目になっている。背中のマントは一見ボロボロだったが、よく見てみるとカラスのような黒い羽になっている。
ワイルドな男らしさを感じさせるザガートとは対照的に、中性的で耽美な印象を与える風貌をしていた。
アスタロトであろうと思われる人物は、大魔王の前まで来て膝をつく。
「魔界大公爵アスタロト、陛下の命により参上つかまつりました。それでご用件とは、何でございましょう」
丁重に頭を下げて挨拶しながら、自分をこの場に呼んだ用件を問う。
声はねっとりしていて、ダンディで色気がある。色男を感じさせる喋り方は、女性を口説くのが得意そうだ。
「異界ノ魔王ザガート……ヤツノ始末ヲ、貴様ニ命ジル!」
アザトホースが早速魔王の討伐命令を下す。
「はて……彼が向かった場所にはデス・スライム殿がいたはずでは?」
主君の言葉を聞いて、アスタロトが首を傾げた。まだ同僚が倒された報告を受けていないようだ。
「デス・スライムハ……ヤツニ敗レタ」
大魔王は口惜しそうに顔を俯かせながら、部下が倒された事を伝える。貴重な手駒を失った事に悲嘆した様子が窺える。部下を大事にする印象とは程遠いが、それでも配下の強さに一定の信頼を置いた事、よその世界から土足で踏み入った敵対者にむざむざ殺された事を深く嘆いたようだ。
「ほう……」
主君とは対照的に、アスタロトが不敵な笑みを浮かべる。仲間の死を知らされても悲しむ素振りは微塵もなく、むしろ予想外の結果をもたらした敵の強さに興味を抱いたようだ。
しばらく顎に手を当てて物思いに耽たまま、黙り込んだが……。
「……分かりました。このアスタロト、必ずや陛下のご期待にそえるよう尽力しましょう」
すぐさま立ち上がると、頼もしげな言葉を吐いて了解する。早速主君の命を実行に移そうと、謁見の間から退出しようとした。
「アスタロト……クレグレモ油断スルナ。ヤツハ強イ。ソノ力、決シテ侮ルベキデハ無イ……」
去りゆく部下の背中に大魔王が釘を刺す。これまで倒された部下と同じ轍を踏まないよう警戒を促す。
「……油断などしませんとも」
上司の忠告に、アスタロトがニヤリと口元を歪ませた。




